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阪神淡路大震災を学ぶ理由

神輝興産の鳥澤です。今回は代表の中に代わって投稿いたします。

はじめに、この度の「令和6年能登半島地震」により、被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。
いよいよ2024年がはじまると思ったその初めの日に能登半島を地震が襲いました。テレビではCMもなく地震・津波情報が流れつづけ、みなさまも東北地方太平洋沖地震の時の緊張感がよみがえったのではないでしょうか。
そしてその約2週間後の2024年1月17日には29年前、阪神淡路大震災が発生していました。

神輝興産は建設業界の中では珍しく、社員の平均年齢が30歳ほどの会社です。そのため阪神淡路大震災をもろに経験している社員は数名しかおらず、ほとんどは幼少期の出来事であまり覚えていないか、もしくは生まれていません。
神輝興産では「橋」というインフラの点検を主な業務としていますが、その先にあるものは人々の生活の安全です。仕事をする上で、構造物というハード面を学ぶことはもちろん必要ですが、人々の生活を守るためには人の心や社会問題などソフト面を理解することも必要だと考えています。
29年前の阪神淡路大震災の時、人々の生活は一変しました。事務所があるこの神戸では何が起き、人々はどのような避難生活をされていたのでしょうか。当時を学び、生活を守るために神輝興産では毎年この時期に震災学習の機会を設けています。今年はこの地域で起こったリアルな話を聞くために、“語り部さん”をお招きして災害を学びました。

今回お越しいただいた“語り部さん”は特定非営利活動法人 神戸の絆2005の大濱さんです。
避難所運営に関わるお役目をされていた目線から震災当時の状況をリアルに語っていただきました。特に人の命がかかった救助活動、避難所として学校に集まる人、トイレの使い方で揉める人……。厳しい状況下で現れる人間の美しさ・醜さによる出来事には心を動かされました。そして、阪神淡路大震災だけでなく、東日本大震災での出来事なども紹介いただきました。特に津波に対する避難のあり方は東日本大震災から日本全体で価値観が大きく変わったことと思います。
そんな大濱さんのキャッチコピーは「震災を語り継ぐことは“未来を語ること”」。過去を振り返るだけでなく、未来のためにできることもお話いただきました。
衣食住の備えはもちろん大切ですが、どのように考え、行動できるかも大切です。
もし自分が被災したとして、危険が迫っているときどこに避難するべきでしょうか?限りのある物資をどのように使うべきでしょうか?避難生活を人に任せきりにしていいのでしょうか? 非常事態には皆がパニックになりますが、そこにはあらゆる心理状況が働いているそうです。非常事態に人と協力すること、人に判断を任せきりにするのではなく責任をもって自分で判断していくことなど、大切だと理解していても、もし自分が命のかかっている災害に遭ったとき、その通りに振舞えるのかを考えられずにはいられませんでした。
そして、これらの考え方は日常生活や仕事にも大切であるように思います。日ごろから心がけることが大切だと感じました。

南海トラフによる地震が関西圏で起こるだろうと言われてからもう何年も経っています。次の災害に向けて、講座を受けた社員には災害時はもちろん日常生活や仕事でも、今回考えたこと、感じたことを思い出して命と地域を守ってほしいと思います。

おわりに、神輝興産は昨年の5月に事務所を移転してきたばかりです。
災害時に棚などは倒れてこないか、避難はどこからすればいいのか、事務所の危ないところをみんなで考えたり、会社から避難する時にはどこが近く安全かを考えたりする機会も設けました。
改めて考えると、耐震の突っ張り棒が足りてなかったり、倒れてきそうな棚があったりなど危なそうなところがいくつか出てきました。避難場所もいざ調べようとするとどこを調べたらいいのか迷うことがあり、常に安全意識を持っておくことの大切さを実感する機会となりました。

最後になりましたが、大濱先生、この度はご講演ありがとうございました。講座の写真も載せたかったのですが、担当者が講座に夢中になり撮り忘れていたようです。それほどに聞き入る講座でした。神輝興産一同、御礼申し上げます。

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