「わたし」という主語〜全米オープンテニス2020〜

※2020年の夏に書いて、そのままにしてあった文章です。この頃もうなおみちゃんは実はいろいろしんどかったのかな、と思いつつ、東京オリンピック参戦の準備をしている、というニュースを心からうれしく思いつつ。

 グランドスラムの決勝に何か望むとすれば、凡戦になりませんように、ということに尽きる。特に女子はセレナ・ウイリアムズ一強の時代が長かったせいもあり、あっさりした試合でちょっとがっかり、ということが起きがちだったけれど、新型コロナ騒動が始まってから初めて開催されたテニスのグランドスラム大会、全米オープン2020は、大坂なおみとアザレンカの、ともに心も体も全部使い尽くした熱戦で幸せな結末を迎えた。

 アザレンカは、2012年と13年全豪を連覇して世界ランク1位にもなっている選手。全米は同じ時期に準優勝が2回ある(どちらも勝ったのはセレナ)。暗めの金髪を太い三つ編みポニーテールにして、キリッとハチマキ締めて、私が好きだったメアリー・ピアースにどことなく似てるようで、いつも気になる選手だった。あの頃も31歳になったいまも、感情を表に出して自分を鼓舞するファイターっぷりは変わらず。でも前はもっとカリカリしてよく怒ってたなあ、と思う。

 世界ランク6位だった2016年に妊娠を発表。出産後復帰するも別れたパートナーと親権争いがこじれて再びお休み。シングルマザーとして2018年春にようやく本格復帰した時ランキングは200位台。2年がかりで50位台まで戻して迎えた今季。おかあさんになって、ずいぶん変わった。あれっ、アザレンカさんってこんなにきれいな人だったっけ? とも思った。

 SNSにある3歳の息子とのツーショット写真で、アザレンカはびっくりするほど穏やかで満ち足りた笑顔を見せている。ノーシードから勝ち上がった今回の全米、決勝の舞台で萎縮することなく力を発揮できたのは、すでにグランドスラムのタイトルホルダーだったということもあるけれど、もし負けたとしてもそれが人生のすべてではないとわかっていたからかもしれないなあと思った。もちろん、だから負けてもいい、ということではなく、むしろ、全身全霊で勝ちに行く、ということなので、試合のあとベンチに戻り涙を流したアザレンカ、悔しさもひとしおだったろう。

 2020年の全米オープン女子シングルスは「おかあちゃんの大会」でもあった。大会開始時点で9人。ベスト8には史上初めて3人のおかあちゃん選手が名を連ねた(アザレンカ、ピロンコバ、セレナ)。親になる、特に母親になるということは、主語を明け渡す、ということでもある。私が、で成り立っていた生活が、子どもが、とか、家族が、に変わっていく。それはとても自然なことだし、子育ては100%でぶつかっていく価値のある大仕事だ。でも、やりたいことがあったり目指すものを持っていたり、ましてやトップアスリートであればどうしても「わたし」という主語を死守しなきゃならない。それはそれでやりがいあるけど、大変なこと。テニス選手は世界中を転戦するハードな仕事だし、女子選手で結婚してる人はいても、子持ちでトップ選手は記憶になかった。でも長年頂点で番を張ってきたセレナがおかあちゃんになって戻ってきて(さすがになかなか優勝には届かなくなったけど、あれだけやれてるなら辞める理由がない)、時代はすこしずつ変わってきているんだなあと思う。もちろん周りのサポートも重要だから、誰でもできることじゃないとは思うけど、できる人からどんどんやって、その大変さも素晴らしさも伝えてくれたらいいなあと思う。

 このご時世この手の話は、「女ばっか大変で不公平!」と噛みつかれそうな気もするけど、人生の一時期そんな濃い生き方ができるのは女の特権だと、0歳児を実家に預けてレコーディングやライブを息も絶え絶えになりながらこなした経験を踏まえて私は思っているので、やりたい人はやってください、グッドラック。以上。それを機に新しい生活にシフトチェンジすること、それがあることで自分を鼓舞しながら目指して来たものを目指し続けること、子どもはどっち向きにもモチベーションになる。場合によっては言い訳にもなる。そして、どっちも楽じゃない。

 かたや決勝の相手、大坂なおみは、いままさに「わたし」という主語に満ちあふれている。折しも勃発したBLM運動。リスクを承知で自身の主張を掲げ、堂々と戦い切った姿は、ジャンルを超えてチャンピオンだった。無観客のアーサー・アッシュ・スタジアムはとても淋しかったけれど、今回の優勝には、なんだか静寂がとても似合っていたと思う。個を極めつつある若い才能と、人生のでこぼこを乗り越えて「わたし」であろうとするベテランがぶつかり合った、全米オープン2020女子シングルス決勝。どちらの強さも胸に沁みた。

 仕事(競技)を頑張りながら、結婚したり、子供を育てたり。テニスは個人競技ということもあって、時々選手の人生を眺めているように思える時がある。気づけば私はかれこれ30年近くテニスを見て来たわけで、30年前と言えばアザレンカさんがようやく生まれる頃、なおみちゃんなんかまだ影も形もない。私が目撃できるのは彼ら彼女らの人生のほんの一部分でしかないけれど、その幸運に感謝しつつ、願わくば何年か後に、なおみちゃんによく似た子どもがスタンドから見守る前で、ママがばしばしエースを決めるのを見られたらいいなと思う。

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