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【特集】変化するエストニア国防軍No.6 (情報部編)

今回はエストニア国防軍参謀本部で、情報分析を担当する「情報部」(J-2)と情報収集を担当する「国防軍情報センター」(Kaitseväe Luurekeskus)の変革について取り上げます。

エストニア国防軍の中で情報分析や防諜、NATOやEU諸国との情報協力を司るのが参謀本部情報部(Kaitseväe peastaabi luureosakond、通称J2)である。その編成や人員、予算については謎に包まれており、過去のものも含めてほとんど情報が公開されていないが、エストニアのソ連からの独立回復直後の1991年秋にエストニア国防軍参謀本部が再建されるのと同時に、参謀本部内に「情報部」(Informatsiooniosakond、当時はS-2と略)が創設された。

その後、1998年にはS-2は参謀本部のどの部署よりも大きな規模を誇るようになり、S-2指揮下に「情報大隊」(Luurepataljon)が新設される。ここにS-2は情報分析、情報大隊は情報収集と役割が分離された。その後、2004年のエストニアのNATO加盟に伴い、S-2はNATOの命名規則に従ってJ-2と改称された。2008年に制定された国防軍組織法ではJ-2の役割はSIGINT(信号情報収集)、レーダー画像分析、同志国からの情報提供、公開情報分析と規定されたが、その後、2012年から2016年の間の同法改正によって、J-2の役割は徐々に拡大していく事となった。そして、2013年以降の間に、J-2内で情報収集を担当する情報大隊が改編され、独立した「国防軍情報センター」(Kaitseväe Luurekeskus)となった。

情報センターの詳細についてはこちらも機密扱いで内情を伺う事は出来ないが、2022年2月のウクライナ戦争開戦後、情報センター長が頻繁に戦況解説でメディア出演を行うようになり、情報分析を担当するJ-2が全く表舞台に出てこないのと対照的に、収集された中で公表可とされた戦況情報を1週間に1回程度の割合で次々に発表し、日本のNHKニュースなどでも取り上げられる機会が増えてきた。これは恐らくアメリカの方針転換に倣ったもので、ウクライナ戦争開戦前後から米の情報機関が積極的に情報公開(もちろん機密に抵触するかのスクリーニング後のものだが)に踏み切った影響が強いと思われる。

その裏でウクライナ戦争開戦当日、キエフ近郊のホストメル(アントノフ)空港強襲に増援として送り込まれた、プスコフ駐屯のロシア軍第76親衛空挺師団が同地の空港から18機のIL-76輸送機で飛び立った際、すでに離陸前から情報を掴んでいたエストニア国防軍情報センターはウクライナ側へ事前警告したと言われている。この件に関して、ウクライナ開戦当時の情報センター長であったマルゴ=グロスベルク(Margo Grosberg)大佐(当時)は肯定も否定もしていない。

J-2ならびに情報センターの将来として、現在までに公表されている「2031年までのエストニア国防防衛発展計画」(EESTI RIIGIKAITSE SÕJALINE ARENG 2031)では同盟国・同志国の情報機関と協力しての戦略的早期警戒(Strategic Early Warning)能力の向上が謳われており、また戦術レベルでは陸軍各大隊の情報収集能力強化や将来的なISR大隊創設も盛り込まれている。

戦略的早期警戒能力はもはやエストニアだけでは完結せず、同国が保有しない偵察衛星や長距離無人機によるISRが必要不可欠で、この点でも米英仏などの同盟国との協力が重視されているといえよう。

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