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無意識に支配されているというのは恐ろしいことだ。


どうも、瀬戸文乃です。眠いですが泳いでます。呼吸はしてます。

今日は私が母親に無意識に支配されていて恐怖を感じていることを話していきたいなと思います。

無意識。何を思い浮かべます? なんでもいいです。無意識にしてしまうこと、言ってしまった後に後悔すること、とかなんとかあるのかなって。

癖、と言う言葉で表されることもありますよね。自分で意識してないけれど言動に表れる。私にも大いに思い当たることがあります。

まあ、それを突き詰めすぎて死にたがりになってる所もあるんですけど。今はそれは置いておいて。

そんな無意識に支配されていることは怖いことだをテーマに書いていきます。


どうせなので、意識と無意識についても話しておきましょうかね。

言葉としての意識と無意識。今回はユング真理学の面から考えたいと思います。ペルソナのゲームで一番身近だったんや。ペルソナは良いぞ。

世間一般で言う”意識”は大きく分けて、『意識(=自己意識)』と『無意識(集合的/個人的)』から構成されます。はい引用。


意識(自己意識)とは

自己意識とは、外界ではなく自分自身に向けられる意識のことであり、向けられる自己の側面によって2つに分けられる。ひとつは、他者が観察できる自己の外面(容姿や振る舞い方など)に向けられる公的自己意識(public self-consciousness)、もうひとつは他者から観察できない自己の内面(感覚,感情,思考など)に向けられる私的自己意識(private self-consciousness)である。これらの用語は、注意が自己に向けられた状態を表す公的自覚状態(self-awareness)、私的自覚状態(private self-awareness)と混同されやすく、区別されずに用いられる場合もある。
私的自己意識が高められると、そのとき感じている感情が強化される。このような感情強化は、歓喜、恐怖、悲しみ、憂鬱、敵意などあらゆる感情にあてはまる。また、感情的なものだけに限らず、自分の身体状態や態度などをより正確に知覚できるようになる。

普段自分自身がなにかに共感心をもつことや、言動に伴って物や場所に向けること。もしくは、他人から”見られている”と思うこと。それを意識といいます。


無意識とは

個人的無意識は個人の意識内容が強度を失って忘却されたものや,意識によって抑圧された内容など。個人的色彩が強い
ユングは無意識を〈個人的無意識personal unconscious〉と〈普遍的無意識〉に分けて考える。前者は個人の意識内容が強度を失って忘却されたものや,意識によって抑圧された内容など,個人的色彩が強いのに対して,普遍的無意識はそれよりも深く,人類に共通の普遍的な層である。

意識は自覚あるものに対して、無意識は自覚がないことがほとんどです。意識することで無意識に自我が表れることもあります。

そしてこれが人間の意識階層の図です。

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こんな感じで人間の意識と無意識は層になってます。

今回話したいのは、黄色(個人的無意識)の部分。

急に学術的なこと言われてもわからないですよね。というわけで本題いきます。


親の顔色だけを伺って生きてきました。

私は親の言動が怖いです。親に言われたことが”私”の全てになっている節が成人してなお根付いています。現在実家で過ごしていて、私の中では、親の言動全てで一日の雰囲気が決まると言っても過言ではないです。

父親より母親のほうが怖いと感じています。手の動き、時折発する独り言、ため息、テレビをみて口に出した疑問、それにひとつひとつ反応を返さなければ高確率で不機嫌になるからです。おかげでイヤホンを両耳つけて音楽を聞くことができません。いつも片耳にして聞く体制をつくっていなければいけないと感じてしまいます。

私が父親より母親のほうが怖いと感じてしまうのはきっと、一緒の空間にいる時間が多いからだと思います。一緒にいる時間が多ければ多いだけ気を使わなければいけない、と考えてしまうから。

そう、幼少期から無意識に思い続けてきたのです。

これは無意識に親に支配されているということ。息が詰まってしまうのも時間の問題でした。実際学生の頃の私は息苦しさの正体を知らずに、「一人暮らししたい」と大学進学を期に東京に飛び出しました。

一人暮らしを始めてからはとても呼吸がしやすかった。生きている、自由を感じられました。都会だからなのかひとりだからなのかわかりません。でもあの一時は私にとって自由だったのです。

就職に失敗して、再び実家に戻ってきて3ヶ月が過ぎました。息苦しい。また呼吸しにくさを覚えてきました。

そこで私は気づきました。「親の呪縛」に晒されているんだと。

鬱になり病んだのも、親へ定期的に連絡を入れなければいけないことや、どんな行動をしても親の影がついて回ってしまったからです。それに加えて就職うつにもなってしまい更に病んだせいで病院に駆け込みました。

親の呪縛というのは親自身は気が付きません。他人に指摘されても、主観では子どもを縛っている認識なんて無いから改善もされることは稀でしょう。それとなく指摘しても伝わらなかったのか私の親は直してくれませんでした。諦めました。こちらにストレスが溜まる一方でした。

子の世界は親によって構成されます。親は無意識に子を縛ります。「親の価値観」によって子どもを縛ります。矯正します。

子どもも「親の価値観」が「自分の価値観」だと思って成長をします。そこに疑念をもたなければ「自分」はありません。「自分(個性)」はありません。

私はそれに考えが至ってしまい恐怖を覚えました。

無意識に縛られることが。

個性(自分)がないことが。

そう考えれば考えただけ呼吸がしづらくなりました。現状呼吸がしづらいです。だからこうやって書くことで吐き出しています。

こわいんです。くるしいんです。


ああ、まとまらなくなってきました。すみません。

こういった実体験から、無意識というのは恐ろしいこともある、という話をしたかったんです。だいぶ遠回りしましたが。

少し気分が乱れてきたので一旦寝てきます。おやすみなさい。


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