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夜の街を駆け抜けて御三家の朝ご飯を食べに行った話

 返事がないのは元気の証拠、なんてことはよく言われるが、実際に元気なのかどうかはおそらく別であろう。長らく筆を取る、というかキーボードを叩く気力が無くて離れていたらいつの間にか梅雨が来ていた。その間に色々と出来事はあったが、久々に書けそうなことがあったので記事に残しておく。もちろんこれを書いているのは冗長担当のB面である。

 さて、皆さんはホテル界の「御三家」をご存じだろうか。ご存じのない方に説明すると、帝国ホテル、ホテルオークラ、ホテルニューオオタニである。ちなみに私も覚えてなかったし、何なら今「確かそんなのあったよな」と思って調べたらたまたま目的のものも出てきたから助かったというところもある。この記事はそんな御三家の一角、帝国ホテルのモーニングを食べに行くまでの記録である。

夜の街を駆け抜ける話

夜行列車に乗りに行こう

 話は帝国ホテルのモーニングを食べる2日ほど前まで遡る。特に理由はないが、この更に数日前にA面としていたサンライズ出雲・瀬戸の話が急に現実味を帯びてきた。そう、タイトルで「夜の街を駆け抜けて」と書いているが、別に自転車や自動車で走ったわけではない。サンライズ出雲・瀬戸が走っているのである。

 善は急げで予約を取ろうにも、プランを練って固まったのはてっぺんを超えてから。みどりの窓口もよい子もおねんねの時間である。しかし悪い大人は駅まで行かずともネットで予約を取れるのだ。と意気込んでe5489を開くも、日付を過ぎるとしばらく使えなくなることを失念していた。斯くなる上は夜討ち朝駆け、10時打ち願掛けと相成るのは鉄オタの皆様であれば想像に難くないだろう。しかし現実はもっと早く、e5489を使えば5時半から予約ができちゃう。乗るしかねぇ、このビッグウェーブによぉ!
 そのためにも早めのアラームを掛け、ドキドキの中眠れぬ夜を過ごしたのであった。

 かくして、2023年4月18日 (火) の朝は早くからアラームに叩き起こされる。そもそも宵っ張りな生活をしているせいか、体は起きるのが早かった。寝れない頭は鈍いままであるが。
 のそのそと布団から這い出してパソコンからe5489を開き、先人たちの教え通りに路線から列車を選択、座席の空きを確認する。なんたる僥倖、シングルデラックス以外はすべて空きがあるではないか! さすが平日である。もともと乗ろうとしていたのはシングルツインであったが、どうせ空いているならサンライズツインに乗った方がコスパがいい。サンライズツインを一人で使うのは制度上は可能ではあるが、なかなかに気が引ける行為ではあるのだ。早速A面と協議してサンライズツインを確保。乗るのは大阪からと決め、最寄りからの終電の時間を検索した後に、いそいそとお布団に戻った。
 出社限界時刻の20分前のアラームで起きたくなかったほど、気持ちのいい2度寝であった。

 ちなみに「サンライズツインとかなんやねん!」って方は以下の記事が詳しい。予約を取るにあたって、このサイトには大変お世話になった。

心、ここにあらず

 思い返せば夜行列車は鉄オタの親父のおかげで2度乗っている。1度目は小2の時に日本海、2度目は小4の時にあかつきであった。日本海にしろ、あかつきにしろ、この頃はちゃんと「ブルートレイン」しており、B寝台を家族4人で占拠して乗っていた。上段のベッドにアクセスするための梯子が窓際にあり、横に開いて踏段が出てくる様が面白くてよく開け閉めをしていたのを覚えている。ちなみにあかつきに乗った際は関門トンネルと門司駅のデッドセクション、吉野ヶ里遺跡辺りを見たかったのだが、爆睡していて全て見そびれた。

 小学生以来の寝台特急、そんなもの、ウキウキのルンルンにならずにおらりょうか! と言った具合である。
 出勤して今日の予定を確認するとちょうど最後の時間が空いていたので、仕事を早上がりさせてもらうことを上司に申し入れ、ルンルンで仕事をしていた。していたはしていたが心に浮かぶはサンライズのことばかりであった。松尾芭蕉も「そぞろ神のものにつきて心をくるはせ」なんて書いていたが、きっとこんな感じだったのだろう。

 気がつけば退勤の時間である。いつ俺は仕事をしていたんだ、とか思いながらも職場を颯爽と飛び出し、まず向かうはみどりの窓口。そう、朝に予約したサンライズのチケットはあくまでも特急券のみ。乗車券は別途確保しなければならないし、なんならこの後みどりの自販機に行って特急券を発券せねばならない。
 窓口の係員さんに向かって、「ここから東京まで、2枚」と伝える。係員さんからの「特急券などは?」の問いに「サンライズなんで」と気持ちよく返し、首尾よく乗車券を手にする。そのまま流れるようにみどりの自販機へと行き、乗車券を発券。残すは夜ご飯の確保とA面の退勤である。

