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強豪私学がもっとも恐れる都立の名将!有馬信夫監督

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【出版希望】強豪私学の監督が恐れる、いい意味で嫌われている高校時代の恩師であり都立の名将、有馬信夫監督とのエピソードと教えをマガジンにして公開しています。監督の言葉を丁寧に思い出…
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#都立総合工科

【自費出版やってみたい方へ!】自費出版のお知らせです。どんな方法で販売することにしたのか、想い、考え方、良かったこと、苦労したこと、今後のこと。自分の人生に責任を持つということ,,,全て自分で決めてやってみました。

このたび新町真之介を著者として書籍を出版させていただきました。 ※自費出版です。 「強豪私学がもっとも恐れる都立の名将!有馬信夫監督」 販売ページは以下です。自費出版のため、書店に並ばず全てこちらからの購入のみとなっています。(※電子書籍含む)

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真面目なのはいいことなんだけれど・・・

真面目に練習へ取り組む選手の態度は当然評価していたんですけど、一方でなかなか試合には使いずらさもあると言っていました。 有馬監督は高校野球を「立派な大人になるための手段」と位置づけています、そのため練習をサボらない。3年間必死に努力していた選手でもあっても平等にチャンスがある機会で結果を残さなければメンバーに入ることができませんでした。 実力主義は社会と一緒だよと。 試合になると真面目な選手の方が打席やマウンドで周りが見えにくくなってしまっていい結果出せない選手が多かっ

環境は言い訳にならない

「都立なのによくやった」 ベスト16やベスト8まで勝ち上がると間違えなく言われる言葉。 確かに東京都で言えば圧倒的に私学が強いです。特にここ最近は都立が割って入るところがないぐらい私学は負けてくれない。 恩師である有馬信夫監督は自らが1999年に都立城東を東東京勢初の都立高校甲子園出場の快挙を成し遂げた第一人者だから、言い訳にしか聞こえてない。都立城東も平日は他部活動と共用だけどグラウンドで授業が終わればすぐに練習ができます。 我が母校である都立総合工科は校舎の目の前に

強豪私学にこだわらない。いい試合したとかどうでもいい。練習試合の相手もこだわること

 高校野球は2年半で終わってしまう賞味期限がある学生スポーツ。当然ですが野球に限らずです。チームとして目標である「甲子園」行くために完成したチームを逆算して作らないといけない。 どのスポーツも当たり前ですが、実践=練習試合は何よりもいい訓練。どのくらいに今チームがいるのか、レベルや状況を把握する意味でも練習試合を大事にされている指導者はすごく多いかと思います。 私の恩師である有馬信夫監督もそうです。「都立に来る生徒は自身がない奴の集まり」だとよく言ってました。強豪私学に公

石川柊太【福岡ソフトバンクホークス#29】の高校時代を教えた有馬信夫監督の指導方法

2007年3月25日に東京都立総合工科高等学校で私の高校野球人生が始まりました。そこでたまたま高校野球部同期で創価大学を経て福岡ソフトバンクホークスへ2013年育成ドラフト1位で入団した石川柊太投手のお話。 この年に恩師となる有馬信夫監督も都立保谷から異動してきて同じく1年目だった。私も有馬先生を慕って総合工科へ入学したので卒業した今も毎年別の高校へは異動しましたが挨拶は必ず行っています。 よくこの代の話、石川柊太の話にはなるのでその話を抜粋してお伝えしていこうと思います

【2022年7月に出版できるように動いています】恩師である有馬信夫監督に教わったことを『書籍』として残したいです!

 自身の恩師である有馬信夫監督(現都立足立新田高校野球部監督)には本当にお世話になって、生き方を変えていただきました。今でも失敗続きですが逃げずに前に出て努力して何とか生きていられるのは有馬先生のおかげです。 有馬信夫監督は1999年に都立城東で甲子園出場を果たし、都立総合工科時代には福岡ソフトバンクホークスに在籍している石川柊太投手を指導しました。 このマガジンは有馬先生に現役時代に教わったことをまとめています。タイトルの通りではありますが、有馬監督の教えを書籍にして残

有馬信夫監督という『教育者』に魅せられて【取扱説明書】

 6月27日(日)は都立日野高校のグラウンドで恩師の赴任先である都立足立新田高校が練習試合していると聞きつけ、父と2年振りに野球を観に行ってきました。野球っていいなと。父との時間も良かったですし、学生野球って賞味期限があるスポーツなので必死っていいなあって心底思いました。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 本題ですが、恩師である有馬信夫監督の説明書についてです。恩師に対して、このタイトルが適切かどうかわかりませんが...自身は監督が異動してく

