何も知らないおともだち

久々に書く。書きたい事がなかったわけではないけど、ただただ怠惰に過ごしてしまってた。自分はこういうのは続かないのはわかっているけども。

ただ、少しは続けているものもある。タバコは20歳を超えてから12年間欠かしたことないし、オードリーのオールナイトニッポンは初回から聴いてる。

今日はそのオードリーのオールナイトニッポンin東京ドームがあった。

1次から4次先行まで外れ、「転売ヤーくたばれ!クソが!」と思っていたが、ある日若林さんのnoteでものすごい数の応募があったことを知って、そもそも倍率が高過ぎたってことで溜飲を下げれた。
しかも本番前々日くらいに運営から無効化するとのお達しが!ただ現状これは買った人が損をするシステムでしかないので、売ってる阿呆を成敗してほしいなと思ってるっていうのが本音。(警察に〜とか話はあるけどね。)

こんな話はどうでもよくて。
当日、ライブビューイングで観ることになった自分はグッズで身を固め、対して荷物もないのに7年使っているグレゴリーを背負ってチャリで映画館へ。年齢層は初老多め。若い人がちらほら。他人から見て自分はどうだろう。老け顔だから初老世代だと思われてるのかな…。

開始10分前くらいに会場全体の映像が流れる。
うわ…すげぇ人…。こりゃ当たらんわ…。しかもみんなラジオで歴戦を戦ってきた顔してやがる…。

実はこの時、感極まっていた。15年聴き続けたラジオ。元々はくりぃむしちゅーのヘビーリスナーでずるずるオールナイトニッポンを聴き続けていた自分にとって、共有できる仲間が全然いなかった。

だけど共有できる仲間なんて別に必要なかった 。そもそもラジオは一人で聴くもんだって思っていたから。radikoがない時代はMDで聞き返していたし、「へぇラジオなんて聴いてるんだ」世代だ。

そう、そもそもラジオって共有するツールじゃないんだ。タバコと一緒で、吸いたいから吸うし、身体が聴きたがってるから聴くんだ。

映像から客席の人たちの顔を観てると、やっぱり年齢層は高めだったけど、「私の生活にラジオがあります」みたいな顔してて孤独じゃないと思えた。

始まってから3時間半はあっという間で、なんかあれでしょ?凄い人はこのあとドームとか映画館で仲良くなった人と飲み行ったりするんでしょ?
人の生活を邪魔できないよっ!って言い訳をしながら、すぐさま帰路についた。

インスタを見てたら、大学の先輩や後輩が観ていたのを知った。えっ?この人ラジオ好きだったの?って人たちがいっぱいいた。仲の良い人でもラジオが生活にあったことを知らなかった。

東京ドームの発表があった日から今日まで本当に楽しみだった。ダイエットがてら夜中を自転車で走り回り、あわよくば若林さんに会えるかなと思いながら走っていたけどもちろん会えなかった。

ただ、会ったとて、自分は声を掛けれないだろう。
彼らもラジオはお仕事というよりはきっと生活の一部だ。
であれば邪魔できない。生活の邪魔はきっとしないほうがいいのだ。

怖かったのは今日を迎え、明日からまた頑張ろうと思えるかどうかだった。自分はもちろん、オードリーの二人がここで終わってしまうのではないかとちょっとビビっていた。
色んな媒体でドームの後の話を聞いてて、この先もやっていくとは言っていたが、この一年の熱の入り方を見ていたら大丈夫か?って思ってしまっていた。

ただトークの中であった、「行きたいところが無いから、行きたいところを作った」って話が、とても心に響いた。

もっと言えばこの言葉が、今回noteを書くきっかけになった。noteを書かなかった間、子供の成長が楽しいってこと以外、自分は成長もせずだらだらと過ごしていた。

自分にとって無駄な一年半を過ごしたなと人生で1番思ってた。今年はどこか行けるように行きたいところを作ろう。それを刻むようにこの文を書いている。

きっと明日から、オードリーも今日観ていた人達も、行きたいところを作るんだろうな。そう思ったら寂しくないし、オードリーがたどり着く先に今日の人達はいるんだろうと思う。

オードリーにラジオの良さを視覚化してもらい、幸せな日だった。

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