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何度でも肩は抜ける

僕が大学自体を過ごしたイギリス北部のヨークには、Bora Boraというラテン系のバーがあった。毎週そこを集合場所にして大学のサッカー友達と夜遊びに出かけていた。そのバーは中央が空いていてダンスフロアになっており、ラテン系の音楽が流れるとサルサダンスで盛り上がる。僕は飲みには行くものの、サルサは踊れないのでいつも友達と喋ったり、豊富なカクテルを色々試してみたりして、ダンスが始まると傍観していた。

ある日、ハビエルというスペイン人の友人が地元から4人の男女グループを旅行に招いていて、同じテーブルで話していた。そのグループはハビエル含め全員マドリード出身なのだが、その内の女性1人は元々グラナダ出身だという。

彼女は中東の混血であろうラテン系の腰回りがふくよかな女性で、どうやらサルサ講師をしているらしい。彼女は喋る言葉全てが倒置法になるという独特な英語を駆使して、シャギーな髪をかき上げながら大声で場の雰囲気を盛り上げていた。僕がフルーティな赤ワインベースのカクテルを次々に飲んで、バーカウンターで少しふらふらしていると、トイレから戻ってきた彼女は僕の腕を掴んで「グラナダを見ずして去るなかれ、という諺があるのよ、スペインには」と、無理やりダンスフロアに引っ張られた。

サルサというのは本来男性がリードするもので、女性がそれに応えるせめぎ合いがセクシーなのだが、僕と彼女のそれは体格も相まって草原で逃げ惑うオスの草食獣とメスの肉食獣のチェイスに近く、周囲の笑いを誘った。最悪だ!ヨーロッパなんて来るんじゃなかった!

彼女を視界に捉えるのがやっとで、余りにもグルグル回されて、360度どこを見ても彼女の姿が残像で見えた気がして、アルハンブラ宮殿で2姉妹の間の天井を見ている気分になった。しかし、さすがはサルサ講師。リードしつつも的確にステップを指示し、10分くらいすると僕は基本ステップを覚えていき、簡単なダンスで彼女をリード(しているように錯覚)できるようになった。

僕は最初踊らされたけど、最後は自分でも踊れていた。心身ともにハードな体験だったが、1年生だった僕は、様々な人種が行き交う歴史あるヨーロッパに来て良かったと思った。

その翌週、僕は大学サッカー部の試合でPKをストップした際に脱臼し、この脱臼癖が治らずゴールキーパーを引退することになった。当たり前だが日本人と比較してアングロサクソン系のプレイヤーはシュートのパンチが強すぎる。脱臼の凄まじい痛みの中、ヨーロッパになんか来るんじゃなかったと思った。

イギリスは「ゆりかごから墓場まで」と呼ばれる国家主導の充実した福祉がウリで、留学生も無料で医療サービスが受けられ、驚くことに脱臼すると救急車が来る。しかも車内でガス麻酔(全身麻酔)を施される。ガス麻酔によって脱臼の痛みが緩和され、だんだんと気持ち良くなっていき、副作用で音がはっきり聞こえ、周りの景色がスローモーションで見えるようになってきた。ハイになってきた。絶好調だ!早く病院について肩を入れてくれドクター!イギリス最高!

しかし残念なことに、渋滞によって中々病院に着かず、ガス麻酔が切れてきた。脱臼の痛みが甦り、音は鈍くなり、スローモーションで鮮やかに見えていた景色は窮屈な車内とナースのおばさんに切り替わっていく。ナースのおばさんが僕の異変を察したのか、こちらに向かってきて、ニヤニヤしながら「ガス、もっと欲しい?」ときいてきた。僕は力ない顔でヨダレを垂らしながら「ほ、欲しいですぅ」と答えた。ふふふ、と笑ったおばさんが新しいガスを取り出した。

このおばさん、これ楽しんでるな。イギリスになんか来るんじゃなかった。

それから8年近く経ち、日本で会社を辞めて色々な人にお世話になっていたけれど、不思議な縁でベルギーに住みサッカーチームの経営に携わることになった。大好きなサッカーに関わり、喋れるけど全く役に立っていなかった英語を使い、またヨーロッパに住んで仕事をするとは夢にも思わなかった。僕を信頼して推薦してくれた方々に感謝したい。

今でもサルサは踊れないし、くしゃみで脱臼しそうになるし、愛するイギリスはBrexitしそうだけど、ヨーロッパ楽しみだなあ。

※写真は早朝のオスロ

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