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どうして私はすぐ正解を求めるのか?ググって分かってもできないこともある

4年前の2月からイタリアで合気道を始めた。そこで気づいたことがある。私は他のイタリア人(含ルーマニア人)よりも、ある質問が多いのだ。それは「これであってる?」という質問だ。他の生徒たちは「どうだっけ?」とブツブツ言いながらも、とりあえずやってみる。まぁみんな大体なんとなくできないんだけど、それでもやるのだ。でも、私は一つ一つ合っているかつい聞いてしまう。

最初は先生の説明が聞き取れないから、何度も確認していると思っていた。しかし違っていた。私は何よりも、間違えたくないから、何度もあっているかを確認しているのだ。最短距離で正解にたどり着きたいのだ。

突然のクイズ!日本とイタリアの料理雑誌。どっちがどっちだ?

正解・左側イタリア(salepepe) 右側日本(暮らしの手帖)

イタリア料理のレシピは簡単だ。材料・切る・焼く・皿に盛る。ものすごく複雑なものでも5ステップくらいで説明がしてある。一方、日本のレシピの丁寧さはどうだ!絶対に間違えないように。小さなところまでもれなく説明してくれる。もちろん、出汁をとったりとか日本料理の複雑さにおう部分もあるんだろうけど。

もちろん、イタリアの料理雑誌でも懇切丁寧に説明してくれるページもある(主にスイーツ)。けど、日本の雑誌ほど工数は多くない。あと、ここがポイント!っていうサービスはまず無い。イタリア人にレシピを口頭で習うと適当さにびっくりすることが多い。「材料を切って、オリーブオイルで炒めて。そこに○○を入れて蓋をして煮る」とかそのくらい。それでも教わった方はその適当なレシピからなんとなく料理を作れちゃったりするのだ。

気付いてしまった。私たちは、丸暗記することを学習と呼び、丁寧な説明満載のありとあらゆるマニュアル(レシピ・ゲーム攻略・スポーツ・投資・・)に囲まれている内に、何にでもそこに最適解が存在すると思い込んでいる。そんなものは存在しないのにだ。
だから私は合気道の先生に一挙手一投足を尋ねるような人間なのだ。答えを教えて貰えば、なんでもできると思ってしまうのだ。答えを教えてもらっても、体がついていかなければきれいに技をかけることはできないのに。

重要なポイントだの 便利なヒントだのを教えてもらっている内に自分で経験して(失敗して)学ぶっていうのを、置いていってしまったガリ勉野郎がわたしだ。高校生ウルトラクイズは予選で敗退だ。

教えられた通りにできなければ、「どこを失敗したのだろう?」と考える。そして、「この説明じゃわかんないよ。説明が下手だな」と相手に責任転嫁してしまう。で、もっと解りやすい説明を求めてググる。そのくせ人(子ども)には「自分で考えないとダメだよね」とか言っちゃうし。これはあかんでしょう。

ということに気付いた昨年末。残念ながら、すぐに正解を求める癖を止める方法はまだ発見していない。自己啓発的な良いことを書いてウケたい気持ちはたくさんあるのだけど(いつか、アフィリエイトでガッツリ儲けたいから)。

が、多分 失敗経験を増やすという ごく当たり前のことでしかないんだと思う。早回りなんかはないっていうごくつまらない 悲しい結論。早く前に進みたいのに・・・。恥の数だけアンパンが貰えるとかそんな特典でもあればいいのに。

おわり

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