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【舞台】『ラ・マンチャの男』大千穐楽カーテンコール

 大千穐楽が終わって、その余韻を胸に汐入駅から京急線に揺られながら、Twitterで「ラマンチャ」を検索して、同じ余韻に浸っている人たちのつぶやきを眺める。新聞社のネットニュースにも大千穐楽の記事がも次々とアップされる。スポニチなどは16:47に出ていて。終演すぐの時間だ。ほとんどの記事をかいておいて、最後にカーテンコールの白鸚丈のことばだけを足してアップしているのだろう。
 新聞社などのメディアのニュースの検索をして、少しでも詳細に克明にカーテンコールの様子や、白鸚丈のことばを残しているものはないかと探す。自慢じゃないが記憶力がある方ではない。そのことばひとつひとつを心に刻みつけようと全身全霊で耳を傾けていたけれども、いざ思い出そうとすると、ぼんやりとした要約しか自分で再現できない。
 白鸚丈のことばを一番詳細に伝えてくれている記事は、たぶん中日新聞のこの記事ではないかと思う。

終演後のカーテンコールで、目を潤ませた松から赤いバラの花束を受け取った白鸚の目も潤んでいた。「初演して54年。27歳の時にブロードウェーに行きまして、足を運んでくれるお客さまのおかげで今日までやれました」と思い出を振り返りながら感謝。「え~、まことの夢は、まことの…」と用意していた言葉が出てこなくなり苦笑い。仕切り直すように「これからも命のある限り芝居を続けて参ります」と力強い言葉で締めると、この日一番の拍手がわき起こった。 白鸚は「皆さまと一緒に『見果てぬ夢』を歌って終わりましょう」と呼びかけ、ステージ上の出演者と観客が一体となって名曲を大合唱。「本当にどうもありがとう存じました」と胸に手を当てて頭を下げた白鸚は、鳴りやまぬ拍手に見送られて静かにステージを去っていった。

https://www.chunichi.co.jp/article/678235

「目を潤ませた松」とあるが、舞台の上の松さんは感極まったという感じはなく、凜としていて、娘として父親を支える自分の役割を意識していたように見えた。スタッフから大きな花束を渡されると、ひらりと白鸚丈の前に跪き、恭しく頭を下げて花束を掲げた。劇中のような動きだった。
 その後に白鸚丈の後ろのキャストが駒田さんに紹介されたとき、前に立っていることに遠慮した白鸚丈が屈もうとして少しバランスを崩しそうになったところも、松さんはそっと手を差し伸べてサポートしていた。

 キャスト紹介が終盤になり、駒田さんが白鸚丈を紹介しそうになったところを遮って、「サンチョ、駒田一!」と白鸚丈から駒田さんを紹介した。笑いが起こり、駒田さんはたまらなく嬉しそうな恥ずかしそうな顔をしながら、一息ついて仕切り直し、「そして、セルバンテス・ドン・キホーテ、松本白鸚!」と叫ぶと、観客から盛大な拍手が沸き起こる。白鸚丈は「ありがとうございます。ありがとうございます」と小さく会釈しながら、駒田さんに背中を押されて一歩前に出た。

 ことばは最初ややこもったような声で聞き取りづらく、「54年」というところも、なんだか計算が怪しくって、駒田一さんが少しおどけるような仕草をしていた気がする。
 ほとんどの記事は「え~、まことの夢は、まことの……」のところを端折っている。「まことの……」と少しろれつが回らないような感じで2回ほど繰り返してはいなかったか。そこでも駒田一さんがそれを受けるようにおどけてみせて、白鸚丈がことばを続けることを諦めたときにはずっこけたような動きを見せた、気がする。自信ないけど。
 この時に用意していたことばはなんだったんだろう。それを白鸚丈が後から伝えてくれることはあるだろうか。それは無粋なことともう触れられないのだろうか。
 私は「まことの夢」は「見知らぬ夢」と言い出そうとしたんじゃないか、と想像する。「「見知らぬ夢」はまことに私の人生を導いてくれた」というようなことを言おうとしていたのではないだろうか。
 「これからも」とことばを改めた時、その切り替えに客席はかすかにあたたかい笑い声が出た。「命ある限り芝居を続けて参ります」で、再び万雷の拍手。このことばは、まさに「見知らぬ夢」の歌詞「力ふり絞りて我は歩み続けん」そのものだ。白鸚丈はやはり3人目のラ・マンチャの男なのだ。

 最後は白鸚丈の独唱ではなく、「合唱」となった。終演後、すれ違ったご婦人が「白鸚さんの歌が聴きたかったわねえ。歌えなかったのかしら。でも劇ではあれだけの声が出てたんだから歌えたわよねえ」というようなことをおっしゃっていた。
 ちなみに、私は14日の公演も観劇したのだが、その時のカーテンコールのことばは「誠にありがとう存じました」の一言だけだった。歌はなかった。前楽も歌はなかったという。大千穐楽には歌うのではないか、という期待はおそらく誰しもが持っていたし、白鸚丈の独唱を最後にもう一度聴きたかったのも、全観客だったのではないかと思う。私も、劇中の「見果てぬ夢」が終わったときに、もう一度聴けることを心の片隅で願った。
 でもどこかで合唱になることも予期していた。私はうろ覚えだった歌詞をその日朝から一生懸命にたたき込んでいた。合唱になったら思いっきり歌おう、と思っていた。はたして、合唱となった。
 松たか子さんからの歌い出し。キャストたちの声が重なってきたところで、観客からも歌声が聴こえるようになる。キャストの歌声を聞きたい気持ちもあるから、自分の中で分かる程度に声を出して歌う。それでも自分の声も重ねているという感覚が気持ちを昂揚させる。私が覚えていたのは、14日に来たときに買ったプログラムに載っていた歌詞だ。でも最後の方で、あれ、これ知らない、という歌詞が出てきた。
 ニュース映像から確認すると、多分ラストパートの歌詞はこうなっていた。
「我は 歩み続けん たとえ脚は萎えても 瞳高く凝らして 遥か遠き空へ」
 2015年のTohoChannelにある「『ラ・マンチャの男』歌唱披露映像/見果てぬ夢」を観ても、やはりこの歌詞になっている。きっと独唱と、ラストの合唱では、最後の歌詞が違ったんだろう。そのあたりは勉強不足だった。
 それでも最後「遥か遠き空へ」は、私もなんとなく聴き覚えのあることばだったので、思いっきり声を出して歌うことにした。もはや号泣をして、嗚咽も漏れているけれども、とにかくこの会場に全員の歌声を響かせることが、この公演を届けてくれた人々への感謝の現れになるのだと思った。
「見果てぬ夢」を全員で歌う。声を合わせることは、心を合わせることだ。思いを通わせ、共に生きることだ。白鸚丈は、それを望んでいたのではないかと思う。白鸚丈もまだまだ歩み続けるし、私たちもこれから、傷ついても、敵が多くても、胸に悲しみを秘めて、勇んで歩み続けていくのだ。

 松本白鸚丈の舞台は終わった。でも。「ドン・キホーテは死んではいない。信じるんだ」

2023年4月25日

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