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荒木飛呂彦『魔少年ビーティー』

18歳の春、仙台にあるデザイン専門学校の見学に行った際、玄関横のロビーにあるソファで待つ間に渡されたのは「ジョジョの奇妙な冒険」のコミックスの束だった。
「当校の卒業生の作品です」
漫画読みなら知らないものはいない荒木飛呂彦とのそれが初めての出会い…というのは嘘で、「ジョジョ」の第一部も僕は「少年ジャンプ」でリアルタイムで読んでいたし、なんならその前のいくつかの短い連載作品もほとんどすべて読んでいた。その中で印象深かったのが『魔少年ビーティー』である。

物語は平凡な同級生・公一を語り手として進んでいく。そのスタイルや「コーイチ」という名前は「ジョジョ第四部」の導入のプロトタイプとなったと考えられる。ただし、こちらのコーイチ君は杜王町の康一君のように覚醒することはなく、目撃者であり語り手にとどまる。公一が目撃するのは「ビーティー」と呼ばれる少年の「お手並み」だ。

ビーティーが駆使するのは頭脳トリックである。しかも悪巧みだ。非常にテクニカルに巧妙に、あらゆるやり方で相手を追いつめ、懲らしめていく。彼が懲らしめるのはクラスメイトを暴力で脅すいじめっ子であったり、鼻持ちならないイケメンクソ野郎(失礼!)であったり、強制収容所の所長になりきって犬猫を虐待するキチガイ(またまた失礼!)のおっさんであったり、サイコパスの警備員であったり、車にわざと当たって被害者を装い相手の家に巧妙に入り込んで家を乗っ取ろうとするクソガキ(失礼!)であったりする。つまり、毒を持って毒を制すがごとく、ビーティーの相手は彼以上の「制裁されるべき悪」に限られるのである。ビーティーはいわゆるピカレスク・ヒーローなのだ。そしてビーティーの友人である公一も、すぐそばで見ていたがために巻き込まれ、一種の共犯者となっていく。

なお、「ビーティー」というのは少年のイニシャルであると作中では語られている。「B.T」というわけだ。僕はいつかの時点までアメリカの俳優のウォーレン・ビーティーから取ったのかなと思い込んでいた。けれどもそうではないらしい。荒木飛呂彦本人のコメントがある。

「特定の人とか名前から取ったというわけではありません。T(ティー)で終わるイニシャルが格好いいなと、以前から思っていたんです。で、そこにアルファベットを順番に付けていくと、エーティー…ではいまいち。ビーティー…なんか良い感じだな。で決めました。」

『魔少年ビーティー』は当時は人気が出ず、連載も10話で終了。単行本も1巻を数えるのみである。

そしてこの連載の後に荒木氏は杜王…いや仙台から上京、数年後にシリーズ累計発行部数1億部を超えることになる大大大ヒット作、あの『ジョジョの奇妙な冒険』を描き始める。

やぶさかではありません!