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年末に鹿鍋を食べて思うこと

年末は自由に過ごしている。

今年は上の娘一家が遠くへ引っ越してしまったので
夫と、一人暮らしの家から年末を過ごすためにやってきた娘の3人。

しきたりに厳しく、やれ大掃除だおせちだなんだかんだきちんとしろという親から逃れて、家族それぞれ、自由に好きなことをして、ときに一緒に散歩したり団らんしてたのしく過ごせているのがとても幸せだ。

30日のきょうのお昼は鹿鍋を囲んだ。

北海道の「むかわのジビエ」、女猟師さんが仕留めた鹿を心をこめて解体して、スライスしてくれたものだ。

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昨年知って、昨年に引き続いて注文したのだ。
柔らかく、脂身たっぷりなのにあっさりして滋味あふれる鹿肉を
たくさんの野菜といただく。

我が家では、どんな鍋をするときでも
「日本昔話」にでてくるような、囲炉裏にかかっているような大ぶりの鉄鍋だ。

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それがみかけから、鍋を美味しくしてくれる。
子どもたちもこの鍋が、この鍋で食べる鍋料理が大好きだ。

だしの昆布は鍋に水をいれて浸しておき、
具材をいれてもいれたままだ。

鉄鍋も、入れたままの昆布も、玉井さんの真似をしている。

いまでこそ、「昆布は長時間いれておいたほうが味が出る」
と科学的に証明されたとどこかで読んだけれど
(温度とか、時間とか一定の条件があったとは思うが)
15年ほど前はまだ、「沸騰寸前でひきあげる」のが常識とされていた。

まだそんな時代でも、隙間風の流れ込む、風呂のない宮川町のちいさな町家で玉井さんは鉄鍋に最初から最後まで昆布を入れたまま、
大きな竹のざるに用意した具材をどさりどさりとほうりこみ
こたつの真ん中に置いたコンロでくつくつと火を入れ、
わたしは玉井さんの部屋に身を寄せているテント芝居の劇団員のひとたちと一緒に
壁際に並んでいる一升瓶から残っている日本酒を湯呑に注いで飲みながら、はふはふと食べたものだ。

一階が土間の細長い台所と一間、二階に二間の畳部屋。
なんでそういう流れになったのか忘れたけれど、
子どもも一緒に二階の畳にたくさん布団を敷いて
劇団員のひとたちと雑魚寝した。

もう平成の世だったけれど、
玉井さんには昭和の中頃のような経験をいろいろとさせてもらった。
軽トラで飛騨高山まで行って、ヒッピーみたいなおじさんたちと
大きなのっぽの古時計がある昭和な畳の四畳半で飲んだり…

部屋数はあるけれどゴミと本に埋もれたぼっとん便所の友人の家で
家の隣をながれる小川のせせらぎを昔ふうの窓ガラス越しにききながら
古くて汚いソファに身を預けてJAZZの名盤をアナログで聴いたり。

けれど宮川町の持ち主のおばあさんが亡くなって、
ありがちな話、相続した子ども(といっても大人だろうが)から
玉井さんは追い出されたらしい。

わたしには人間的魅力のある、
分厚い手で大地を感じさせる芸術家の玉井さんだったけれど
ほうぼうで詐欺まがいのことをしていたそうで
「迷惑をかけられた」
というひとがぞろぞろ出てきて京都から出て行ったときく。

いまでも木屋町に飲みにでかけると
玉井さんを知っているひとたちと話をすることがある。

かれの評価は二分していて、
「おもしろいひとだったよね」
というのと、
「迷惑をかけられた」
というのと。

よくいくバーのマスターは
「お金ないって言われて、200(万)くらい貸したんだけどねえ」
と言いつつ、懐かしんでいる様子。
「わたしは、こういうことでお世話になって、飛騨高山にも連れて行ってもらって、食べさせてもらったんだ」
と言うと
「じゃあ、それに俺の金も使われてたのかな、ハハッ」
とさすが懐がふかい。

おんなじひとでも、みるひとによって、立場によって、よいひとだったり、悪いひとだったり。
玉井さんには、そういうことも学んだ。

いまごろ、どうしているだろうか。

年末はなぜか、しんみりする。


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