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自分の中の他人

もし自分の中にいる他人の目を
完全に気にせず生きていけたなら
我々はただの「自分」としてのびのびと生きれたはずだ

何があっても他人の事例と比較することなく
悲劇ですらもそういうものだと受け容れて
現象そのものを楽しむことができたに違いない

もし他人の中にいる自分を
完全に気にせず生きていけたなら
こちらもまったく同じことだ
他人に映る自分の像からもっと自由でいられたらいい

言葉から言葉の奥をさぐり
表情から表情の奥をさぐる
見えないものを見ようとするのが
人間同士のコミュニケーションだから
人間はその鎖から自由にはなれない

いったい自由とはなんだろうか

人間の類型
粒子のように多数存在する人間の一粒
それが私でありあなた
天から見たら動く点Pにしか見えないはずの
ちっぽけなこの我々だが
その自意識はよほど高いところにある

現象そのものを見て
現象そのものに浸って
現象そのものから遠く離れて
自分というものを自分自身から遠く追いやる
「自由」とはそんなイメージだ

もっとわかりやすい言い方もできる
例えばこのエントリである
「、」や「。」などの句読点
これらを入れずに書いてみようと思っただけで
一気に詩のような文になる
句読点がなくなるだけで書き方が変わる
文章のリズムも変わる

ちょっとしたことでいつもと違う形が生まれる
それはなんとも自由ではないかと思う

やぶさかではありません!