ことば遊びは音遊び
はじめに
いきなりですが、「ことば遊び」は好きですか?「しりとり」「なぞなぞ」「回文」など。クロスワードみたいにパズル的な、ちょっと難解なものもありますが、小さな子どもから大人まで一緒に遊べる知的な遊び。
これらの遊びは、音韻意識を高め発達させるのに非常に効果があるそうです。最近では、小学校の国語の教科書において、言語学習領域の単元内容としても、しっかり組み込まれています。いわゆる、文部科学省のお墨付きでもあります。
短歌の中のことば遊び
実は、短歌の世界にも、この「ことば遊び」を使った修辞法があります。代表的なものは、「掛詞」、「物の名」そして「折り句」の三つです。掛詞は、「ダジャレ」に近いもので、例えば「まつ」と書いて「末」「待つ」「松」などと複数の意味をもたせるもの。「物の名」もダジャレに近いものですが、これは歌の中に「ことば」を隠して読み込むもの。よく読めば、そのことばの音が歌の中にそのまま隠されているものです。代表的なのは「黒髪やかはるらむ」のなかに「くろ・かみやかは・るらむ」で途中に「かみやかは」(=「紙屋川」)を隠すというようなもの。「折り句」も、歌の中に言葉を隠すものですが、こちらは通常五文字のことばを、句の切れ目(句頭=「冠(かぶり)」か、句末=「沓(くつ)」)に揃えて、一音ずつ散らすように入れて作ります。ですから、五文字のことばを折り込むことができます。折り返して「冠」と「沓」の両方を使えば、十文字のことばや短文も入れられます。教科書にも載っている有名な歌、古今和歌集の伊勢の歌を例にあげると。
から衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞ思ふ
見事に「かきつばた」を詠み込んでいます。
これらのうち、「掛詞」は古典短歌においては代表的な修辞法で、三十一文字の限られた少ない音数をできるだけ有効に使うための手段として、多くの歌で使われています。一方残りの二つは、まとめて「隠し題」とも呼ばれ、これらは、明らかに知的でお洒落で遊び心に満ちた技法と言えます。
余裕がある時に試してみる
これらの修辞法ですが、現代短歌では、あまり使っている人を見かけません。歌会などの題詠形式で出されたものを除けば、自由詠で「物の名」や「折り句」を詠み込む人は先ずいないと思います。理由の一つは、面倒なことになるからです。つまり、わざわざ「縛り」を増やすことになり、結果、自分で自分の首を絞めることになりますから。というわけで、余裕のある時に試しにやってみるといいかもしれません。また、投稿する時に、説明を入れるか、あるいは説明なしでも、それとわかるようにしておかないと、完全にスルーされることも多いので注意が必要です。僕は何度もそういう経験をしています。
歌の内容やテーマがぼやける?
技巧にはしると、内容表現やテーマがぼやけてしまうという、なんとも皮肉な傾向。言葉が音に限定されて、表現の幅が狭まるため陥りがちなことなんですよね。でも、それも気にせず詠っているうちに、段々と慣れてきます。そして、むしろ、出来上がった達成感のほうが強くなっていって、愛着もわき、自分では意外に忘れ難い歌になります。僕は、かっこいい完璧な歌を目指すよりも、自分でその歌を作ったときの状況も含めて記憶に残る歌を作ることのほうが大事だと思っていますので、「折り句」や「物の名」の歌は、機会があればいつも作るようにしています。幸い、僕の筆名は「しのわかや」で五文字ですので、「折り句」にすることがあります。ただ、短歌の投稿サイトで自分の名前を折り句にするのは、僕の中ではご法度なので、あくまでブログ投稿や自分の創作ノートの中でのことに限定されますけど。他に、「あきのよる」とか「さむいあさ」とか「ははこぐさ」などなら、問題ないのでよく読み込むことがあります。当然、ほとんど誰からも指摘されず、スルーされてます。それくらい、黙っているとわからない暗号みたいなものですから。
セキュリティ対策にもなる?
あと、余談になりますが、ネットの投稿短歌の中に自分だけがわかる五文字のキーワードを折り込んでおくといいですよ。ネットでの短歌の盗作を発見するためのセキュリティ対策になります。結構、盗作ってあるみたいですよ。ただし、それ相応の作品ということでしょうから、僕に限っては要らない心配かもしれませんけど。ははは。まあ、冗談はさておいて。先程も述べましたが、自分の作品への愛着がわくというのは確かなことですので、まだやったことのない人はぜひ、お時間のある時に取り組んでみてください。最後に、僕が作った「折り句」の短歌を一つ。
◯静かなる 野に独り立つ 忘れじの 霞の中の 優しい光
しずかなる
のにひとりたつ
わすれじの
かすみのなかの
やさしいひかり
私之若夜(しのわかや)でした。