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思考から実体までを貫き立ち上がるもの──きっかけの建築 #2

木村吉成(木村松本建築設計事務所)

建築家の方々に、人生において何かのきっかけとなった建築と、そのエピソードを伺う連載企画。第2回は木村吉成さんに、「F3 HOUSE」(『新建築住宅特集』9509)を紹介いただきました。(編)

今から約20年前の2003年、パートナーの松本尚子と木村松本建築設計事務所を設立した。当時の自宅であった賃貸マンションの一室が最初の事務所だ。パソコンとプリンターを揃え、仕事用のデスクや本棚、名刺を自作した。プロジェクトをもって独立したわけではなかった僕たちにとって、事務所を立ち上げること自体が大きなプロジェクトだったため、事務所らしき場所が出来上がりとても幸せな気分だった。しかし、せっかくできた自分たちの場所でやる仕事はなく、知り合いの設計事務所に挨拶まわりをし、図面描きの手伝い(下請け)をさせてもらい過ごした。友人の知り合いが店舗設計をしてくれる人を探していると紹介され、徹夜で案を考え提案したものの、その後連絡はなく、しばらくして様子を見に行くと既に誰かの案が出来上がっていたこともあった(案外そういうものだ)。
それから、大学時代の友人などから徐々にローコストの店舗内装や住宅リノベーションの設計を依頼されるようになって、やっと設計事務所らしくなった。その後、新築住宅設計のチャンスがやってきたのだがとても困った。というのも、僕が前職で担当していたのは、鉄骨造の寺や非住宅用途の建築で、これまでに住宅の設計をしたことがなかったからだ。手当たり次第に本を読み漁り、松本とふたりでなんとか完成させた。
それからは年に1〜2件ほどの住宅設計の仕事をコンスタントに受けることができたが、どこかモヤモヤした気分が続いていた。設計がなぜそうでなければならないのかという決め手が見つけ出せずにいたからだ。たとえば階段の設計ひとつをとっても、コストやさまざまな条件のもとで数多の選択肢があるが、何を基準にそのすべてを決定をするのか。もちろん慣習的に、作法的に、あるいは名作建築を参照元にそれらを決めることも可能ではあるが、僕たちは曲がりなりにも自前の根拠で、建築の思考を含めた全体から部分まで、そのすべてを決定したかった。それが建築をつくることへの責任なのだと無根拠に考えていたし、またそれを引き受けたかった。「これが僕たちの建築です」といいたかったのだ。….


続きは新建築.ONLINEでご覧いただけます。

https://shinkenchiku.online/column/7125/


本記事で紹介されている建築

F3 HOUSE」(『新建築住宅特集』9509)
北山恒+architecture WORKSHOP


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