よく行くバーのマスターが救急搬送された話
天高く馬肥ゆる秋。
過ごしやすく、よい気候なので各地でイベントが行われているようですね。
20年ちかくちょろちょろ行っているジャズバーが京都・木屋町にあります。
狭くて小汚いけれど、壁や天井に張られた、色あせたポスターが40年以上の歴史を語る、味があるジャズバーです。
たくさんのアナログレコードが並んでいて、
かかる音楽はCDだったりレコードだったりで、古いジャズから浅川マキなど。
「こんな狭い場所で、どうやって?」と思われますが
ちょこちょこ、弾き語り、ウッドベース、サックスなどのライブもあったり。
いくつもの雑誌で紹介されている、知ってる人には有名なお店で
「店主自体がフリージャズ」
などと紹介されている記事もあります。
東京出身の店主がピンク映画の助監督だった縁から、
監督や俳優含む映画関係者や演劇、音楽をする若者まで、さいきんは外国人も多く
幅広い年齢層のお客さんがやってきては、瓶ビールを飲んだり
ウィスキーのロックを傾けたりしています。
30周年記念は、京都では有名な老舗ライブハウス「磔磔」で記念イベントが実施され、お店と関係の深い人々が個人やバンドで演奏するなか、わたしはベリーダンサーとして踊りました。
たのしかった!
そんなお店だから、
2019年9月28日(土)、29日(日)
京大西部講堂であった「渋さ知らズ」のイベントで
当然のように両日マルシェで出店、
メンバーの大半が知り合いである店主は
数週間前から張り切って計画を立てて準備をし、
26日(木)から下準備、設営などに関わっていたようです。
金曜日に誰かが、Twitterで西部講堂前でほほ笑むマスターの写真をアップしていましたが
「あれ?水曜日にウッドベースとトロンボーンのライブ見に行ったときと同じTシャツ??」
あとからきくと、やはりそのあたりから不眠不休ぐらいの勢いで
準備やら酒盛りやら、していたようです。
9月28日(土)
27日(金)に有休をとって土日と3連休だったわたしは、25(水)のライブから
休前日の26(木)の祝休前日パーリーで飲み続け、へろへろになっており
そもそも、渋さのライブチケットは取ってないし
いつものお店の西部講堂でのお祭りの様子をみたいだけなので
もーめんどくさくなっちゃった。
行かないでも、いいかな~。
という気分になっていたのですが
いやこんな機会滅多にないと自分に言い聞かせ、
お出かけと夜遊びのときにしかしない化粧というものをして
たまさか雨の予報だったので、バスにしようかよほど迷った挙句、
折り畳み傘を豊岡で買った斜め掛けバッグに突っ込み、自転車にまたがって出発。
30分強かけて、懐かしいかつての職場ごく近くの西部講堂に到着。
生協前の自転車置き場に自転車とめてずかずか、サークルの建物の適当な隙間から西部講堂のほうにはいったら、目の前にお店のブースがありました。
コロナビール、いいちこ、ウィスキー、コーヒーと干物の炭火焼きを販売している。
マスターは「やあやあ、こっちに入っていいよ」
とテント内の、鉄パイプで仕切られたお店の領域にいれてくれ、
それからマスターと仲良く、足りないもの買いにでかけたり
おつかい頼まれてコンビニにコピーとりにいったり、
あとはウィスキーの水割り注文してはだらだら飲んで過ごして
夕日が沈んでいく西部講堂の屋根の姿がいいなあと思いながら
知り合いの子と手を振り合ったり
以前ちょっとなんらかあったひととおしゃべりしたり
20時半ころに切り上げて木屋町に移動して飲み続けて午前4時ごろ帰宅しました。
9月29日(日)
そうしてまた土曜日も長時間飲んでいたものですから、またもやへろへろ。
もーめんどくさくなっちゃった。
行かないでも、いいかな~。
という気分になっていたのですが
きょうは、いつもの店に加えて、きのうはなかった友達の店も2軒出店するもんですから
やっぱりこんな機会は滅多にないと自分に言い聞かせ、
まずは、せっかく勝手に取材で松山まで行ったのだから
「坊ちゃん文学賞」にせめて応募しなければとそれに集中して
なんとか書き上げて応募してから、
お出かけと夜遊びのときにしかしない化粧というものをして
たまさか雨の予報だったので、バスにしようかよほど迷った挙句、
折り畳み傘を豊岡で買った斜め掛けバッグに突っ込み、また自転車にまたがって出発。
西部講堂に到着してきのうのように自転車を停め、
お店のブースに行くと店主の姿が見えなかったのでバイトの子に軽く挨拶して
友達の店にいくと
「マスター、昼過ぎに救急車で運ばれたの、知ってる?」
「ええっ、ほんと?」
ジャズバーのブースに戻り、バイトの子にきくと
「そうなんですよ~。
昼過ぎに、ふらふらした様子でトイレにいったまま、戻ってこないから
一緒にいたバイトのK君が心配して見に行ったら、倒れていたらしいです。
まあ、飲みすぎと熱中症みたいなんですけどね。
ここで寝てたみたいですしね。迷惑ですよね~」
とか言いながら、きびきび働いている。
まあ、73歳にもなって元気にここ数日張り切ってたから、無理もないか。
