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短歌アイデア帳005「改行」

短歌の表記(その3)

 またまた、素朴な疑問。改行って、自分の好きなようにしてもいいのかな?
 答えを先に言ってしまえば、「表現の工夫として認められている。」です。ただし、ネットの投稿では、多分、表示するのにいろいろ面倒なことが起こるので一行表示にしているところが多く、当然ですが、一行で画面の表示幅に入り切らない部分は次の行へ自動改行して表示されます。要するに、自分では改行が出来ない設定になっているので無理でしょうね。ところが、空白を入れてこれをやろうとしている人を見たことがあります。さすがにそれは無茶苦茶ですよ。気持ちは分からなくもないですがね。複数行表示に受付・対応しているサイトや歌壇なら、規定や用紙などに記載があるので、それに従って投稿すればいいとは思うのですけどね。従って、意地を張らず、一行構成で投稿しましょう。ただ、そうは言っても、自分のブログやインスタグラムなどにアップするときは、そうしたいと言う人もいるかもしれませんね。実は、僕もそういう時が結構ありますが、それはそれで、全く問題ないと思いますので、必要に応じて自信を持ってやりましょう。


過去にやっている歌人を調べてみた

 じゃあ、実際に今まで過去に、やっている人はいるんでしょうか。どんな感じか知りたいですよね。そこで、またまた登場するのが、窪田章一郎・武川忠一編「現代短歌鑑賞辞典」(平成10年5月15日、第15版、東京堂出版)です。開いて、ざっと見てみると、まずは、石川啄木(いしかわたくぼく)です。有名な三行書きの表記。他にも、石原純(いしはらあつし)、矢代東村(やしろとうそん)、渡辺順三(わたなべじゅんぞう)など、複数行表記で書かれた短歌を作っています。他にも、一貫性はないものの、必要に応じて、一行書きとニ〜四行書きを使い分けている歌人も見られました。理由を考えてみると、やはり、ヨーロッパの詩の影響を受けている傾向が大きく、短詩の雰囲気や形式を持たせて表現したいという意図が感じられます。


現代短歌で複数行に書く目的は?

 では実際に、複数行に分けて表記することが認められている(あるいは表現上、自由にしてよい)場では、どういった目的で使われているのかということが、さらには気になる点です。いろいろな考え方があるかもしれませんが、一番に思い浮かぶのが、文の切れ目を意識して行を変えるというもの。これは、したくなる気持ちはわかります。ある意味、「空白(スペース)」や「句読点」と同じです。改行したほうが、却って読みやすく、すっきりすることだって結構あるんじゃないですかね。
 ただ、もう一つ別の見方をすれば、先にも述べたように、改行するということによって「短詩」としてのスタイルを強調(アピール)する効果はあります。要するに、「詩」との境界線を無くす印象がそこに生じるということです。これは、「短歌」であるけれども同時に「短詩」でもあるのだという主張とでも言えばいいんでしょうか。多くの詩論や歌論の中でも、啄木の短歌については、西洋的な「詩」の概念がそこにも働いているというような指摘をしている学者さんもいますしね。だから、現代短歌においても、それは十分な表現上の目的として認められるというわけです。

まとめ

 実は僕は、短歌は一行で通常書きます。逆に短詩は一行で表記しないようにしています。短歌も短詩も両方書くので、自分の中で混乱してしまいますよね。だから、便宜上そのようにしています。短歌を詠む人、詩を作る人、両方やる人などそれぞれにそれぞれの事情と言うか、信条と言うかあると思うので一概には言えませんが、表現の自由として「行数表記」も自分の意思や目的で決めるというのが文学や芸術の精神として一番自然なことだと僕は思います。