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自己紹介

今更なのですけれど、自己紹介を書こうと思います。
ものすごい人生を歩んできたわけではなく、
どこにでもいる普通の主婦ですけれど、どこにでもいる主婦だからこそ
刺さるエピソードがあるのかなぁなんて思ったりもするのです。

1mmも刺さらないかもしれないけどね。

下書きがありません、行き当たりばったりで書いていきます。


エピローグ

昭和のうららかな日曜日、私は港町に生まれました。
予定よりも早くこの世にやってきたら入院期間が伸びたとかで、母親に「あなたは生まれた時からお金のかかる子だよ」と言われて育ちました。
悪意はないのだけれど、言われるたびに「そんな時に生まれてごめんなさい」という、自己肯定感ゼロな卑屈人間が出来上がりました。

医者の予言

私はこの歳になるまで2回死にかけてます。
一度目は1歳になる頃に車に跳ねられ、2度目は3歳くらいの時に病気が悪化して気づいたら変な箱の中にいました。(保育器のような箱に(多分)頭だけ入ってる)

謎に病弱だったため手術を勧められるのですが、祖父が「傷が残る手術なんてさせない!」そいういって手術を断ります。
断った腹いせなのか
「二十歳まで生きないからッ」(要約)
と医者に予言されます。

今思うとひどい医者、さすが昭和。

成人を迎えた時に母と「生きれたね」と、あの時の医者に勝った気持ちになりました。
余命の倍以上生きてます。

寂しい幼少期

前述のように病気がちだったので病院にいる記憶しか残っていません。
病院のシーツの匂いだったり、風の強い日の隙間から入ってくる音とかの記憶。
それから、看護学生さんと折り紙で遊んだこと。
こういう折り紙の花をいくつ作っただろう?

花くす玉:ネットより画像拝借しました

そんな幼少期だったので同年代との関わりがとても下手くそです。

居心地の悪さ

子供の頃は、母親が仕事をしていたので祖母の家で過ごしていたのですが、ある時期、友達のお家だったり従兄弟のお家だったりで母の帰宅を待つことがありました。
意地悪をされるどころか、とても親切にされていたのですが、居心地が悪くて居た堪れなくて、早くここから立ち去りたい気持ちでいっぱいでした。

また、友達と思っていたグループの中で、ちょっと雑な扱いをされることがありました。
私だけ教えて貰えないことがあったり、イジられて笑われることとか…。
それは友達だけではなくクラスの中でもありました。
(別記事にも書いてるのだけれど、私に意地悪をした人は、その後それなりの目に遭うのです。)

どこにも自分の居場所がなくて自分の居場所が欲しくて
そこはどこにあるのだろう?
ずっと自分の場所を探しています。

心の鎧

居場所もないし、裏切られることもあったりして
「本心を簡単に人に話してはいけない」
と、自分を守るために必要な鎧を長年着続けてきました。

とはいえそのままでは人との距離は縮まりません。
「人を信用できるようになるには
自分も信用されるに値する人間である必要がある」
そう感じたので、
ガッチガチに着込んだ鎧の上に、ピエロの服を着ることにしました。(え)

どこか他人行儀だと思われるのは
そう言うところだと思います。
(あとHSPぽい)

暖かい目で見てもらえたら嬉しいです。


オタク、B'zと出会う。

自分の居場所がないけれど、お友達がいたのが救いです。
アニメや漫画が好きな仲間達と楽しい時間を過ごしてました。

そんなある日、友人が「めっちゃかっこいい!」と、一枚のCDを私に貸してくれました。

それはそれは、オタクの私にはもうびっくりのかっこよさで!
その後MVを見せてもらい、速攻で沼にハマるのでした。

「高校入学したら絶対ライブに行くぞ!」と、さして勉強することも滑り止めを受けることなく高校受験にトライ。(恐怖)
前日までドラクエしてたんですが、運良く合格しました。
得意な問題だったんです。

なんだかんだ言って、傷だらけの人生ですけれど、私、結構ついてるんでしょう。


高校デビュー?non!オタクは加速する。

さぁ、うれしたのし!花の女子高生ライフ🌸
でもデブです。
オタクのデブです!

