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板坂留五─青森県立美術館/太田市美術館・図書館/北千住BUoY

板坂留五(東京都)

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今回は、建築との出会い方を思い出しながら選んでみた。
見るために訪れた・近くに行ったから訪れてみた・何も知らずに訪れていた建築。
建築に対する感じ方は、その時の自身の気持ちによって大きく変わってくる。
ふたたび、自由に外へ出向けるようになったなら、もう一度この建築に訪れたい、そう思う建築を紹介する。

青森県立美術館|青木淳建築計画事務所

学部2年生の頃に初めて建築を見るための旅行を計画し、その目的だった建築。実際に行くと、雑誌やwebで見ていたスケールよりもはるかに大きく圧倒されるも、一歩入ると、スケールと質感が行き来する繊細な空間の連続に息を飲んだ。特に展示室の地下2階から地下1階に上がる階段室が心に残っている。ガラス越しに白く塗られたレンガ壁が目の前に見えていたと思う。建築を俯瞰する思考と地面に立って想像する思考は、どちらかが優位に立つことなく、両輪であることを教えてくれた建築だった。

太田市美術館・図書館|平田晃久建築設計事務所

ここを訪れた日は雨の日で、雑誌コーナーには雨宿りの人が多くいた。館内は、ひとつひとつのゾーンはそれほど広くないにもかかわらず、いろんな人がひとりずつで過ごしていた。上層階から、下層階を眺められるポイントがいくつもあるが、誰もこちらのことを気にかける様子もない。職員の座るカウンターも、勉強をしている学生と同じように見える。今までの公共空間は、大きなカウンターが待ち受け、そこからどこに行くべきか促されるような順序があったが、この空間にはそれがなく、空間によるサービスが最低限に収められているような気がした。

北千住BUoY/ON MAY FOURTH|佐藤研吾/In-Field Studio

ここには、あるパフォーマンスの上演を見るために訪れたため、建築というよりもそれを見るためのハコとして訪れた。この空間は、建築と身体の関係がとても親密である。といっても、寸法が体に合っているというような身体性でも、既存の躯体に寄りかかる心地よさでもない。身体と既存の空間を行き来する些細な木造作が、人がそこでお茶することを許容したり、躯体の荒っぽさが新しい空間演出を与えていた。建築を見に来たのではなく、上演を見に来たからこそ味わえた体感だった。このような建築との出会い方が、何かの容れ物である建築ならではの幸せなのではないか、と思う。

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