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拝啓,内藤廣さま─『新建築』2019年12月号月評

「月評」は『新建築』の掲載プロジェクト・論文(時には編集のあり方)をさまざまな評者がさまざまな視点から批評する名物企画です.「月評出張版」では,本誌記事をnoteをご覧の皆様にお届けします!
(本記事の写真は特記なき場合は「新建築社写真部」によるものです)



評者:林千晶

「拝啓,内藤廣さま

先日(12月9日)の代官山ロータリークラブのイベントでは,私との対談にお付き合いいただき,ありがとうございました.私ごとですが,2020年1月から隔月で『新建築』の月評を書くことになりました.なぜ私が,と疑問に思われるかと思います.何より私自身がいちばん,驚きましたから.

『新建築』は,私たちがお付き合いしている若手建築家にとって,憧れの雑誌です.「いつかあの雑誌で特集されてみたい!」,そう思っている人も少なくないと思います.私が代表を務めるロフトワークが『新建築』に初めて取り上げられたのは,2012年6月号.渋谷道玄坂にデジタルものづくりカフェ「FabCafe」をオープンした時でした.自分たちのつくった空間が掲載されている雑誌を,持っているのが誇らしかったのを覚えています.

だから月評を書いてみないかというご依頼は,ふたつ返事で引き受けました.ただ,建築の専門家ではない私が,2,500字も何を書くのか.そう思いながら,届いたばかりの『新建築』をめくった時,内藤さんの姿を目にしたのです.

「そうだ,手紙形式で書いてみよう!」

たまには月評に「公開の手紙」のようなものが載っていてもいいのではないか.これから届く『新建築』の中で,隔月で6名の建築家に,若輩ながら記事を読んで感動したことや疑問に感じたこと,前から聞いてみたいと思っていたようなことを,徒然と書いてみたい.そう思い,今,ひとり目のお相手として内藤さんへの手紙を書いています.

前書きが長くなりました.イベントの時,私から内藤さんに「代表的な作品を3点挙げるとしたら?」と質問させてもらったことを覚えていますか? 内藤さんの答えた作品のふたつが,渋谷にある場所だったのには驚きました.ヒカリエに続く「渋谷駅街区東口2階デッキ」(本誌1207)と「銀座線渋谷駅」(2020年1月3日オープン).折しも今月の『新建築』では渋谷の再開発が特集されていて,建築論壇:都市をつくるで,岸井先生と内藤さんが対談されていましたね.

建築家でありながら,内藤さんはご自分で渋谷の高層ビルを建てていません.きっと,建築を手掛けたいお気持ちもあったはずだと思います.でも,まちづくりを司るデザイン会議やまちづくり調整部会側に立って,ガイドラインを策定したり,街全体が多様性を帯びていくように導いたりされています.妹島和世さん,隈研吾さん,シーラカンスアンドアソシエイツ,手塚貴晴さんと由比さん,古谷誠章さん.それぞれタイプが異なる建築家を起用し,ノイズとも言える「多様性」を街にインストールしていく.50年,100年先の渋谷の姿を見つめながら,そんな役割に徹するのも建築家の仕事なんだなと,認識を改めました.

渋谷の高層ビルに実装されはじめている「アーバン・コア」は,内藤さんが名付けの親なのですね.「アーバン・コア」は,移動する人を可視化して賑わいを街に引き出し,新たな「渋谷らしさ」を生み出すための仕掛け.それが初めて実装された渋谷ヒカリエを見ると,エスカレータを行き来するカラフルな人の群れが,まるで漏斗を流れる金平糖のように,街に彩りを加えています.建物の中に閉じ込めるのではなく,どこを歩いていても「人」を感じる.私も,まさにそれが渋谷の価値だと思います.

また今月号には,渋谷スクランブルスクエア第I期(東棟)の産業交流施設「SHIBUYA QWS(渋谷キューズ)」も掲載されていました.ご存知の通り,ロフトワークが運営をサポートさせてもらっています.東京の5大学や企業,起業家,デザイナー,エンジニアなどが連携して,イノベーションを生むための施設です.これから日本を変えていくのは,企業でも個人でもなく,ミッションを共有する「プロジェクト」という単位ではないか.これがQWSをつくったモチベーションです.

いくつかのプロジェクトに属するかたちで,人と人が自由に絡まり合う.可動式のテーブルやホワイトボード,FABルームなどは,さまざまなプロジェクトに合わせて活動を行うことのできる自由度の高い空間になっています.

中には,少し乱暴な意見を言ってくれる人もいます.渋谷スクランブルスクエア第I期(東棟)の建物について,「実は安普請だよね」と.ビル全体の骨格も壁も,高い材料を使っていないように見えると言うのです.でも私は案外,それでいいのではないかと思っています.それこそ,がっつり石でできている建物だったらどうでしょう? どんなに人が頑張っても,石の重みにはかないません.きっと「人」が感じられる渋谷の街には異質な佇まいになったことでしょう.QWSではガラスや板,布をうまく配置することで,私たちの声が浸透し,ここに関わった人の存在を残しながら,また次の演者を迎え入れる.そんなプロジェクトを更新していくために必要な要素が空間にあるように感じるのです.

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内藤さんも,渋谷の巨大開発には否定的だった方の言葉を受けて「厳しく意見してもらったことは,全体を組み上げる上で緊張感をもたらし,大きな意義があった」とおっしゃっていました.私自身,一連の再開発に企画の立場から関わる中で,反対する方の声を聞くこともあります.大規模な工事が続き,高層ビルばかりで渋谷は面白くなくなったと言う意見です.

異なる意見を聞くには,心の準備が必要ですよね.そもそも現時点で見ているもの,求めている答えが違うのだから.でも,現在地で対立していることがX軸上にあるとして,「時間」というY軸を置くとどうなるだろう,と私は考えます.渋谷を開発するのは反対.必要以上に大きくなるのも反対.でも同時に,渋谷が世界に発信するような都市になってほしい.一見,現在地では矛盾する意見も,長いスパンで時間の軸を加えてみると,どこかできっと交差する時が来るのではないかと思うのです.

人は,難しいです.街も人も,いろいろな矛盾を抱えながら生きていくものですよね.だから現在地だけを見つめて「どちらが正確か」を議論するのではなく,自ら主体となって働きかけ,変化を起こす側の人間でありたいと思っています.それはきっと,内藤さんも同じなのではないでしょうか.

内藤さんは,随筆家の書いた「桜」の字を机に飾っているとおっしゃっていましたよね.私の祖母も4月1日,桜が咲き乱れる中で亡くなったと言ったら,「西行の辞世の句みたいだな」と仰いました.早速,家に帰って調べてみました.

『願はくは 花のもとにて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ』.──できることならば咲き乱れる満開の桜の下で死にたいものだ.釈迦入滅の如月(二月)の望月(十五日・満月)の頃に.

たしかに,桜と共に人生を終われるのは幸せかもしれません.でも願わくば,私は内藤さんと毎年桜が咲く頃に飲みに行き,またこの街の未来のことをお話したいです.

敬具」


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