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保坂和志|言葉の外へ

“「小説家は言葉のプロだから」という言い方が嫌いだ。”から始まるその冒頭を読んで、ああ、この本を買ってよかったと思った。*

最近は純文学を読んでいない、というと嘘になる。何冊か並行読みしていて、なかなか進まない。相変わらず色々読んでみようというつもりでいて、純文学以外を早く読み終えてしまう。*

僕はプロの、金を稼ぐ小説家ではないが、小説を書いている事は機会があれば人に話すように意識していて、表明することで何か変わるかもしれないと思って、そうしている。いつか、同僚が「小説を書いているのだから、あなたは文章が上手いはずなのに…」と僕の送ったメールをたまたまccされていてたその人がフィードバックしてくれたことがあった。今振り返ると、そのフィードバックにはいささか皮肉めいたものが含まれていたかもしれないが、その時は言われたこと自体はあまり不快ではなかった。ただ、お互いの認識が微妙にすれ違っているような感覚があって、もどかしかった。*

きっとその人は、小説を書いている、と聞いて、この人は上手な文章を書くのだろう、とか、わかりやすくて簡潔で、ポイントを押さえた要約ができるのだろう、といった文章力・スキルを中心にイメージした。もちろん必要最低限の文章作成能力は必要だけれど、僕が小説家として思い描きたい像は、きっと、言葉を使って表現する深さとか拡がりとか豊かさ、または、根源にある熱量の大きさのようなものだ。*

というか、そもそも、お前はその必要最低限のスキルが備わっているのか?と問われればなんとも答えようがない。備わっている気もするし、大事なものが欠けている気もする。ただ、僕にとって一番しっくりとくる表現の手段は書くことで、歌を口ずさむ事や、踊ることも好きだけれど、やはり小説を書くこと、文章を書くことだから、続けているだけのことかもしれない。悲観的な意味ではなくて。*

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