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「書く」がキャリアのゴールになっているわたしへ

「縁あって」というには、あまりにも嘘くさいが、これまでに書いた過去のブログを読み返していた(アイキャッチがなにかと文房具なのはご愛嬌。撮るものがなかったんです)。

読み終えて、心底嫌気がさした。どれもこれも「書くこと」だったり「文章」だったり「言葉」ばかりに縛られているからだ。ライターになるためにライターになって、ライターの先のキャリアに編集者を目指した。そんな人間の綴る文章は、ひどくつまらなく、陳腐に見える。


先日、キャリアハックで、ライターの嘉島唯さんのインタビューが掲載された。昔からとても好きなライターさんで、わたしは彼女の書く文章を楽しみに待っているひとりだ。

転職エントリも兼ねたこの記事では、彼女のライターとしてのスタンスが数多く見える。記事を読み終えて「勉強になる」と思いたかったのだけれど、ただ涙が止まらなくなった。

嘉島さんほどの書き手でも、さらに高みを目指して突き抜けていく。わたしは、いったい何をしているのだろうかと焦燥感にかられたからだ。


たとえば、記事の中に、こんな一文がある。

私の強みは、いつでも「文章を書くこと」を捨てられることかもしれません。たとえば、画像や動画で伝えられることのほうが圧倒的に多いわけですよね。

ライターになるためにライターになったわたしにとって、持ち得ない考え方だった。書くことが当たり前で、書くことしかできなくて、書くことにばかりしがみつく。そんな自分が、ものすごく幼稚に見えた。

嘉島さんの文章が、わたしは好きだ。ライターになったばかりの頃から彼女の文章を読み、憧れた。書くことに重きを置いた彼女は、書くことを極めてたように見えて、それでもなお”いつでも「文章を書くこと」を捨てられる”と言う。強すぎる。


文章を書くことを仕事にしてから丸3年。会社も知らない、上司もいない、大好きな仲間はいるけれど自分の成長角度がどれほどなのかわからない。正直なところ、もう頭打ち感がある。今いる場所が、ひとりで歩いてこれる限界なのだろうかとすら思う。先日も、担当編集者の方に「もう手札がない」と弱音を吐いたばかりだ。

だから、嘉島さんのこんな言葉が、わたしには刺さりすぎた。

メディアはすごく楽しいし、大好きで。ただ、ずっと記事を書いては出し、書いては出し…ずっと続けていくだけなのか、と。プレイヤーとしてどんどん頭打ちになり、手札が無くなっていく感覚もありました。

『BuzzFeed Japan』はCMSの自由度が高く、伝え方もいろいろな実験ができます。ただ、やればやるほど、もっと違うやり方があるのではないか。幅があるんじゃないか、と。そこを探れるのが『LINE NEWS』だと勝手に思ったんですよね。

手札のない状態から、次のキャリアを見出して、歩む。彼女が悩んでいないだなんて思わない。ただ、自分で次の道を決めて歩ける嘉島さんの決断力が、ただただ羨ましかった。そして、なんの覚悟も決まっていない自分自身の心に「さて、君はどうするよ?」と問いかけた。

ライターとして走り出したばかりのとき、わたしは「いつか編集の仕事がしたい」と切望した。あのときの願いは今叶って、編集者になった。やりがいもある。でも、わたしは満たされてはいない。書き手としての頭打ち感もあるし、文房具に関わる仕事がしたいって思いもあるし、東京に縛られない生活をしたいって思いもある。


「書く」を、すべての仕事のフィールドにしようと思うと、視野は一気に狭くなる。書き手としての、文房具との付き合い方は「取材する」「記事を書く」「メディアを作る」あたりがせいぜいだ。他拠点生活との付き合い方も「アドレスホッパーなライター/編集者」がせいぜいだ。ああ、全然ときめかない。

書くことは、目的のひとつでしかないのに、どうして、わたしはそれでも「書く」ばかりを考えるのか。「書く」ばかりにしか目を向けてこなかったのか。もっと広げた視野の先には、もっと深めた思慮の奥には、どんな世界が待っているのだろうか。見つかっていないその知らない世界を、早く早く見に行きたい。

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