見出し画像

#逃避

法律事務所のドアを開き、目の前に現れたのは
背筋がピンと伸び、整いきっていないショートヘアをかきあげる
50代辺りの女性弁護士だった。

話の端々でメモをとり
ひとしきり話し終えると、サッと席を立ち
戻ってきた手には書類の束が見てとれた。

一つ一つ、説明を加えながら
これから私の身に何が起こるのかを教えてくれた。

「自己破産の申請を今から始めますから。明日から一切督促の連絡が
くることはありません。」

ぴしゃりと告げた。

そして、差し出された書類に氏名や住所を書き込んだ。

「離婚後の状況にも手を加える」と言っていた作業も
同時に進められた。

「日中、全員でなくともお子さんを連れて家を出ることはできますか?」
と尋ねられ
「子供を置いてはいけません、、、」と呟くと
「命に関わる可能性も大いにあります、現状では警察も動かないでしょうし
   可能であれば、あなただけでも先にセンターへ行ってください。
   それなら、お子さんを何らかの理由でご主人から離すことができるでしょ     う。」

法律事務所を後にしたとき、どっと疲れが出た。
それと同時に、何かを変えられる可能性は自分の行動次第でもあるんだと
初めて感じた。

自宅へ着くと彼がもう帰宅していた。
日中、必ず子ども一人は同行させ、車でそこかしこを
走り回っているようだった。
他の子どもたちは私の母の所にいて
当然のように母の所にも、私にしたように見回りを欠かさなかった。

「仕入れに時間かけ過ぎだろう」
「ごめんなさい。地元だし友達に会っちゃって。つい話し込んじゃった」
「おい。余計な事、考えるなよ」
「わかってる」


2月の冷たい雨が降る日

一足先に店行き、仕込みをしていた。
しばらくすると店の裏戸が勢いよく開いた。
すぐさま察知した「何かある」と。

目先には怒りに満ちた彼の顔があった。
足元に投げ捨てられた封筒は
弁護士と共に揃えた書類が入ったものだった。
あれだけ納戸の奥にしまい込んだはずなのに。

もう後はされるがままだった。
店の隅から隅まで転げまわり殴られ続けるだけだった。

一通り気が済んだのか、何をしに行ったかは知らないままだが
彼は店を後にした。

もう限界だった。

子どもたちのことが頭をかすめたが
ただもう限界だった。

土砂降りの中、とにかくこの場を離れなければと
一心で走った。
「逃げなければ」と。

そんな中、一つを思い出した
「離婚したいと」告げたあの日から
様々なことがあった。
一晩宿を取り出掛けたある日、彼が静かに口にした
「一緒に死のう」
その言葉を愛と思い、いっそ死んでいれば楽だったかもしれない。
「それはできない」と聞いた彼は
少し笑って、その日は怒りに狂うこともなく
私を抱きしめて眠った。

それでも、もう私を思い留まらせるものは
何もなかった。

途中でタクシーを拾い、シェルターへ向かった。
すぐに保護され、子ども達の保護を含め
しばらくシェルターで過ごすことになると説明を受けた。

傷の手当をしてもらい、手続きを終え
被害届の提出を尋ねられ「はい」と答えた。

身体中に痛みが残る中、シャワーを浴びて
準備された布団を敷き横になり
残してきた子ども達への罪悪感に押し潰されそうになりながら
瞼を閉じた。

いつもならこの暗闇が怖くて怖くて仕方なかったが
きっと今夜は安堵できるだろう。

この先の道は、まだ何も見えない。




まだまだつたない文章ですが、皆様のサポートが励みになります。 宜しくお願い致します。