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歴史学と歴史劇(歴史創作)は別物

歴史が好きな人は、一家言を持っている「こだわり派」が多い。
中でも、歴史創作は作者のこだわりが露出するせいか、さまざまなテーマをきっかけにしばしば炎上している。


タイムラインがギスギスしているのを見かねてついこんなポスト(↑)をしたが、後日しれっと参戦 私自身のスタンスを表明したので、備忘録としてnoteにも記録しておく。

歴史学と歴史劇(歴史創作)は別分野なのに


本来、歴史学と歴史劇(歴史創作)は別分野なのに区別できてない人が散見される。大学で例えると史学部と文学部。優先事項も研究目的もまったく別物なのに、同じ土俵で喧々諤々するのは不毛すぎる。

X(旧Twitter)では、大学の史学部と文学部で例えたが、映画界のアカデミー賞もドキュメンタリーは別部門で評価する。

歴史学はエビデンスに基づく史実を重視するが、歴史劇(歴史創作)は情緒や娯楽性を重視し、エビデンスに基づいて創造し表現しなければならない。
両者の違いを理解・区別できている人は、史実と違うと言って歴史創作を批判することはしないし、歴史創作の内容を歴史学の文脈で語ることもないだろう。

故人をリスペクトするのは結構だが、それ以上に…


故人をリスペクトするのも結構だが、それ以上に今生きている人をリスペクトするのはもっと大切。「今生きている人をリスペクトする」というのは、それぞれの想いと考え、解釈や作風の違いを尊重することだ。

誰にでも主観的・感情的な好き嫌いはある。私だってそう。推しのシャルル七世をむやみに貶されるのは不愉快だ。
当時、敵対していたイングランド視点で悪く言われるのはある程度仕方ないとして、まともなエビデンスもないのに「ジャンヌ・ダルクを見殺しにした無能な薄情者」というキャラクターを押し付けられているのは大いに不満だ。使い古されたイメージで書かれた作品で「納得できた・不快にならなかった」ものは、歴史学でも歴史創作でもめったにお目にかかれない。
だから、「故人をリスペクトしろ」という意見にはとても共感する……。

とはいえ、推しへの思い(リスペクト)が、今生きている誰かを萎縮させたり、気に入らない作品を焚書・排除するムードになることは避けたい。
リスペクトがない・解釈違いの作品は不愉快かもしれないが、納得できる良作が存在しないなら、自分自身で創作する方がずっと建設的だ。

それに、

今生きている誰かを萎縮させたり、ある種の作品を焚書・排除するムードになることは絶対に避けたい。

ジャンヌの異端審問から復権裁判を実現させるまでの背景・書簡から推測して、シャルル七世はこういうタイプ(↑)なので。
私の場合、推しの生き方・あり方をリスペクトするなら、回りくどくても正攻法を——「誰も排除しない、自力で建設的な手段」を選ぶしかない。

そんな訳で、続きを書くことを諦めない。

web小説『7番目のシャルル』シリーズ

訳あって無期限休止してましたが、2023年6月から再開しました。
上が完結済みの少年期編、下が連載中の青年期編。



自著の紹介

既刊:デュマ・フィスの未邦訳小説『トリスタン・ル・ルー』

2022年10月21日、シャルル七世即位600周年記念にリリースしました。
Kindle版(電子書籍)とペーパーバック版があります。

新刊:『十九世紀の異端科学者はかく語る』

ジョン・ラボック著『The Pleasures of Life』第一部を翻訳・書籍化しました。訳者・序文で「ダーウィンとラボックの師弟関係」を書き下ろし。


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