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紀伊半島南下計画 4回目(3)

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 ブルーラインに沿って走っているときにありがちな事が、ラインが途切れることである。和歌山においては恐らく県が策定したブルーラインを市町村が整備する形になっているような雰囲気なので、そこでおそらくタイムギャップが生じているのだろう。例にももれず今回も線が途切れた。が、今回のは途切れたよりももっとひどい話もある。今思えば写真の一つでも取っておけばよかったと思うが、やんぬるかな、それをするほどの余裕がない状況へと追い込まれていた。

酷道

 階段を上りしばらく進んだところで、トンネルを回避するようにブルーラインが山側へと入っていく。もちろん、それに沿って我々は進んでいく。が、この道がひどい。アスファルト舗装が1mほどされて、真ん中80cmほどがブルーラインの内側となっている。はじめのうちはある程度ブルーラインが見えていたものの、徐々に積もった落ち葉によって見にくくなってくる。昼間であれば先が見通せる分安心感があるだろうが、あいにく夜である。800lmで照らそうにもせいぜい路面が鮮明に見えるのは (光軸の設定のせいもあるが) 10mあるかどうかぐらいである。

 やや心細くなりながらも進んでいくと、道が分かれていた。一方には車止めがあり、もう一方は手入れのされていない林道のようだった。車止めのある方をライトで照らしてみると、かろうじてブルーラインが見える。どういう状況かというと、舗装の上に落石、コケに草に折れた木の枝などが重なり、道と自然の境目が見えないのである。走るのに過酷な道を「酷道 (国道)」「険道 (県道)」なんて読んだりするが、まさしくその類の道であり、整備されてからの通行人の後をおおよそ感じられない道であった。

  上のストリートビューでいうと、このまま右へと曲がっていくことになる。
 前日の雨による泥と地衣類、そして森の湿気で濡れているこの路面である。自転車に乗って進むのは流石に危険だと判断し、押して歩くことにした。分岐前よりも林が濃くなり、そして、路面も悪くなっている。こんな時はフラットペダル使用にしていることに感謝する。SPD-SLでこの道を歩こうものならクリートにしろ自身の体にしろ無事では済まないだろう。SPDでも下手すると泥詰まり起こしそうだな、とか思いながらえっちらおっちら進む。しかし進めど進めど終わりは見えない。下からはバイクのエンジン音などが聞こえたりするが、それすら鬱蒼とした木々に阻まれて音しか届かない。頭をよぎったのは「注文の多い料理店」である。差し詰め都会から来た猟師は我々であり、目を回す犬はロードバイクであろう。
 基本的にB面は悪口をあまり言わない方だと自負しているが、さすがに悪態のオンパレードであった。これをブルーラインに指定するぐらいなら素直にトンネルを通った方がよっぽど安全である。

 そんなこんなでしばらく進むと切通のようなコンクリートの法面が見えてきた。これは頂上近くであることを示すことが多く、「これでこの酷道が終わる」という細やかな、そして根拠の無い希望を我々にもたらした。が、得てしてこの希望は希望で終わることが多く、そしてそれは今回も例外ではなかった。切通の先は相変わらず鬱蒼とした林と下りである。おまけのように頂上にありがちな県道番号の標識も立っていた。そこには「白浜日置川自転車専用道」の補助標識がくっついている。いや、こんなん走れるか!ここ指定した奴はぜひ自転車でこの道を走ってくれ! 指定したことを病院かあの世で後悔するやろうけどな!

 しょんぼりしながら夜のしっとりした山道(アスファルトがほぼ見えない)を歩いている。なんとなく初代SIRENを思い出す。ライトで照らした範囲しか見えない。やはり暗闇の中には人間の根源的不安があるのだろう。わからないことに対する不安である。
 途中でまたしても大きなクモの巣と出会った。A面はクモが大の苦手であるが、先頭を歩いてもらったら一時的に過剰な暴露である程度克服できるんじゃないかと思うぐらいにクモの巣はそこらにあった。が、道を堂々とふさいでいるのは前回書いた階段以来である。前回と同じようにそこらの枝でクモをからめとり、ずいずい進む。この様子からお分かりのように、この道を使う人は少ない。もしくはいないのだろう。道とて通る人がいなければ、自然へと還るのだ。

 希望は本来有というものでもなく、無というものでもない。これこそ地上の道のように、初めから道があるのではないが、歩く人が多くなると初めて道が出来る。

「故郷」魯迅
青空文庫より引用

 ちなみにこのルートは太平洋自転車道の一部となっている。和歌山県よ、お前ホンマにやる気あるんか?

 そしてこの記事を書くにあたってネットで自転車道の情報を探すも下記のサイトとWikipediaくらいしか見つからなかった。色々とお察しである。


そして通行止め

 幾度となく曲道の先を期待しては裏切られ、どうにか国道の明かりが見えたころには我々はすっかり疲労困憊していた。何とか元の国道に戻った後はタイヤやリムの付着物を水で洗い流しておく。これも事故の防止のためには必要なことである。まあ、もっと整備が行き届いていればこんな事せずに済むんですけどね! と言いつつも、行政サイドにとってもっと重要なことがいっぱいあるのは重々承知してます。
 無事サドルに跨ることが出来ることに安堵しつつ、また国道を走り始める。先ほどの酷道でトンネルをパスしたため、しばらくは下り基調であり、次のトンネルの手前でまたしても脇道に逸れることとなる。
 脇道の場所などは事前にストリートビューで確認していたため、分岐を見過ごす心配などはない。が、問題は脇道の先である。脇道の入り口から先はストリートビューでは確認できなかった。先ほどの酷道を経験してしまうと、あああってほしくはない、と祈るばかりである。しかし進まねばその結果も知れまい。ということでずんずんと進んでいく。

 無事脇道まで来た我々を待っていたのは、「通行止め」の看板であった。
 いや、ここに出すんならさっきの分岐の所にも出しといてくれよ!「この先」とかじゃないんだよ!  と思いつつもあの酷い道を走らずに済むことに安堵した。心底、安堵した。

さっきの道も十分あかんかったぞ

 そのまま国道へ戻り、トンネルを抜ける。ブルーラインはこの先暫くストリートビューでは確認できていないため、おおよそ次に確認できた地点までうろ覚えながらも進んでいく。

 トンネルを抜けた先は相変わらず下り坂で、そのまま進むと日置川の集落へと出る。日置川は2006年に白浜町と合併するまでは日置川町として存在していた集落である。名前の通り日置川に沿ってその町域が設定されていたが、平坦部は川の河口付近しかなく、そこを中心として栄えていた町である。そして今調べて知ったけど読み方は「ひきがわ」だったのね。ずっと「ひおきがわ」だと思ってた。
 ローソンなどは相変わらず明るいが、ホームセンターやドラッグストアはさすがに閉まっている。日付が変わって1時間程度、さすがに町は眠りの中である。
 国道を途中で分岐して、恐らく古い集落のメインの道路を抜けていく。国道が古い道路を直線で分断していくのはよく見る光景である。同様に、古い集落から見ると山側などの方に国道が引かれるのもよく見る光景である。
 古い道路を途中で曲がり、しばらく進むとブルーラインが復活する。きちんと読めるし、路面にも堆積物が無い。嬉しい限りである。
 そのまま日置川を渡り、ずんずんと進んでいく。
 日の出までは、あと5時間程度である。

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