夢とステンドグラス
今日は突然、ステンドグラスを見に行きました。
またマネージャー(母)と共に…笑
今朝、なぜかどうしても美術館に行きたくなり、その事を母に話すと「掛川」と返答がありました。
なぜ掛川なのかは私も母もわかりませんが、いつも母と私の間では「あ!あるな」というピンとくる感じがあると、そうなるのです。
(詳しくはまたnote.別記事に書けたら書きますね。
前回の記事でも母との繋がりについて最後の方に少し触れておりますので、ご興味ありましたらぜひご覧ください♪)
↓
「過去生と母(途中閲覧ご注意ください) 」
https://note.com/shinkaikanojyo/n/n795d3af50429
そして、掛川を調べてみると、「これだ」という求めていたものがわかりました。
それがステンドグラスの美術館だったのでした。
母と急いで支度をして出掛けて、掛川の美術館に到着しました。
ここからは少しだけ昨日見た夢の話をさせてください。(深層回転ゆめ日記・プチです♪)
◆
私は夢の中で、高速で移動する乗り物に乗っており、上空からとても大きな岩のような山を見つけて「あそこだ!」と何かを即決しました。
そして、そこへ降り立つと、その山の住人の女の子に「ここに10人の神様を連れてきてもいい?」ときいていました。
女の子は「喜んで」と答えてくれました。
快く許してもらえた事や、その安心から、私はとてもうれしい気持ちで、女の子にその山周辺を案内してもらいました。
女の子も「どんな神様なの?」とうれしそうにきいてくれました。
「神様がきたら、ここはもっとよい場所になるよ」と私は女の子に言いました。
その山や周辺は、少し乾いているようでした。
神様がここへきたならその乾きはすぐに潤うと私は自信を持って女の子へ伝えていたのでした。
〜夢の話おわり〜
◆
掛川のステンドグラスの美術館の方にきくと、これらのステンドグラスが元々あった教会は、もうなくなってしまったそうです。
教会自体が取り壊され、ステンドグラスはオークションにかけられ…
しかし、すべてが残ってはいなくとも、ステンドグラスは形そのままに、海を越え、時を超え、『日本の掛川』という地に、たどり着いたのです。
ステンドグラスを見つめながら私は、突っ立ったまま涙が溢れてきました。
描かれた、キリスト様やマリア様のお顔の表情、天使様の羽のひとつひとつや、装飾や自然、
これほどの細かい色の濃淡、それを表現するために尽くした技術、費やした時間、命…。
これを製作された方が本当に、神様を愛していらっしゃった事が一目でわかりました。
そして製作者の方は、このステンドグラスを通して、神様や神様が遺してくださった物語(聖書など)の中にある、
「本当の喜びへの"きっかけ"を多くの人の心にわけてあげられたならいい」と思われていたのではないかと感じました。
製作された方の心が、神様の愛そのものになっていらっしゃったのではないかしら、
神様の愛そのものになって、このステンドグラスを製作されたのではないかしら、
と、思わずにはいられませんでした。
そして、その愛をここまで届けてくださった多くの方の心もまた、神様の愛そのものであったのではないでしょうか。
ステンドグラスというものは、光のさし方によって様々な表情を見せてくれるそうです。
それは、見る者に自由に受け取りたい光を選ばせてくれる、とても寛大な神様の愛のようです。
するとまた、「ステンドグラスというものは、光がさすためにあるのではないか?(物理的にという事以上の意味で)」とも感じました。
それを見た者たちへ、しあわせな光がさす事を願ってつくられた、純粋な贈り物のようです。
◆
昨日の夢の中での私は、
「神様がきたら、ここはもっとよい場所になるよ」
と言っていました。
それは、
「神様ってすごいんだよ、
すべての生きるものをいつでもとってもとっても愛していて、
君がその愛をただ純粋に感じてくれるなら神様もとてもうれしく思ってくれて、
もっともっと美しくてしあわせな光で君を照らしてくれるからね」
という事を伝えたかったのです。
これは、ステンドグラスを製作されていた方の気持ちと、もしかしたら同じだったのではないかな、と思いました。
ステンドグラスの前で涙が溢れてきた時、「これはどんな涙なのか?」とその時自分の心にきいてみました。
(私にとって、なぜか涙が溢れてくるという時は、癒すべき事がそこからわかる時なのです。この方法、よろしければ皆さんもぜひお試しください♪)
感じたのは「懐かしい」「変わらない」「安心」という気持ちでした。
もしかしたら、ここまでの一連の流れはすべて偶然ではなく、何度も何度も、過去生の中で私はこの状況を体験していたのかもしれません。
ステンドグラスの中の出来事を体験していたのか、
ステンドグラスの近くでの出来事を体験していたのか、それはわかりませんが、
そうだとしたら何にせよ、やっと今世の私となって、癒す事ができたひとつの想いだったのかもしれないと思いました。
さらに、私は子どもの頃に合唱団に所属しており、そこでも「マタイ受難曲」や「キャロルの祭典」といった宗教曲をうたっていた事を思い、
それらの経験もここへたどり着くまでの伏線だったのかもしれないとも思えました。
すると、つくづく今回の私の人生は、これまでの自分の人生はもちろん、過去生のものまで、
"今ここ"で徹底的に悲しみを癒すためにあると思えました。
魂がその先へ進むために。
そして、これは私の勝手な解釈ですが、夢の中で「あそこだ!」と見つけた場所は、もしかしたら日本だったのではないかな?と思っています。
これについては確かな事を求めるよりも、
自分なりに夢の解読をしていく中で、新たなメッセージを取り出せたらいいな、と思っています♪
そして何より、そこからメッセージを取り出せたら…また私なりに、うたやイラストや漫画や映像など、作品に落とし込んで皆さんへ届けていけたらしあわせだなあと思います♪
純粋な想いの結晶である、ステンドグラスを製作された方々のように。
◆
今日は「神様」という事についていろいろと書いてしまいましたが、私は無宗教です。
私のひとつの考え方として読んでいただけたら幸いです。
また、心で気づいた事や思った事、夢の事も、これからは書いていきますね♪
今日もこんなに長い文章を、最後まで読んでくださって、ありがとうございました!
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