しかも女子校ですから、色恋なんて生活の中に皆無で、
日々、お菓子と漫画とB'zのことで頭がいっぱい笑

念願だったライブにも行きました。
6月8日仙台サンプラザホール。
ここが私のライブ参戦スタート地点。

初めて見る生のお二人は格好良すぎて泣きました。
その2ヶ月後に大きな玉ねぎの下に行きます。
本当に金色の玉ねぎなんだな〜と感動。(玉ねぎ違う)

日本武道館のサイトよりお借りしました

長期休みにアルバイトをして資金を貯め、
ライブに参加し、
コミケに参加し、
漫画をかいて漫画を読んで!
もう、好き放題です。
それは専門学校を卒業するまで、いや卒業して就職してもしばらく続きます。

好きな漫画は
slam dunk、マサルさん、動物のお医者さん、ジョジョ、セーラームーン…ジャンプと花とゆめは必ず読んでました。
この時代、漫画家になりたくて漫画賞にも応募しました。
(そういえば、小学生の時も友達と漫画描いて投稿したなぁ…)
結局大きな賞は取れませんでしたので、徐々にフェードアウト。


デブ卒業。そして波乱へ。

そんな私ですが(中略)ダイエットして人並みサイズになり、
紆余曲折あって主人と共に人生を歩み始めます。
紆余曲折中も後も、本当に苦しい時期でした。
「六星占術の「大殺界」の時期に結婚したから(算命学では天中殺明けてましたが月の天中殺中です)仕方がない…」と思っておりましたが、のちに運命学に出会い、講義の時に師匠から解説をいただき、とても腑に落ち安堵いたしました。
師匠、ありがとうございます!

2022年、おかげさまで磁器婚式を迎えることができました。


子供がいてもいなくても。

子供が生まれる前は「子供はまだ?」とプレッシャーを受け、生まれてからは子供のことで悩みます。
私は「普通をよし」とする環境で育ったため、個性的すぎる子供たちに対してどうして「普通じゃないのだろう?」と苦しみ、時には責目られるようなことを言われましたし、母親を責めるような記事を見るととても苦しかったです。

「一体どうして子供を産んだんだろう」とすら思ってしまうほどに疲れ果て、あんなに可愛いと思っていたのに、どんどん可愛いとすら思えなくなって「自分は母親になるべきではない人間だったんだ」と自己否定し、悪循環となっていくのです。
「助けてほしい」
それが言えず、その苦しさを占いや心理学で見出そうとこの世界へ足を踏み入れました。

答え合わせ。

心理学や運命学に触れて深めていくことで、これまでの事象や子供の性質、自分の持って生まれたもの…それらを少しずつ知ることができました。
パズルのピースをはめるように、解いた問題の答え合わせをするように、これまでの現象の理由を納得しています。

辛い気持ちでいっぱいになって「もう終わりにしたい」そう思う時もありました。
子供が同年代の子と同じことができなくて悔しく感じることもありましたし、
どうしてうちの子だけこんなことになってるのだろう?と、暗闇の中をもがいたこともあります。

それでもこうして生きているのは、光を見つけることができたから。

私が生きてられるのだから
あなたが生きれないわけがない。

私と同じように散らばったパズルを目の前にしている方に、ちょっとだけ見やすいように光を差して差し上げたい。
こんがらがった紐を緩めるためにちょっとだけ、きっかけを差し上げたい。

張り詰めている方の心が緩み、
みんなが幸せな気持ちで過ごせるきっかけとなれたら
占い師としてこの上ない喜びだと思っております。


長い長い文章を、ここまでお読みくださってありがとうございました。

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