ルーキー
フィルム映画のような巻き戻しを、僕は三次元で感じていた。ギュルギュルという効果音が似合いそうだ。勢いよく巻き戻る感覚を全身で感じている。そして時は夜に巻き戻るんだ。
真夜中、アナログ時計は訪れる夜明けを告げ、子供はお休みの時間。僕はベッドから飛び起きた。何度も何度も繰り返す夜。サイドテーブルに置かれているテーブルランプは煌々と光っており、床に落ちた文庫本が読書しながら寝てしまったことを教えてくれる。いや教えてくれるなんてものじゃない、これは警告にも似たナニカだ。
季節の感覚は忘れてしまった。開いた窓から心地の良い季節であることはわかるが、どのくらいで夜が明けるのかもわからない。
ベッドサイドに縛られ動けないまま、部屋の中を見渡す。いつもどおりの部屋だ。僕の部屋だ。決して新しくモダンできれいなわけではない。見慣れたはずの部屋。
だけどこれから起こることに胸の中が暴れまわるような感覚に陥る。僕は全部知ってるんだ。恐怖に親指の爪をガリガリとかじる。
そのとき、夜明けの光が差し込んだ。
力強い風が窓から入り込み、大きくカーテンを捲し上げる。
何度も、何度も見た。
落ちていく女性の姿を。
これは悪夢であり、これは鎖だ。
また訪れる巻き戻しの時間。
今度こそはきっと。
僕はベッドから飛び起きた。
いつものアナログ時計の秒針の音。落ちている文庫本に開いているライト。
いつもと同じ夜明けだ。
何度も見た夜明けだ。
僕は今までの僕とは違い立ち上がる。
窓の側に立つと、カーテンを開き、窓を大きく開けた。勢いよく風が入りこみそして朝日が僕の黒髪を照らす。光を翳しても焦げ茶色にもならない髪は顎にかかる程度に長い。同じく真っ黒な服に陽の光が差し込むと影が上空から下に落ちてくる。
咄嗟に窓の外に出した手は酷くも空を掴む。
彼女は僕と違って真っ白だった。白いワンピース、白い肌、流石に髪までは白くなかったが、それでも彼女に抱いた印象は白だ。
今までベッドに座り込んでいた頃には気づかなかったことだ。
けれど、ただそれだけのことだ。きづいただけ。
僕はまた何も変えることができずにそのまま巻き戻されてしまった。
飛び起きる。また同じ時間、同じ状況。何回続いたのかももう忘れてしまった。
僕は立ち上がる。窓を全開にして、身体を大きく前に出した。
夜が明ける。
そして、白が降ってきた。
そして真っ黒な僕はその手を掴んだ。
そう、ようやく掴んだんだ。
「…… さあ、僕の名を呼んでくれ」
「だめ」
「それなら、生きようとしてくれ」
「私は運命に抗えない」
二度の拒絶の言葉に手は離れていく。
下にスローモーションで桜の花びらのように落ちていく彼女とともに、また僕は巻き戻しを食った。
口にして、いつか。
つけっぱなしのランプには目もくれず、今度もまた白を掴んだ。
「さあ、思い出して。僕の名前を口にして」
「だめなの」
「忘れてないんだろう? 大丈夫決して悪いようにはならない」
彼女は沈黙をもって拒絶した。
ひらりと秒速5センチメートルの落下。僕にはそう見える。
とても現実味が帯びていないから。
白を掴んだ。何度目のことだろう。
「さあ、僕の名を」
彼女は今度も応えることなく花びらとなる。
「さあ、僕の名を」
「決して悪くはならない」
「運命を変えるんだ」
「君ならできる、きっと」
何度目のことだろう。落ちた文庫本の名前を思い出すことも出来ない。
身体を思い切り伸ばして白を掴む。
「さあ、僕の名前を呼んで」
彼女の美しい、吸い込まれる目とようやく合った。
口が僕の名前を形成する。そうだ、これが運命だ。
その一瞬で彼女と僕の位置は入れ替わり、僕は宙に放り上げられた。身体が浮き上がったように。秒速5センチメートル。僅かな時間が僕たちに残る。落ちていく僕とは真逆に真っ黒な羽根が空へと飛んでいった。青い空に朝日、僅かな雲。そこに夜のカケラのような羽根。これは僕の羽だ。
窓際に落ちんばかりの勢いで身を乗り出す彼女は驚愕していた。
「羽ばたいて」
「口ずさんで」
「…… 行かないで」
最後の一言だけをかろうじて拾い上げて僕は落ちていく。
真っ黒な羽根にどんどん青空が支配されていく中、白だけが浮かび上がっているような感覚になった。
ああ、白。僕の白。
「いつか」
そう、いつか。
フィルムがばさりと落ちた音が響いた。
Fin.
オトノトショカンシリーズ
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