子どもとの対話


#子どもに教えられたこと

じぶんが親にされて嫌だったことは子どもにはすまい、
いわく

・子どもの自主性をつぶさない。
・いきなり怒り出さず、子どもの行動の理由をきく。
・注意する理由を説明する。
・「あんたのために~してる、我慢してる」と子どものせいにしない。
・子どもの聞こえるところで話をしておきながら、詳細をしりがたがると「子どもは知らなくていい!」などと言わない。

などなど、子どもを持つまえに心に誓ったことごとがあるのですが
そこはなかなか難しくて、つい手をあげてしまうこともあったり
自分の機嫌で対応してしまったり
反省するところは多々ありますが
出来得る限り、反面教師で親にされて傷ついた…「これはあかんよなあ」と思ったことは
じぶんはしない努力をしてきたつもり。

それでも、上の子は中学校からグレて中等少年院送りになり…
でも戻ってきて、いまでは3人の子どものいいお母さんです。
当時は落ち込みましたが、「若いころやんちゃだった子ほど、思いやりのある大人になる」という海外の研究結果をどこかで読んで「そうだなあ」と思ったり、世間の求める立派なコースを歩んでいるとは言えないけれど、いまそれなりに幸せに、平和にやれているからいいかなあと思ったり。

わたしが子どもの頃はまだまだ、「叱って育てる」教育法でした。
なので、大人になってあとから取ってつけたように母親から褒められることはあっても受け入れられず、「根暗、デブ、早生まればかりでない知育の遅れのある子」という扱いをうけた記憶をいまだに苦々しく引きずって、いまだに「わたしのあれこれを批判する内なる母」に苦しめられている感じです。

昨春大学卒業、就職して就職した下の娘が先週末、我が家に滞在しており
ランチや買い物へ一緒にでかけて、あれこれ話をしました。

そのなかで、何の話からか、わたしが
「母親から子どものころ、自分に対してネガティブなことを言い、それからまだ脱却できてない」
というような話をしたところ、娘が
「もう、これまでに何回も話したと思うけど、
中学校の三者面談で、ママが先生に
『娘は小学校のころの自分のできていないところを自分で認識して、それを克服しようと努力してなしとげた。それは本当に偉いと思う』
と言ってくれて、めちゃめちゃうれしかったで!」
と言いました。

たしかに、その話は何回かききました。
わたしは、自分が小学生の頃嫌だった部分は、大人になって、かなり長い時間をかけてやっと修正できたと感じていたので、子どもの早い段階で自分の嫌なところ、直したいところを認識し、どうすれば克服できるかと計画、実行した娘には素直に感心して、尊敬すらしていたのです。

娘としては
・自分の努力を母親が認め、ほめてくれたこと
・それを先生にはっきり言ってくれたこと
がとてもうれしかったようで、つよく心に残っているようです。

やはり、子どもの頃によいところを見つけてほめるというのは大事なのだなと思ったことでした。
そして、子どもを肯定的な気持ちにできた自分に、ひそかに自己満足したのでした。

ひとはつい、自分が思ったこと、感じたことと同じように相手も感じてる、受け取っていると思いがちであるけれど、実際はそうではない、ということをたびたび思い知らされます。

昨日は娘が何気なくわたしのPCを見て、小さい頃の娘が我が家の愛猫を抱いている写真を家族でのチャットアプリの壁紙にしているのに気づき
「ママ、ありがとう!わたしと猫ちゃんをこんなに愛してくれてるって、知らなかったわ!」
と言いました。

わたしはあまり子どもへの愛情を表現するほうではないし、見守っているけれども自主性を大切にして、心配しつつもあえて我慢して口、手をださない方針なので、実際よりも愛されてる感を与えていなかったかもしれません。でもこうして、すこしずつ、気づいてもらえたりもする。

そんなこんなで、娘との対話はおだやかに、いろいろなことに気づかされるのでした。


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