旅の記憶 〜浜松秋葉神社さん上社へ〜 ②
前回の続きです。
ここまでの道のりは①を読んでみてください♪
◆
道は先ほどよりももっと急になり、険しさを増していきました。
しかし、私はもうすでにその時には……恐怖や不安よりも、あることに夢中で思いを巡らせていました。
それは、前日にはじめて行ったライブ配信の中で、自分がしゃべっていたこと。
『これからは恐怖を超える時どんな心地かを楽しむ!』
最近はじめた『スケートボード』について思うことを話した中で、言っていたことでした。
「自分は、どんな時に恐ろしいと感じるのか。
自分は、どんなことを恐ろしいと思っているのか。
『自分を知る』という旅が、人生をもっと楽しくしてくれるのではないか……」
今、この急な山道を走行する車の中で、
私の「自分を知る旅」は、確実に歩を進めている気がしました。
今「恐ろしい」と感じている心には、ただ単に必要な気づきが起きているだけなのだと思えてきたのです。
つまり、
不安定なスケートボードの上であろうと、
険しく暗い山道であろうと……
そこで自分の心さえ揺らさずに見つめていれば、
この「恐ろしい」という感情が、
本当の姿を見せてくれるはず。
そしてその時出逢うのは、
「本当の自分」なのだと思います。
この時の「恐ろしい」という自分の感情をよく見つめてみると……
〈死が恐ろしい自分〉
〈死を恐ろしいものだと思っている自分〉
〈家族を失うのが恐ろしい自分〉
そんなようなことが姿を現しました。
しかし、結局それらの正体は、
〈死が恐ろしい自分〉
=生きていたいと思っている自分、
〈死を恐ろしいものだと思っている自分〉
=死が本来どんなものかさえそもそもわかっていない自分、
〈家族を失うのが恐ろしい自分〉
=家族が今はそばにある自分。
ということ。
さらにそれらはより一層本当のことを教えてくれます。
それは、
◆今はまだちゃんと生きている自分、
◆死がそんなに悪いものではないかもしれないという可能性をまだ考えついていない自分、
◆家族を大切に思っている自分。
そのように「恐ろしい」という場所から少しずつ離れ、
それを眺めると、今度は対岸にあるものさえ見えてきます。
だんだん私の心の中の感情の偏りが直っていき、
そして、心のちょうど真ん中まで戻ると、
私は「真実」になっていました。
この時「本当の私」を見つけたと感じました。
「……ああ、魂はここへ戻ってくるまでのことをいつも『旅』と呼んでいる。
その『旅』の中での学びや気づきはいつも、
より一層、本当の自分を教えてくれた。
より一層、本当の自分へと帰らせてくれた。
『旅』の中で出逢う、一見恐ろしいと思えるものは、
本当は恐ろしいものではないのだろう。
だけど、私がたどり着きたい境地は、
「恐ろしくない」ではなく、
「恐ろしくてもいいや」という自分への
確固たる信頼で常に生きることなのだと思う。
自分を信頼する気持ちが、私の本当の旅を運ぶだろう。」
……そして、大切なことをもうひとつ思い出しました。
「意味のないことは、ひとつも起こらない」
だから、
今日家族で浜松の秋葉神社さんへ出かけたことも、
二俣の山々の素晴らしさに感動していた中……
あえてV字の険しい山道を選んだことも、
そして恐ろしくなって引き返そうとしたことも、
でもタイミングよく後続車が現れて引き返さずに進んでいることも、
すべてに意味があったからこそ、今ここに心は至ることができたのだと感じました。
この「本当の自分」を知る旅は、
自分がいつどこにいても、
毎瞬新しくはじまり、
毎瞬いつかの旅から帰還しているのかもしれません。
ここまでのすべての伏線を回収させ、
大きな気づきと学びをもたらしてくれた今回の秋葉神社さん参拝への道……。
起こった出来事にも、大自然にも、家族や自分、ここへ・この瞬間へ導いてくれたすべてに、感謝が溢れてきました。
そしてその頃には、車外の景色や山道におびえていた自分の気持ちがずいぶん和らいでいました。
「意味のないことはひとつも起こらないのだから、
ここでもし私たちの命がなくなったとしても、
それはきっと、もうこの世に在る必要がなくなったというだけのこと。
その時には、ここまでに感じられた気持ちや、多くの学びを、感謝と共にあの世に持ち還ろう。
きっと、その先にはその先の旅が、またはじまるだろうから。
それよりも今は、ここに存在していられることへの感謝に集中しよう」
そんなふうに心はとても軽やかになっていました。
◆
……しかし「私・遥奈」という今回の旅(人生)には、まだ続きがあり、
まだまだこの命は学ぶべきこと・気づくべきことがあるようです……!
そう!
ついに!
浜松秋葉神社さんへ私たち家族は無事到着できたのでした!
……感謝です♪(やったー!)
◆③へつづく♪
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