つわものどもが、夢の中〜2023テニス全仏・全英〜

 クレイコートシーズンが始まる4月。まずはモナコ。モンテカルロで空と海の青に映える赤土を堪能し、カジノをちょびっとだけ覗いたらスペインへ。クレイキングの名を冠したセンターコートを持つバルセロナからマドリードへと転戦。古い神殿とコロッセウムの趣漂うローマを経て、パリ、ローランギャロスへ。

 全仏が終わると短いグラスコートシーズン。フェデラーが愛したハレオープンでドイツの田園を楽しみ、ナダルのふるさとマヨルカオープンにも立ち寄ってリゾート気分を味わい、クラブハウスがゴルフ場を思わせるあたりがいかにもグレート・ブリテンなクイーンズ、なんかだんだん雲が厚くなってきたような気がしつつ実直なイーストボーンにたどり着いたらウィンブルドンはもうすぐ、目の前。

 完璧じゃん!

 このようにテニスからテニスへ、春から夏のヨーロッパを巡るのが私の夢。ま、お金があれば叶うものだから、夢、とはちょっと違うのかな。

 思えば去年のウィンブルドンは、ロシアのウクライナ侵攻を受けて、ロシア選手とベラルーシ選手の参加を除外、これに反発したATPとWTAは世界ランキングのポイントを付与しないことを決定。エキシビションかよ、と揶揄の声も聞こえる前代未聞の開催だった。結果的に女子は「笑わない美少女」新星リバキナ誕生、男子は久々の復活「やればできる子」キリオスがファイナルまで勝ち進み、ジョコビッチと対決、敗れたもののエキシビションにしても出来過ぎの熱闘ということになったけれど。

 メドベージェフもルブレフもサバレンカもアザレンカも戻ってきた23年。女子は、ウィンブルドンの長い歴史上初のノーシードファイナリストとなったボンドルソバがまさかの初戴冠。クビトバ→リバキナ→サバレンカ、グランドスラムタイトルホルダーを次々撃破して今年こそはと誰もが思ったチュニジアの星ジャバーは、去年に続き準優勝。表彰式。あふれる涙、肩を落とす敗者に、何事か熱心に語りかけていた大会パトロンのキャサリン妃。

 93年の決勝で、当時絶対女王だったグラフをあと一歩まで追い詰めながら逆転負けを喫し、当時のパトロン、ケント公夫人の「あなたならきっとできる」という言葉に夫人の肩に顔を埋めて悔し涙に暮れたヤナ・ノボトナ(17年に49歳という若さで惜しくも病没)。97年ヒンギスに敗れて2度目の準優勝の時は「三度目の正直があるわよ」と声をかけられ、98年ついに優勝。全部見てたおれ、優勝。ジャバーさん、ぜったいまたチャンスが来る。皇太子妃はどんな言葉をかけたんだろう。ケント公夫人のファーストネームも、キャサリンだった。

 とはいえやはり見事だったのは、出産からわずか8ヶ月でベスト4、ウクライナの「肝っ玉かあさん」スビトリーナの快進撃。4回戦はベラルーシのアザレンカとフルセットの激闘。終わって、握手もハグもなく、コートを挟んで互いにわずかにラケットを上げ合った姿は美しくて悲しかった。引き上げて行くアザレンカにブーイングを浴びせたウィンブルドンの観客も悲しかった。

 去年100周年を迎えたウィンブルドンのセンターコート。忘れ難きはやはり08年のフェデラー対ナダル。屋根のない最後の年。雨の中断もあり6時間を越えた決勝、ロンドンの遅い日没、太陽の最後のひとひらが消えかかった現地時間21時16分、初めてナダルがウィンブルドンを制するのを見た時、明け方の東京の空を見上げながら、この空をたどっていくと夜になり朝になりトロフィをかじっているナダルがいるんだなあ、と、圧倒されるように思ったことを覚えている。相変わらず世界はどうしようもなくつながっていて、勝利も敗北もパーティも戦争も同時進行なんだと、あれから15年、再び思い知る夏。

 去年の秋に女の子を出産したスビトリーナ(おとうさんはモンフィスだ!)。6歳の男の子のシングルマザーであるアザレンカ。がんばれ、おかあちゃんたち。そういえば大坂なおみ選手もどうやらウィンブルドン開催中に長女誕生。来年の全豪に向けてトレーニングを再開してるとか。なおみちゃんは、どんな「わたし」になって戻ってくるだろう。3年前にふと思って書いたことが、ホントになるといいなあ。

 時計をすこし戻して、ローランギャロス2023。18年ぶりにナダルのいない全仏。「来季で引退」を示唆するアナウンス。去年フェデラーを見送ったテニス界、来年はついにラファの番、なのか。

