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特集:日本陸軍の対ソ工作の文脈におけるウクライナ(Vol.4)

1938年5月23日、ロッテルダム(オランダ王国)―

OUN(ウクライナ民族主義者組織)の指導者であるイェヴヘン=コノヴァレッツ(Yevhen Konovalets)は、ロッテルダム市内のホテル・アトランタにて友人と面会。コノヴァレッツはこの友人から土産として、ウクライナ国旗に包まれたチョコレートの缶を受け取った。

数分後、宿泊先のホテルへ戻るべく、ロッテルダムの繁華街クールシンゲル(Coolsingel)を歩いていたコノヴァレッツを突然、強い光と強烈な爆風が襲った。チョコレートの缶に仕込まれていた時限爆弾が爆発し、近くにいた通行人数名を巻き込んで、コノヴァレッツは一瞬で帰らぬ人となったのだった。

コノヴァレッツを爆殺したのは、ソ連の諜報員パヴェル=スドプラトフ(Pavel Sudoplatov)で、彼はソ連の独裁者スターリンから直々にコノヴァレッツ暗殺の命令を受け、OUNに潜入。スターリンが意図したのは1933年のOUNによるソ連総領事暗殺事件の報復として、OUNの指導者であるコノヴァレッツを見せしめとして暗殺する事だった。

果たして、本当にコノヴァレッツの暗殺はこれだけの話だったのだろうか?

筆者はこれに関し、明確なソ連側一次史料を調査した事は無いが、1938年のカルパト・ルテニア(同国に関する詳細はVol.2参照)に対する日本陸軍の軍事援助、そしてナチス・ドイツによる亡命ウクライナ人を使った対ソ連工作※、いずれもコノヴァレッツを狙うには十分すぎる理由だった。

※ナチス・ドイツの国防軍情報部(Abwehr)は、1938年に南ドイツのキーム湖(Chiemsee)付近に若い亡命ウクライナ人のための訓練施設を開設。更に、ドイツ国防軍情報部第二部は首都ベルリン近くのテーゲル(Tegel)やブランデンブルク州のクウェンズグート(Quenzgut)に亡命ウクライナ人向けの爆薬取扱い訓練施設を持っていた。

1939年3月、東京のドイツ大使館に潜入したソ連のスパイ、リヒャルト=ゾルゲ(Richard Sorge)はソ連本国に対してこう報告している。東京に着任したばかりのドイツ人外交官から得た情報として、ドイツは1939年9月にまずはダンツィヒの獲得を狙ってポーランドと開戦し、ポーランド征服の後は天然資源が豊富なソ連領ウクライナの制圧が目的である、と。ゾルゲはこの情報を確認すべく、東京を訪問中のドイツ軍ソ連駐在武官のケストリング(Köstring)にこの話について聞いた。すると、やはりドイツの第一の目標はポーランドであり、ウクライナが次であると答えたという。

日本陸軍がナチス・ドイツの領土的野心をどこまで見抜いていたのかは不透明であるが、日本陸軍ドイツ駐在武官の大島浩(1938年に駐ドイツ大使に就任)はナチスの野望についてある程度、反感を覚えていたようである。

1939年2月25日、大島はドイツ国防軍外国課のヘルムート=グロースクルト(Helmuth Groscurth)少佐を訪問し、「ローゼンベルクの政策に厳しく反対した」とされている。

ローゼンベルクとは、ナチ党の思想面の研究を担当していた高官の1人であるアルフレート=ローゼンベルク(Alfred Rosenberg)であり、1938年度末のフランス軍情報部の調査資料によると、ローゼンベルクはこの時期、テロ活動や反ソ連的プロパガンダ活動を通じてウクライナ独立運動を支援していたとある。ローゼンベルクが支援していたのは親ナチ傾向の強い亡命ウクライナ人らで、有名なところではヒトラーの信頼を得て、ナチ党のプロパガンダ組織に積極協力していたポルタヴェツ・オストラニツァ(Poltavets-Ostranitsa)がいる。

実は1939年1月、日本陸軍とドイツ国防軍情報部は共同でスターリン暗殺を狙う秘密作戦を実施しており、亡命ロシア人などからなる10名の特殊部隊をトルコからソ連へ送り、ソ連南部のソチ(Sochi)にあるスターリンの別荘を襲撃し、独裁者暗殺を謀った。しかし、この計画は満州国外交部に所属するロシア系通訳のボリス=ブルジェマンスキー(Boris Brzemansky、ソ連側コードネーム:「レオ」Leo)がソ連情報部にこの暗殺計画の情報を事前に漏らしたことで、ソ連側は国境警備を厳重にしており、10名の暗殺者らはトルコ・ソ連国境を越えた直後にソ連国境警備隊から銃撃を受け、そのほとんどが死亡か逃走した。

この作戦失敗の痛手の中、大島とローゼンベルクの確執は強まっており、日独のウクライナを巡る思想の違い(日本にとっては仮想敵国であるソ連に対する共闘相手もしくは対ソ連緩衝地帯・ドイツにとっては自国存続のための将来的な領土)が明確になったとは考えられないだろうか。(続く)

参考文献:

1) Dugin, A., N. (Дугин, A.H.) Secrets of the Archives, NKVD, USSR: 1937-1938. (ТАЙНЫ АРХИВОВ НКВД СССР: 1937–1938) Direct MEDIA, Berlin, 2020.
2) A., G. (Ed.). (Фесюн, А. Г.) File of Richard Sorge: Documents Unknown (Дело Рихарда Зорге : неизвестные документы). Letnij sad, Moscow, 2000.
3) Groscurth, H. Diary of One Abwehr Officer: 1938–1940 (Tagebücher eines Abwehroffiziers 1938–1940). Deutsche Verlags-Anstalt, Stuttgart, 1970.
4) Kellogg, M. The Russian Roots of Nazism: White Émigrés and the Making of National Socialism, 1917–1945. Cambridge University Press, Cambridge, 2005.
5) Tajima, N. The Origins of the Berlin-Tokyo Axis Reconsidered: From the Anti-Comintern Pact to the Plan to Assasinate Stalin. Seijyo Hougaku, 69, 2002.

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