たぶん、点滴でもしてすぐよくなるでしょ。
と、その後は昨日のようにまた、あたかも店のスタッフのような様子で
しかして手伝いは一切せず
店のテリトリー内でえんえんウィスキーの水割りを飲み、
たまに、近くで店やってる子と巡回してほかの店のひととしゃべりにいったり
飲んだり、食べたりしていると、病院につきそっていたK君がもどってきた。
「5日くらい、入院するみたいです。〇〇病院の×××号室です。
マリさん行ったら、喜ぶと思いますよ。」
ちょうど、家からさして遠くない距離なので明日、出勤前に見舞いに行こうとひそかに決意して
しばらく常連客やお店のスタッフと談笑してから、帰宅。
9月30日(月)
現在の職場は、10時出勤。
マスターの入院する病院は会社と反対方向で、自転車で20分くらいか。
ネットで調べてみると、面会は8時からなので
7時40分くらいに家を出て、病院は9時すぎに出れば大丈夫かな。
と思い、7:20に目覚ましをセットして、頑張って起き
(いつもは8:20起床、しかも昨夜は結局帰宅して酔っぱらって寝て夜中に目覚めて明け方に寝たのでしんどいが、がんばる)、出発。
病院には15分程度で到着。
途中でコンビニに寄って、お見舞いがわりのヨーグルトや時間つぶしの週刊誌、
それから自分の分の朝ごはんを仕入れていこうと思っていたら、
病院の周囲にコンビニが見当たらず、あきらめてそのまま病院へ。
入り口で「面会です」と言うと、エレベータを教えてくれた。
病室のある階に行き、言われた病室をのぞくも、カーテンで仕切られてるし、
ちがう人のベッドをのぞき込むわけにもいかないし…
と、ナースセンターにもどってきくと、
「入ってすぐ右側のベッドです」
と教えてくれた。
戻ってみると、たしかにマスターが横向きに寝ている。
「おはよ~」
と言ってはいっていくと、
「あらあらあら、来てくれたんだね」
と言って、ぼちぼち話をしました。
ベッドに置いてある書類を読んでみると、
「診断名:低血糖昏睡
入院日数:3日」
となっていました。
病院のベッド横に座っていると
前夫のおとうさんの入院に付き添ったこと
死にかけの前夫を見舞ったこと
6月までつきあってたひとの入院に昨年付き添ったこと
を思い出しました。
「いや~、気がついたらここの処置室にいてね。
きのう、暑かったしねー、あのテントで寝てたんだよ。
そんなにたくさんではないけど、飲んでいたしね~。
片付けしなきゃならないんだけどね~」
「大丈夫、それは任せようよ!」
姥捨て山と言うと言いすぎでしょうが、周囲は、この病室も別の病室も
どうやら認知症の老人が多い様子。
むかいのベッドのひとは見当識障害のようで
「門しめて~!」
と叫んでは、看護師さんに
「門はないから閉めなくていいよー」
と言われたりしている。
また、隣のベッドのひとはえらい静かだと思ってたら看護師さんが
「〇△さん、起きてー。目を開けてー。朝だよ。朝ごはん食べて」
と声かけしている。
明るくしゃきしゃき応対する看護師さん、すごいなー
わたしには、無理な職業だ。
などと思いつつ、落ち着いてしゃべれないからでしょう、
店主が
「面会室みたいなところあるから、そこ行こうか」
と言い、病室を出て窓際にテーブルや椅子が置いてある、明るいスペースに歩いていくと、
右手に電話室やコインランドリーが並んでいるのが目に入った。
椅子に腰を落ち着けて、マスターが
「今日、退院できるんじゃないかと思うんだよね。
できるんだとしたら、午前中だと思うんだよね」
「そっか、そうかもね。退院するときの着替えとか、どうするの?」
「2,3日入院することになったら、家から誰かに着替え持ってきてもらおうと思ってたけど、今日だったら、ないよね」
「退院するんだったら、きれいな服で出たいよね。着てきた服、だいぶ汚れてるでしょ」
「そうだね、この(病院の)服、着ていけないよね」
「洗濯できたらいいけど、・・・あ!さっき、コインランドリーみかけたよ」
「そうなの?でも俺、そういうの使ったことないんだよねー」
「わたし、する!だから、服もってきて」
マスターが病室に服を取りに行ってる間に、コインランドリー室に行って説明を読む。
洗剤が見当たらないので、ちかくのスタッフにきくと、1Fにコンビニがあり、そこに売っているとのこと。
マスターに
「ということなので、買ってくるわ」
「わかった。病室で待ってるね」
1Fに降りると、小さなスペースに所狭しと必要品が置いてあり、さすが病院のコンビニ、フルーツサンドなどもある。
洗剤ほか、ヨーグルトやおにぎり、フルーツサンドを買って病室に戻り
洗濯を開始。
さきほどから時計をみて計算していた、
「いま、8:45で、洗濯が30分ということだから、9:15くらいに終了すると思うから、乾燥機に入れてから、わたし仕事に行くね」
と、マスターの病室に戻り、マスターが病院でもらった
病院紙などを読んでいると、巡回の医師の軍団がやってきた。
さきほども廊下でみかけたけど、なんでこんな大勢なん?
