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Φ(ファイ)の部屋

 存在しないことや存在しないものを、名前を付けて呼ぶことによって、そこにファイの概念が生まれる。
 
 例えば「非存在」ということばは、「存在を否定することば」として概念的に「存在」しているが、「非存在」というものが「存在」しているわけではない。ゆえに、「非存在」という実体自体も「非存在」であると言える。

 例えば「解のない方程式」や「解のない連立不等式」に、「解なし」という「解答」を与えて「問題を解決」している。

 例えば「死」とは、「ある生命体が生命活動を終止する」という概念を用いて「生」を表現している。厳密にいうと、「生命体は死を体験できない」という事実。なぜなら、死んだその瞬間に、体験すべき主体の生命活動が終わっているから。人が唯一体験できるのは、「生」のみ。それが証拠に、「死ぬって、どんな感じ?」っていう質問に答えられる生き物は、今のところ、この世には存在しない(私は聞いたことがない)。故に「死」とは、ファイの概念である。「生」は実感できても、「死」については実感することはできない。だから、本当に自分の生きる意味を知るためには生きるしかない。できるだけ、それぞれの人が死なないようにすることしか、私達に残された道はないのである。その先にある「死」と「死後」については、あとに残った者たちに大方、委ねてしまえばいいと割り切って、自分は可能な限り生き続ければ、とりあえずはそれでいいということになる。

 最後に、例えば「ハッシュタグ」に「ファイのタグ」を付けてみよう。

 #Φ #φ #ファイ #空集合 #循環論法 #トートロジー #解なし #存在しないタグ #無意味なタグ #あってはいけないタグ #ありえないタグ #見えないタグ #検索不能なタグ #タグではない #非タグ #このタグは意味がないのでタグとは言えません
 
 全く、Φである。