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F列1番

一番好きな村上春樹作品は?と訊かれれば「ダンス・ダンス・ダンス」と反射的に答えてしまうが、同じ本を読み返すことって基本的にないから、断片的に印象に残るシーンやセリフはあっても、話の筋を思い出すことができない。
再読すれば新鮮な気持ちで楽しめるとは思っているので、当時の感動をそのままに残しておきたいということかもしれない。よく考えてみれば僕は本に限らず、お気に入りの映画も観返そうという気にならない。繰り返し体験する事で再確認し愛情をより強固にする人がいて、一方で一度限り刹那的に味わう人がいるとすると、僕は後者なのだと思う。
だから今回の読書はとても例外だった。その理由は、村上春樹さんご本人にお会いする前に読んでおきたかったからだ。勘のいい方は既に察するかもしれませんが、村上JAMという春樹さんプロデュースの音楽イベントの観覧に当たったのです。

F列1番が僕に振り当てられた席番号だった。「F」は列を示してアルファベット順で最前列から6列目、「1」は左詰めの席番号で、席配列全体を横長の長方形とすると左側の縦辺の上部が僕の席だ。だから、春樹さんがステージ中央にいらしたとして、角度的にも距離的にも姿を拝めそうにないと少しがっかりしていたのだけれど、開演してみると司会の春樹さんは客席から見てステージ左端のハイチェアに腰掛けられた。つまり僕のほぼ正面、15メートル程のところに春樹さんがいらっしゃった。すごい。
個人的な体験として心に刻まれたのは、イベント終盤の出来事だった。クライマックスの演奏を紹介すると司会の春樹さんは舞台から一旦降り、パーテーションで仕切られた舞台袖から、関係者用に空けてあったA列1番の席にこっそりと移動された。一時的に観客席側から演奏を見る為だろう。先ほども書いたように僕はF列1番だったから、A列1番は僕の5つ前の席ということになる。僕にとっての神話的存在である春樹さんが舞台を降りて、列違いの並びの席に僕と同じように座っている。すごい。
何があるかわからない、と思って僕は当日コンビニで油性のサインペンを購入していたのだった。足元に置いていた鞄の中で「職業としての小説家」と新品の油性ペンはスマホの通知みたいにぶるぶる震えて、微かな光を点滅させていた。行動を起こすべきだ、とそれは告げていた。演奏中にこっそりと席を立ってF列からA列の春樹さんの席までいけばあるいはサインを貰うことができるかもしれない。当然演奏中にそんな失礼な事はできない。しかし、なにせ僕の席は会場の一番左端だから、ちょっと立ち上がって数歩歩いていけばいいだけのことにも思えた。


いてもたってもいられなくて、鞄の中から「職業としての小説家」と新品の油性ペンを取り出す。椅子に腰掛けたまま身体をスライドさせるようにそっと立ち上がり、身体をかがめた状態でA列までじりじりと歩いて行く。鼓動が高鳴り、手にはいままでに経験したことのない種類の汗がにじんでいる。スタッフに止められたらどうしようとか、春樹さんに怪訝な顔をされたらどうしようとか、色々なことが頭をよぎっているが、もう身体は動いてしまった。いまさら引き返すことはできない、あとはもうなるようになるしかない。そんなことを考えているとあっと言う間に僕は春樹さんの座っている席の脇に辿り着く。あっという間だが、とてつもなく長い時間をかけてそこに移動してきたような奇妙な感じがある。
春樹さんはすぐ隣にいらっしゃるが、僕の存在に気付いていない。会場内は薄暗いし、視線はステージに向けられている。一方僕はというと、あまりの感動に言葉がないというのもそうだし、近づいただけで今までに春樹さんが書かれてきた数々の文章が一気に波のように押し寄せてきて、僕はその力に圧倒されてしまっている。オーラとは若干ニュアンスが違って、僕が今まで読んできたものと、その作者との間の深い所で繋がっているパイプの調整弁に不具合が起きてしまっているようだった。エネルギーの流れの向きが不自然になり強弱のバランスが一時的に崩れているのだ。僕は膝を突いたまま春樹さんに身体を向けて、本の表紙に油性ペンを重ねるように置いて右手で包み込むように手にしている。春樹さんは依然ステージの方に視線を向けている、その隣に僕がいる。その光景の中に何故か他の観客はいなくて、遠景から切り取られた一枚の写真のように僕と春樹さんは同じフレームの中に納まっているのだった。
僕はそのような一連のイメージを頭に繰り返し描きながら、F列1番の隙間から見える春樹さんの後姿をぼうっと眺めていた。結局、油性ペンは新品のまま一度も使われることはなかった。いまのところ。


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