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幸せになるための思考パズル

はじめに

この文章の目的は、幸せになる考え方を見つけること
ゴールは、試行錯誤の過程を言語化すること

幸せになりたい

私は幸せになりたい
そのための方法をちょっと見つけられたかも?って思ったから、備忘録として書いておく
誰かの参考になったら嬉しいから公開しておく
意見やアドバイス、読むと理解が深まりそうな本などあれば教えていただけると本当に大変助かる

幸せになる方法の1仮説

幸せになる方法は人の数だけあると思う
その中で、幼少期に愛を感じられず完璧主義のまま大人になった私が幸せになる方法の仮説を立てた
ちなみに、私は怪しい考え方や強い依存などで幸せになれるタイプではないという自覚があるので地道な方法を取っている

今の仮説では、以下の2つを自分の中で納得できれば幸せになれると思う

  1. 私は凡人である

  2. 人々はみな私の味方である

そう思えないときはどこか自分の考え方を変えて、この2つにたどり着けるようにするのである
今できなくてもやり方がわかっていないだけでできるようになると思う

ただ、人生の目的は幸せになることであり、これはその1手段でしかない
だから、別に他の方法があればそれを取ればいいのである

私は凡人である

自分は特別な存在であればあるほど、自分への期待値が高くなり目標も高くなる
目標が高いことは悪いことじゃない、ただ低いほうが達成しやすいから自己肯定感が上がりやすい
期待値や目標が低くてもサボっていることと同義ではない
実際に今まで立てた目標は、高かっただけで達成できていないだけじゃなかったか?
でエネルギーが高く、多くのことをこなす凡人を目指すのではダメなのか?
凡人として小さい目標をコツコツクリアした方が自己肯定感が上がって、ネガティブになりづらい
これだけでも今までよりも幸せに近いと思う

特別でありたかった、完璧でいなければならなかったのはわかる
そう思わなくていい理由は、次の「人々はみな私の味方である」で説明する

人々はみな私の味方である

これは書籍「幸せになる勇気」の受け売りである
人々がみな味方であったら、どんなに世界が平和に見えることか
そう思えたらいいけれど、そんな考え持てるわけがなかった

私が特別でなければならなかったのは、愛されるため
愛されるには、痩せていて頭のいい子である必要があった
実際周りがどう思っていたのか知らないけど、私がそう思っていたのは事実
でもそんな特別な条件は必要なかった
特別な条件が必要だった理由は、人々がみな私の敵だったからだ
敵に味方にするには、絶対に特別である必要があった

特別でいる限り、私は凡人であるとは思えないし、人々はみな味方ではない
ではどう思ったら、特別でなくても敵を味方にできるか?

以前の私の中の味方と敵の定義は言語化するとこんな感じだった
味方の定義は、友好的な行動をとってくれる人
敵の定義は、友好的に接してこない人

これでは相手から行動しない人はみんな敵なのである
実際は相手から友好的に接してくれる場合、相手が悪い人であることも多い

だからこう変えた
味方の定義は、危害を加えない人
敵の定義は、危害を加える人

すると感覚的に10%くらいだった味方が一気に98%くらいになるのである

こんなに味方がいるのに、特別である必要ある?
特別でいたらいいことってなんだっけ
私にはもう思い出せない
今は世界でただ一人しかいない私であればそれでいいと思える

おわりに

私にとって人生とは、今幸せだと思える考え方を組み合わせてパズルを解く日々の積み重ねである
今の自身を幸せにする行動をできるような考え方を見つけていく
見つける行動をできないなら、今は充電してエネルギーを蓄える時期だ

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