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まえがき『日本だんじり文化論』

まえがき

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地車(だんじり)とは何か。

 地車といえば大阪の岸和田祭が有名であるが、地車が生まれたのは天神祭をはじめとした大坂の夏祭である。組物(くみもの)で支えられた唐破風(からはふ)の屋根を備える地車を見て、神社の社殿を連想する人は少なくない。ところが、地車の原型は船である。それもただの船ではなく、江戸時代に淀川を往来した豪華絢爛(けんらん)の川御座船(かわござぶね)が地車のモデルである。地車の周囲に巡らされた波模様の飾幕(かざりまく)や彫刻、和船用語や舵取の手法など各地の地車にも船の記憶が多く刻まれている。風に舞う吹流(ふきながし)は、まさに船の象徴である。

 今では地車の随所に花鳥風月、日本神話、軍記物などの彫刻が施されることが多いが、当初は粗末なつくりのものが多く、地車は、俄(にわか)と呼ばれる滑稽寸劇を披露するための移動式芸能舞台であった。

 時に七十台を超える地車の宮入りがあった天神祭をはじめ、大坂の各神社の祭では多くの地車が曳き出された。大流行の地車の需要に応えたのは、地車貸物屋であった。

 全国の都市祭礼の起源を京都の祇園祭に求める向きもあるが、地車は、祇園祭の山鉾とは、まったく系譜の異なる大坂独自の文化である。思えば、ダンジリというのも不思議な言葉である。本書で話題の中心となるダンジリは、唐破風二棟造で四輪の形態を採ることが多い曳車であるが、地域によっては、太鼓台や船型曳車をダンジリと呼び、時代を遡れば稚児の舞を意味する。

 以上、多くの皆さんにとって初耳と思われる「史実」のいくつかを紹介した。

 これまでの地車調査は、製作年、大工や彫刻師の系譜、地車の形態や彫刻の題材など、個々の地車に関するものが多く、地車の歴史文化を体系的に捉えたものはなかった。学術研究者による論考も皆無である。これは、市町村史にたとえるなら、何巻もの資料編は刊行されているが、本文編の刊行は企画すらされていないという状態であった。

 本書は、このような地車研究の現状を憂い、史料分析とフィールドワークを駆使して、摂津・河内・和泉国、瀬戸内を中心に広がる地車文化圏を、時間的、空間的に包括して捉え直し、地車研究を次の段階に推し進めようとするものである。

 第一章「地車の誕生」では、地車の原型は、江戸時代に淀川を往来した豪華絢爛の川御座船であり、俄と呼ばれる滑稽寸劇を披露するための移動式芸能舞台として生み出されたことを明らかにする。

 第二章「地車の隆盛」では、享保から明治までの百七十年にわたる天神祭の地車宮入り番付と、大坂町奉行から出された触(ふれ)と達(たっし)の分析を通して、江戸時代の大坂の地車の姿を蘇らせる。

 第三章「地車の展開」では、摂河泉・瀬戸内を中心に伝播し多様に展開する地車の形態変化のメカニズムを、地域や時代ごとに異なる芸能・曳行・造形に対する志向性に注目して明らかにするとともに、各地の祭の具体的な紹介を通して、地車文化の魅力に迫る。

 終章「神賑(かみにぎわい)の民俗学」では、神事と神賑行事の定義を行ない、祭の実態を把握するに際しての、「神賑」という概念の有効性と不可欠性を論じる。

 前著『日本の祭と神賑』(創元社)でも述べたように、祭は、厳粛な神事と、娯楽的要素の高い神賑行事との絶妙なバランスの上に成り立っている。祭の核となる神事の重要性は自明であるが、同時に、乱痴気騒ぎを伴う神賑行事も、祭を継承していくための大きな原動力として欠かすことができない。

 地車は数ある神賑行事の祭具の中でも独特の熱気を帯び、その非日常性の度合いが、多くの人々の祭に対する概念をも超えるからであろうか、全国的にも注目度が高い。時にその荒々しさが批判の対象となることもあるが、それは何も今に始まったことではない。地車が生まれて三百年。以来、数々の規制に抗いながら、人々の楽しみと喜びの受け皿となり、祭に活力を与え続け地域を支える地車。本書では、このような地車の魅力に、歴史的、文化的な説得力を持たせたい。今よりさらに地車が好きになる、地車談義に花が咲く、未来の子供たちに語りたくなる、そのような一文を、本書の中に一つでも発見していただくことができれば、筆者として幸いである。

                              森田 玲

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