卵に研修させるためか?
と思ってたけど、実際、2人の男性医師、看護師1人、
2人の女性研修生?にベッドを取り囲まれると威圧感あるし
(研修生は申し訳なさそうにベッドの端で固まってたけど)
主に老人相手にはっきりしゃべらなければならないのが習慣づいているのか、医師の質問の仕方が詰問調にきこえてわたしは少々むっとして
「わたしの大事なひとに、なんて態度とるねん」
って顔して医師をにらみつけてたと思う。
「様子はどうですか?」
と訊かれて、マスターはいつものかっこいい声で
「土日と、イベントだったんですよ。それで、屋台やっててね・・・。
暑かったしね」
「お酒を飲むときは、なにか食べますか?」
「いや・・・あまり食べないですねえ」
「これまで、このようなこと、しょっちゅう起こってますか?」
「いや・・・はじめてです」
なんだか立ちはだかる感じの医師のなか、マスターがいつも通り
すっかり落ち着いているのがかっこよかった。
医師が「今後は、お酒は控えたほうがいいですねえ」と言い
ここで全員に、わたしを含め、笑のさざなみが広がり
「商売柄、難しいとは思うけど。で、お店ではふだんどんなものを売ってるの」
「きのうは、イベントでねえ、ビールとか、ウィスキーとか」
ここで事情・状況をあらかた聞き取って知っているらしい看護師が
「普段は木屋町のバーを経営してるそうです。イベントがあって、たまたま…」
「ああ、そういうことか!」
とようやく医師は合点した様子。
そこでようやく、
わたしにとっては老舗バーのマスターでかっこいいひとが、
医師は限られた情報から「屋台をやってる飲んだくれのおじいさん」と理解していたのだとわかりました。
「きょう、退院してもらってもいいと思ってるんですよ」
と医師のひとりがいい、詳細はまた後で、という感じで軍団は去りました。
携帯を持っていないマスターが
「きょう退院できると思うんだよね、そしたら、午前中だと思うんだよねえ。
11時くらいかな。」
「じゃあ、わたしの携帯でK君に連絡しようか?」
「そうしてくれるかな。10時半ごろに来てください、と。」
電話してみると、K君出ず。
「まあ、疲れて寝てるんでしょうね~」
「きょう、また来てくれる約束になってるから、来るのは来るんですけどね」
「じゃ、メッセージ送っておくね」
「はい、そうしてください」
そうこうしているうちに8:15になり、コインランドリーに行ってみると
あと2分、とのことだったので待ち、乾燥機に洗濯済みの衣類を投入して
「じゃあね!」と出勤しました。
10時すこし過ぎに、K君から電話がありました。
事情を伝えると
「10時半は、無理ですねー。
でも、10時半に西部講堂に集合して、みんな(どのみんなか知らんけど)で行こうって言ってるんで、大丈夫だと思います」
とのこと。
仕事が終わり、帰宅してそろそろ落ち着いたかなとK君に電話してみると
無事、退院できたそうで、よかったよかったとお風呂にはいっていると
マスター自身から、家電から電話がありました。
「ありがとうねー。無事、退院できて、いま家でゆっくりしています。
西部講堂も片付け終わったから心配しないでいいと。
月、火お店休んで、ゆっくり休むね」
とのことで、一安心。
週末中に、マスターの顔みにいこう。
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