桜美林と、なごり雪

アナウンサーが「菊池太陽」を連呼し、校歌の「イエス、イエス、イエスと叫ぼうよ」が5回流れた、1976年の夏。家族でのTV観戦。今、思うと僕の高校野球好きは、この家族との時間が忘れられなくて、始まったような気がする。とにかく野球云々でなくて、親が興奮する特別な時間が好きだったんだろうと思う。この年は原辰徳をはじめ、サッシー酒井や星稜の小松ら粒ぞろいの選手たちが活躍した、甲子園だった。
 記憶に残るのは選抜優勝の崇徳と東海大四。確か崇徳のエース黒田が高熱で、兼光だったか誰かがリリーフしたけれど、ほとんど投げたことがないようで、笑いながら投球練習をしていた気がする。カクテル光線の中、アクシデントを笑い飛ばす、お兄さん達が眩しく、カッコよく見えた。
 この年は、泳げたいやきくんや、山口さんちのツトム君など、幼児向けテレビ番組の曲が町中で流れていた。世はまさに高度経済成長の真っ只中、地方から中央へ多くの人が流れていった。高校を卒業をして憧れの東京へ、今も続く、この流れが強くなっていくなか、「木綿のハンカチーフ」が世を映し出す、またイルカの歌う「なごり雪」が都会の恋の儚さを歌う、恋愛がエリアを超えて自由になり、日本が自由な国へと動き出していた。
 ちなみに「なごり雪」は翌年甲子園のアイドルとなる、坂本佳一選手がインタビューで好きな歌として答えていた曲としても有名?。

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