私立は勝つことに追われる。俺たちは都立を卒業した生徒の10年後の未来を大切にしたい

「私立の監督は勝てなきゃクビ。都立の監督がいかに本気になってやるかなんだよ」 確かに強豪私立との練習試合を通じて、学ぶことは多くあり覚悟や本気度は全然違った。 本気で甲子園を目指し、本気でプロ野球選手を目指している高校生だ。それに比べるとうちは中学時代全く試合出なかった人間、なんとなく高校でも続けたいなどなど都立はいろんな生徒が集まる。入学当初はそれぞれが見ている方向がバラバラ。だからこそ上級生になるにつれて、チームとして品格が出てくる。そこで勝てばいい。 同期には練習サ

根はみんなすごくいい子

都立城東で甲子園出場した有馬監督。同校は偏差値60近い学校でもちろんのことだが、勉強もできないと入れない。かつ2回も甲子園へ出場しているのでまさに文武両道を体現している。保谷、総合工科、足立新田と指導してきた有馬先生だがよくこんなことを言っていました。 「確かに成績はお世辞にもいいとは言えないけど、みんなすごくいい子ばかりで後輩にってボールをもってきたり、差し入れをくれる奴もいる。部活動を通じて学校を活性化させたい。城東は学校にパワーがあった。野球がやりたくて総合工科に来て

都立が負けないために必要なこと

「気持ちで負けない野球」「チームが一つになること」 有馬信夫監督がチームを作る上での信念だ。 3年間で叩き込まれた。強豪私立に負けないために、必死で本気で取り組んだ。やる前から負けているのは論外。 年々部員数は減ったそうだが、開設当初は部員数が増え続け100人超えは当たり前。当然ながら野球部専用グラウンドがあり、硬式野球特別推薦も10人枠があり人気校だった。 どんな生徒でも有馬先生は部員を信じていた。 一般的にワルと呼ばれるような生徒もいたが、根気よく指導を続け社会へ通

一つの高校に固執しない

都立高校先生の異動サイクルは6年が基本。当然例外もあるだろうが、ベースはこの年数。有馬先生は都立城東⇒都立保谷⇒都立総合工科⇒都立足立新田での指導歴だ。 都立総合工科では10年指導していただいた。 聞いた話だが、都立城東で甲子園に出ても特にまだこの高校にいたいなどは思わなかったらしい。甲子園に出たにも関わらず。 「新しい学校でやれる楽しみがある。異動した高校でベースを作って後は後進に繋げばいい」 残された子供達が困らないように。そのことだけはずっと考えていた。 だから

社会と同じ。できないものにはやらせない

常日頃からだらしない選手には「そんなでいいのか?」「まだまだ甘い!」 高校生でも自立を求めていたし、甘い言葉をかけていた記憶は一度もない。 2期生に関しては主将の河西大樹が絶大な信頼もあり、チームとしてはまとまった。有馬先生も「俺が言わずとも河西が言ってくれるから」と。 今ではメディアを通じてよく放送されているベンチから外れた3年生による「引退試合」涙なしでは見られないような構成になっているが母校はこのようなものがなかった。 5月中旬に3年生全員参加の遠征があり、3試合目

頑張る奴は見てくれている

どんな奴でも受け入れるのは有馬先生のやり方ということはお伝えした。 ここでは自身の経験を伝えたい。 1期生にとって最後の夏である2008年。 大会に向けて練習へ励んでいた。実践練習の守備にBチームが就いた。 僕は二塁手。実はこのぐらいの時期からエラーが減り、打撃でも成績を残すようになっていた。だからこの守備でアピールしようと。 各打者の傾向や、投手の能力を考えてポジショニング。 配球で決める選手も多いが、僕は打ち方の癖で判断していた。配球で判断するということができなかった

労いの言葉は一切なし

本番は夏。 常々言っていたが決勝で負けたら1回戦負けと一緒。優勝しなきゃ意味ないぞ。 監督と生徒が信頼し合えれば結果は出る。日大三の生徒がよく「小倉監督を胴上げしたい」と言っているが、有馬先生を慕って入学したメンバーも多かった。当然こういうチームが理想であった。 結果は二松学舎大付に準々決勝で敗退。有馬先生が一番嫌いなサヨナラ負け。 ロッカールームに戻ると一言。 「ここで満足してしまったよね、本当に情けない」 お疲れ様と言われるのかと思いきや、ガツンと雷を落とされた。