 山盛りの感傷は来年にとっておくとして。

 個人的には表彰式でスザンヌ・ランランカップを勢いよく掲げた拍子に蓋を飛ばしたシフィオンテクが、どっち向きにも優勝(笑)。ひたむきで一本気。でも時々頭のてっぺんからびよよんとバネが出ちゃう愉快なイガちゃん。本人は大真面目なので、余計くすっと笑えてしまう。クレイはやっぱ強いな。そしてなんと言っても今年の注目は、ナダル不在の穴を埋めるが如く本格化著しいアルカラス。準決勝でジョコビッチと対戦が決まり、すわ世代交代対決か!? とドキドキしてたら、まさかの張り切りすぎ全身痙攣でまともに戦えず無念の敗退。勝負の行方はグラスコートに舞台を移すこととなる。

 スペイン人なのでとりあえずクレイ得意はよし。前哨戦のクイーンズをさくっと制して、むむなかなかやるな、と思ったけど、のちに表彰式のスピーチでジョコビッチも言ってたけど「芝でこんなに強いと思わなかったよ!!」。

 第1シードと第2シード。それぞれの山をほぼ、誰も歯が立たない、状態で勝ち上がり、文字通りの頂上決戦。揺れる天秤。期待通りのフルセット。ジョコビッチ打つ打つ、アルカラス返す返す、何打っても返ってくる、しかもエース級のボールが、これはナダルのデビューの時と同じ(サーフェス違うけど)、でも最初の頃のナダルはこんなにドロップショット上手じゃなかったしそもそも芝にフィットするのに3年くらいかかったし。結局2ヶ月前にはたちになったばかりのパワースタミナそのうえ技もキレキレ規格外の末っ子が、年の差16歳、WOWOW解説坂本正秀さん曰く「鬼つよ」長男を下し、21年ぶりにビッグ4の手からウィンブルドンのタイトルを奪って、新たな太陽王に名乗りを上げた。

 最終第5セット。第3ゲームをさっさとブレイクしてそのまま逃げ切ったアルカラス。サービング・フォア・ザ・マッチにも動じることなく、チャンピオンシップポイントにも臆することなく。実況アナウンサーは「いやーこれが優勝へのプレッシャーというものでしょうか」的なセリフを発する機会がついになかった。なんという度胸の良さ。どちらかといえば淡々と進んだ最終セットのその勝ちっぷりが圧巻だった。低い重心。サッカー選手かと見まごうばかりの見事な脚。ダイナミックなフォームから放たれる強烈なストローク。ジョコビッチは決して不調ではなくいつも通りに強かった。でもラッキーでも勢いでもなく、そのジョコビッチに堂々と勝ち切った。チャンピオンスピーチではレジェンドジョコビッチを讃えることも忘れず、青年というよりただのうれしそうな男の子というキュートなうわずりっぷりも見せて、会場中ハートの嵐。なんという愛されキャラ。これもフェレーロコーチの手腕なのか。それともちょっといかついおとうさんといつも心配そうに手を揉み合わせているおかあさんから受け継いだのか。おそるべし、ただただ、おそるべし。

 なんかもうずっとそうだったので忘れてるんだけど、20年近くも事実上フェデラー、ナダル、ジョコビッチの3人でグランドスラムタイトルを代わりばんこに取ってきた、というのがそもそもおかしいわけで、でもそれをひっくり返すに当たってはやはり20年にいちどの才能が必要だったんだなあとしみじみ思う。上がつっかえていつまでたっても自分たちの番が来なかった錦織、ラオニッチの世代。その下、ズべレフはあっというまにグランドスラム取るだろうと思ったし、ティームがクレイでナダルを追い越す日は近いと思われたし、ラケットよりスケボーが似合いそうなシャポバロフの登場は鮮烈だったし、久々のロシアからの刺客メドベージェフは頭ひとつ出たかに見えた、が、結局それぞれなんとなくくすぶったまま。

 かと言ってアルカラスがここから20年番を張れるとは限らないので、あらためてすごい時代を見てきたんだなあと、テニスファンとしては感慨深い限りだが、当面は神々チーム最後のひとりジョコビッチがこのまま黙ってるわけないぜ、ということで、アルカラスとの対決を楽しませていただこうと思う。ジョコビッチのコーチ、イバニセビッチによれば、いまアルカラスと勝負になるのはジョコビッチとシナーだけ、とのこと。シナーくんはニューヨークにもグッチのコートバッグ持ってくるかな。夏の終わり、全米でまたいいもん見られますように。

 余談。最近日本では、ラケットへし折り叩き壊しに世間は厳しい(海外でもそうなのかな?)。私は、プロ野球の乱闘をさんざん見てきた世代ということもあるのかな、あまり気にならないのですが。

 「子どもが見たらどう思う」的な意見を時々見かける。もしテニスを教えてる方とか、子どもがテニスやってるという方だったら、子どもたちにぜひ話してあげてほしい。コートの中で唯一の武器であり味方であるいちばん大事なラケットを折るくらい追い詰められる気持ち、想像してごらん。ラケットを折るな、だけでは意味がない。なぜ折るのか、を考えなければ。

 私は、ラケット壊すのを肯定しないけど、否定もしない。そこまでして戦う過酷な単独競技だと理解しており、それも含めてこの競技がとても好きなので。暴力を肯定しない。でも道徳にあぐらをかいてなんでも暴力とひとくくりにする乱暴さも肯定しない。

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