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小春日和警察

書いていくことにする。

この「書いていくことにする」というのは、岩明均の漫画作品『ヒストリエ』についておそらく最も緻密で詳細な分析をしているこちらのブログのお決まりの冒頭文である。

しかし『ヒストリエ』はいっこうに新刊が出ない。自分がいま漫画の新刊を心待ちにしているのはこの『ヒストリエ』と沙村広明『波よ聞いてくれ』とオノ・ナツメ『BADON』の3作品なのだが、『ヒストリエ』は圧倒的に刊行ペースが遅い。作者の岩明氏の年齢を考えると、おそらくアレクサンドロス大王の死後の後継者争いであるディアドコイ戦争までは行き着かないであろうと思われる。まあ史実はある程度残っているので、物語が終わってしまった後のことは想像するしかないだろう。

ところで、冒頭の「書いていくことにする」のような決まり文句は重要である。これはラジオやポッドキャスト、あるいはテレビや動画におけるオープニングジングルにあたるものであると言えばいいだろうか。見る側にとっても気持ちのスイッチが入るのである。
他の例としては、オススメのYouTubeチャンネル『ジオヒストリー』の冒頭の決まり文句「ことの始まりは〜」がある。必ずこの一言から動画が始まるのだ。このチャンネルはとても面白いし、歴史についての理解が絶対に深まるので歴史好きにはかなりオススメ。


そう思えば、アニメ作品などのオープニング曲というのも同じ役割かもしれない。昔は「アニメのオープニング、いるか?」と思ったりもしたのだが、子どもの頃はそれによってワクワクした気持ちが盛り上がり、本編を見るための良い準備になっていたように思う。ただ、アニメの曲自体はどうしても子どもっぽく(子ども向けなのだから当たり前なのだが)、少々気恥ずかしさを感じていたことも事実である。

歌はいい。何とかの生み出した文化の極みである。かねてより、歌というものの存在は面白いと思っていた。まず、人が音声を発することができるのは人体的な基本機能である。そこにメロディという概念が加わり、意思によって声をメロディに乗せることで、今風に言えば「エモさ」が発生する。心地よいバイブレーションを揺り起こし、人の心に訴えかけるのである。「メロディが気持ち良い」というのはどうやら人類共通のコードであり、太古の昔から歌が果たしてきた役割を思うと、それは前提的に人間の中にインストールされたものであると思われる。

そして歌は紙一重だ。人が歌うことは、忘れがちだが「変なこと」である。歌うことを変と感じさせないのは段取りがあるからだ。段取りというか、納得できる文脈に沿ってステップを踏むことで、人が歌うこと自体の違和感は取り去られる。皆が「ここは歌うところ」という認識を持つことで、歌うという行為は正当化されるのである。

と、まったく何を書くか決めない状態で書き始めたらこうなってしまった。指の赴くままである。

今日は20度を超える暖かさで、春の日という感じである。こういう時に「小春日和」という言葉をつい使いたくなってしまうが、小春日和は11月の暖かい日を指すのであって、11月以外の時期は小春日和とは言わないらしい。言ってみれば小春日和とは、11月の登録商標みたいなものであろう。

ちなみにTwitterだが、凍結解除する気はないらしい。このまま締め出されたまま戻れない可能性も十分にあるので、そういう心持ちでやっていくしかないだろう。長くやってきたし、非常にたくさんの人に読んでもらってきたので惜しくないといえば嘘になる。ここから出来た良い関係も本当にたくさんあるし。だが、Twitterだけがソーシャルではない、というのも事実だ。
とりえず今はここnoteか、マストドンにいますという告知はしておこう。


やぶさかではありません!