晩餐、そして暗澹

 とりあえず駅の地下のドラッグストアで酔い止めを確保、そのままA面と落ち合ってサイゼへとしなだれこむ。お腹がぺこであり、そんな時こそラムである。出てきた料理をせっせと食べつつ電車を検索し、大阪駅に0時前後に着くように時間を決めた。いくら大阪が大都会とはいえ、22時を過ぎるとその駅前は閑散とするのは想像に難くない。サイゼを出たあとはローソンへ駆け込み飲み物の確保である。
 そのまま見当をつけていた電車に無事に乗り込み、大阪へと向かった。

 大阪に着けば、大阪駅は終電ラッシュである。神戸方面や京都方面に続々と終電が走り去っていく。ターミナル駅は終電が早いのは世の常である。
 終電へと駆け込む人々を尻目に我々はホームを神戸方面へずんずんと進んでいく。目指すは西口、なんならうめきたである。今年の3月に開業したばかりのうめきたは、何度か昼間に利用したことがあるものの、夜の姿はいまだ見たことはない。なのでそれを確かめに行くのだ。
 と喜び勇んで連絡通路に行ったものの、我々を出迎えたのは閉ざされたシャッターであった。流石に入る電車がないなら空けておく意味はない。悲しみに包まれながら、9・10番線へと続く階段を登る。これは、JR京都線の新大阪方面ホームであり、終電が過ぎたそこを登るのは我々程度であった。

 そんな終電が去ったホームのベンチに座り込んでいるカップルがいる。どうも我々より若そうな出立ちで、男性が女性にひたすら背中をさすられていた。おそらく飲み過ぎているようだ。やや暗澹たる気持ちを抱えたままに彼らの横を通り過ぎる。彼らがこの後どうなったか知る由もないが、サンライズがホームに入線するまでその姿が確認できていた。どうか彼らに幸在らんことを。

 なんてことを考えながら、人気のいない11番ホームへ行く。ちらほらと人の姿が見えるが、どう見てもお仲間であろう。えっちらおっちらとホーム橋の待合室まで行き、お仲間が晩酌を始めるのを眺めつつ、サンライズが来るのを今か今かと待ち侘びていた。

瀬戸と出雲を間違える

 さて、おおよそ2900字程書いたところで、ようやくサンライズのお出ましである。 

 そろそろ時間だな、と思い始め、あたりを見渡せば、お仲間もそわそわとし始め、到着のアナウンスの前に、みんな待合の外へ出ていた。ホームを見渡せばポツポツと人がいる。いい歳をしたお爺さんから、スーツケースを抱えたお姉さん、そしておそらくビジネス利用であろうお兄さんなどである。
 その彼らが皆同じ方向を見つめ、何人かがカメラやスマホを構える中、サンライズがホームに滑り込んできた。某スーツ氏や某西園寺氏の動画で散々見てきたが、生で拝むのは初めてである。これがサンライズ、と感慨に浸りながら、空いたドアへ乗り込む。さて、本日のお部屋は、とチケットを確認すると、悲劇に気がついた。

 サンライズツインを目指して我々は11号車(瀬戸側)に乗り込んだが、予約していたのは4号車(出雲側)である。わっせこわっせこと車内を移動しつつ、ついでに設備を確認したり空室を覗き込んだりした。もちろんシャワーカードは売り切れていた。
 なんとか目的の部屋につき、ちょうど回ってきた乗務員さんに検札してもらい、ついでに扉を引き戸と勘違いしてちょっと混乱したりしたものの、無事に寝床につくことができた。部屋の様子はA面の記事に詳しい。ちなみに濃尾平野に辿り着く前にB面は事切れている。

御三家の朝ご飯を食べに行った話

思えば遠くへ来たもんだ

 ブラインド越しでも眩しい朝の明るさに眠い目を開ければ、そこはもう神奈川。いつの間にか伊豆半島を過ぎ、もう直ぐ横浜である。某スーツ氏はよくここで降りていらっしゃるな、だとか、東海道を自転車で走った時は生麦にやたら興奮してたな、とか思いながらも布団に潜る。なぜならサンライズ備え付けの寝巻きの下は肌着だからである。やっとのことで着替えてA面とこれからのプランについて話す。
 本当は東京ステーションホテルのモーニングビュッフェと洒落込みたかったものの、生憎サンライズのチケットを取ってからは間に合わず、それならばと歩いていける帝国ホテルの朝ご飯へと狙いを定めた。東京駅からのルートの確認と、気温を確認して、降りる準備を進めた。

 大都会の早い朝の隙間を縫うように、サンライズは東京駅へとその身を進める。そうして、定刻通り07:08にホームへと滑り込んだ。名残惜しいが、この部屋ともお別れである。

 ホームに降りてそのまま先頭車両の写真を撮りに行く。みんなが同じことを考えていて、撮影待機列ができているのが少し面白い。繁忙期でないはずなのに、ここまで皆を惹きつける力が夜行列車にはあるのだ。

