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【特集】1940年6月にエストニアで何が起きたのか(番外編) - 戦間期エストニア国防軍の能力(Part.1)

今回と次回の記事では、戦間期エストニア軍の能力面から、1940年6月のソ連によるエストニア占領を追ってみたいと思う。今回は特に、基礎入門として戦間期エストニア軍の編成を述べたい。

1940年夏のエストニア軍は陸軍4個師団(1個装甲列車連隊・1個戦車連隊・1個騎兵連隊含む)、海軍50隻(うち戦闘艦艇10隻)、空軍3個飛行隊38機(うち戦闘機15機)を有していた。

このうち陸軍の第4師団については、1918年のエストニア独立当初は存在していたが戦間期の軍縮によって廃止され、1939年秋のソ連軍によるエストニア進駐に伴って復活した。1939年夏時点でのエストニア軍総兵力は約14,000名であったが、第4師団復活に伴って1940年夏には約16,000名に増えた。

1939年夏時点でのエストニア各軍の概要は以下の通りである。

【エストニア陸軍・エストニア防衛連盟】
・第1師団(司令部: ラクヴェレ)
   - 第1歩兵連隊(ナルヴァ)
   - 第4独立歩兵大隊(ユフヴィ)
   - 第5独立歩兵大隊(ラクヴェレ)
   - 装甲列車連隊(第1、第2砲兵集団)

・第2師団(司令部: タルトゥ)
  
- 第7歩兵連隊(ヴル)
   - クぺルヤノヴ・パルチザン大隊(タルトゥ)
   - 第2独立歩兵大隊(タルトゥ)
   - 第3独立歩兵大隊(ヴァルガ)
   - 第8独立歩兵大隊(ヴル)
   - 騎兵連隊(第3、第4砲兵集団)

・第3師団(司令部: タリン)
    - 第6独立歩兵大隊(ピャルヌ)
    - 第9独立歩兵大隊(ピャルヌ)
    - 第10独立歩兵大隊(タリン)
    - カレヴ独立歩兵大隊(タリン)
    - スカウツ独立歩兵大隊(ハープサル)
    - サカラ・パルチザン大隊(ヴィルヤンディ)
    - 第5砲兵集団(ヴィルヤンディ)
    - 自動車・戦車連隊(タリン)
    - 工兵大隊(タリン)
    - 通信大隊(タリン)
    - 衛兵大隊(タリン)

この他、エストニアには「防衛連盟」(Kaitseliit, KL)と呼ばれる民兵組織があり、エストニア全土の15地方自治体(首都タリン含む)にそれぞれ群司令部が置かれており、1群(Malev)はエストニア陸軍の1個歩兵連隊にあたるとされていた。群司令官はエストニア軍の現役将校が務めるケースが多く、この群の下に更に細かい自治体単位での「地域中隊」が置かれていた。

また、防衛連盟と連携する形で女性補助部隊も設けられており、こちらは「女性義勇防衛隊」(Naiskodukaitse, NK)と呼ばれた。1939年時点での防衛連盟の総兵力は約60,000名、女性義勇防衛隊は約16,600名であった。

【エストニア海軍】
・海軍司令部(タリン)
・海軍艦隊(タリン)
・ペイプシ湖艦隊(タルトゥ)
・沿岸要塞司令部(タリン)
・沿岸要塞(ナイッサール島他)

【エストニア空軍】
・空軍司令部(タリン)
・タリン空軍基地、空軍士官学校
・防空砲兵集団(タリン)
・第1独立飛行師団(ラクヴェレ)
・第2独立飛行師団(タルトゥ)
・第3独立飛行師団(タリン)

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