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戦後史上初のエストニア防衛駐在官(任国在勤)の派遣について

2023年8月31日に公表された防衛省の令和5年度概算要求では、戦後史上初のエストニア防衛駐在官枠(兼轄でなく任国在勤)の予算が財務省に提出される事になりました。

概算要求の段階なのでまだ確定ではありませんが、今次ウクライナ戦争においてエストニアを含むバルト三国がウクライナの強力な支援国であり、防衛省・自衛隊ともサイバー防衛やロシア情勢の分析などで一定の協力関係を築いている今、同国への防衛駐在官の派遣は必須であると考えます。

令和5年度概算要求(防衛省)に盛り込まれた、エストニアへの防衛駐在官派遣


歴史を振り返ると、1991年のエストニア独立回復と日本との国交回復後、北の隣国フィンランドに駐在する防衛駐在官がエストニアを兼轄する事になりました。

フィンランドの首都ヘルシンキからエストニアの首都タリンまではフェリーで2時間、飛行機なら1時間かからない距離にあります。エストニア国防軍のフィンランド駐在武官も戦前から現在までの伝統として、普段はタリンで勤務し、必要に応じてヘルシンキへ足を運ぶというのがあり、フィンランド防衛駐在官のエストニア兼轄もこの意味では何ら不思議な事ではありません。

有名なところでは、エストニアの歴史に関する書籍や論文も出されている鬼塚 隆志(おにづか・たかし)氏が最初期のフィンランド防衛駐在官兼エストニア防衛駐在官を務めておられました。

フィンランド防衛駐在官は伝統的に陸上自衛隊出身者が務めており、鬼塚氏の派遣以前から、独立回復直後のエストニアを同職が兼轄するという構想はあったようです。

しかし、2010年代に入ると、フィンランド防衛駐在官のポスト自体が削られてしまい(フィンランドはその後しばらくスウェーデン防衛駐在官の兼轄だった)、エストニアを含むバルト三国はいずれの国に駐在する防衛駐在官の管轄でも無くなってしまいました。

状況が変わったのはクリミア危機後の2016年以降で、フィンランド防衛駐在官のポストが復活すると共にエストニアも再度、同職の兼轄国に戻りました。

日本・エストニア防衛協力が進んだのは、2019年からの、タリンにあるNATO軍の「サイバー防衛協力センター」(CCDCOE)への防衛省職員常駐がきっかけでした。その後、2022年10月にはバルト三国最南端のリトアニアへ史上初の防衛駐在官が派遣され、またCCDCOEへの防衛省の正式加盟が決定し、日本は正式なメンバー国となりました。

もし今回のエストニア防衛駐在官派遣が実現すれば、リトアニアに続いて、バルト三国で2ヵ国目の常駐駐在官となります。

2022年10月、CCDCOEでの新加盟国(アイスランド・アイルランド・日本・ウクライナ)の国旗掲揚式典。出典: エストニア国防省(Kaitseministeerium) Twitterより

1930年代、日本陸軍内でエストニアへの常駐武官派遣を訴えた参謀本部将校の土居明夫(どい・あきお)は、「エストニアから得るソ連情報は他の諸国からのものに比べて、追随を許さないほど高度なものである」と常駐派遣要請の理由を述べています。

日本・エストニア間の防衛協力は、今後もますます進展していく事でしょう。

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