折り返して留置線行きなので赤色灯が付いている

 そのまま丸の内の北口に出てくる。ステーションホテルの朝食をとれなかったことはやや悔しいが、帝国ホテルが待っている。寝不足の頭を頑張って動かしながら、とりあえずは丸の内の企業戦士と共に、眩しさに目が眩む行幸通りを歩いていく。来る度に東京駅をバックにウェディングフォトなどを撮っている人がいるイメージではあるが、太陽が浅い角度から照らす時間にチャレンジする物好きはいないようだ。というか今Google Map見てて気がついたけど、地下から帝国ホテルの近くまで行けてたやんけ。今度機会あったら使ってみよわい……。

 お日様の元を歩きながら、ついでに明治生命館というシャレオツなビルの写真を取ったり、日比谷マリンビルのモダンさに思慮を巡らせたりしつつ、気がつけば帝国ホテルである。入り口がどこだかわからずにウロウロしたりしたが、なんとか正面玄関にたどり着いた。こんな時、大体A面は緊張からかいつも以上に静かになっている事が多い。果たして、今回もそうである。「ドレスコードとか大丈夫かな」などと気にしている。別に襟付きのシャツ着てるしいいじゃん、と返しつつ、自動ドアをくぐった。

人生の一番が、ここに

 神は細部に宿る、なんて言葉はよく聞くが、それを久々に実感する。恐らく、今までで見てきたホテルの中で一番作りが丁寧だろう、と思うようなロビーであった。さすが御三家である。チェックアウトした訪日外国人の方と当たり前に英語で会話するスタッフを横目にとりあえず奥側へと向かう。目的の場所は、1階の奥にあるパークサイドダイナーである。

 が、店へと向かう途中で地下への階段を見つけてしまった。しかもトイレのマークも地下を指す。ちょうど催していたこともあり、何も考えずに階段を下る。この手のホテルの地下は専門店街やレストランである事が多いが、やはり専門店街であった。ちなみに階段を降りた目の前に三田会の看板がかかっており、それはもうとてもとてもビビった。
 どこも空いていない店の間をうろうろとして、元は公衆電話が設置されていたであろう謎のスペースを間に持つトイレの入り口を見つけた。これでようやく無事に事に及べる。
 恐らく人生で一番上品であるが、それをさも当たり前として特別さを感じさせないトイレであった。ちなみにTOTO製だったと思う。 

サービスを受ける、という事

 済ませた後は、もう少しだけ地下街を見て回る。開店前のホテルの地下街を歩くなんて機会は二度とあるまいよ。知的好奇心が満たされた後は、本命の朝ご飯である。テーブルマナーも何も予習してなかったな、と思いながらも店に入ると、とても丁寧に、しかし、嫌らしさを感じさせない自然さで席へと案内された。メニューの渡し方、オーダーの受け方、サービングの声かけ、何をとっても洗練されていて丁寧である。もうこの丁寧さだけでお腹いっぱいである。どうも医学系の学会があったようで、医療系の営業っぽい人々が話している英語に聞き耳を立てているうちに頼んだブレックファストセットがやってきた。

これはA面のフライ
これはB面のプレーンオムレツ

 味はシンプルながらも素材の良さであったり、丁寧な調理ゆえのおいしさが光る。が、正直な話をすると別にここに朝食を食べにきたのではない。サービスを体験しにきたのだ。店を見渡せばウェイター・ウェイトレスが丁寧に丁寧に己が仕事を全うしている。それは客の要望に際限なく答えることではなく、限度をもって注意することは注意し、限度の限りの丁寧なもてなしの作法を実施する、ということだろう。それはある種、ホストとゲストが対等にある、ということではないだろうか。ホストが責任を持ってサービスを提供するからこそ、他のゲストへのサービスの邪魔にならないようにすることがゲストに求められる、と言い換えてもいいのかもしれない。

 そして、それが金銭という対価を払いさえすれば万人に提供される、というところが大切である。「帝国ホテルで朝ご飯を食べる」という経験は、恐らく私の人生の支えになる経験の一つであるだろう。
 皆様もぜひ、この経験を人生の支えとすべく、帝国ホテルへ足を向けてほしい。

優雅なエピローグ

 サービスの素晴らしさというのは時として人を打ちのめす。釈迦の掌を知った孫悟空と同じような気持ちであろう。そんな気持ちに打ちひしがれながら帝国ホテルを出て、日比谷公園へと移動した。
 東京の良いところは、ビル街の中に急に緑あふれる公園があり、あくせく働く会社員を見ながら「みんなが働いている時間に俺はこんな優雅なことをしている」と悦に浸れる所であろう。その例に乗れず、帝国ホテルで朝ご飯を食べた余韻に浸りながら、日比谷公園から社会を睥睨していた。

 やや、というには余り有るお値段はするものの、平日にキメる贅沢としてはかなり上位の内容を実行できた、という自覚はある。皆様もぜひサンライズに乗り、朝の東京でホテルの朝食を召し上がってほしい。

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