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”新家颯”の今まで、そしてこれから

まず初めに

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この記事を一番最初に投稿したのが2020年11月30日です。
そして現在編集しているのが2022年12月23日です。
なので一番最初にこの記事を投稿してから、約2年が経過しました。
この2年間は僕の28年間の人生の中で一番濃い2年間でしたので、こちらの記事に追記として2020年11月以降から現在までの僕の人生の生き様について書いてみました。
追記の記事は見出しの「14.社会人5年目(2021年)」からとなります。
では、いってらっしゃいませ。
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はじめまして。新家颯(シンカハヤテ)と申します。
僕が生きてきた26年間について
そして、これからの僕の未来について
このnoteに書いていきます。

生き様をnoteに書く
これを最初に見て感じたことは、
ありのままの自分について書こう
そう思いました。

生き様と言われたら
かっこいいことを書かないといけない
かっこいいこと書こう」みたいな
そんな人がもしかしたらいるかもしれません。

そういう人達は僕からすれば、それは生き様じゃないと思います。
生き様って作るものじゃなくて、行動した人しか現れないものだと
僕は考えています。

だから、「GOAL-Bの皆さんの生き様がかっこいい
そう僕は思います。

これまでの人生、そして今、そして未来
どの時間軸においても「挑戦している
言葉で塗られていない「ありのまま」の自分について書かれている。
僕はGOAL-Bのみなさんの生き様noteを読ませて頂いて、感じたことです。

だから、僕も「ありのままの新家颯」について書こう!!
と思い、この生き様noteを書きました。

僕はこのnoteで全てさらけ出します。

では、「ありのままの新家颯」のスタートです。

※ここから下は普段の僕の喋り方で書かせていただきます。


まず本題に入る前に...

僕は人よりもたくさんの人と出会ってきた。
その理由は、たくさん引越したから。

僕は転勤族だった。
1994年5月3日に大阪で生まれて、そこから埼玉→福岡→大阪→千葉(今ここ)
計4回引っ越した。

小さい頃からよく親の仕事関係で引っ越していた。
小学生時代は引っ越しが2回あった。1回目は埼玉県。
埼玉県の記憶が一番ない。1年間しか埼玉にいなかったのが理由だと思うが
ほんまに全然記憶がない。強いて言うな、サッカーやってた記憶しかない。
2回目は福岡県。埼玉の次にいった場所で小学2年〜中学2年までいた。

今まで親にも友達にも言ってこなかったが、
僕は引っ越しが好きじゃなかった。
その理由はせっかく仲良くなった友達と別れるからだ。
特に悲しかったのが福岡から大阪に引っ越すときだった。
今でも覚えている。めちゃくちゃ泣いた自分を。
小中のサッカーの友達、小中学校の友達、みんな最高だった。
引っ越すことで親を恨んだことがあったけど、たくさんの人に出会わせてくれて今は感謝している。
ず〜っと住んでいた地元っていう概念があまりないから、この地元が好きだーってないけど、
この26年間で僕は誰よりも人と出会えたことは幸せだし、誇りに思っている。

僕はたくさん引っ越ししたことで

・人を大切にする
・一期一会
・人との出会いが運命であることを信じる
・人との出会いに感謝する

このような気づきがあった。
これは今でもそうだし、これからもこの気づきは大切にする。
特に「運命」を僕はめちゃくちゃ信じている。
今の僕があるのはこの「運命」があったからだと思っている。
それぐらい人との出会いを僕は大事にしている。
この「運命」については社会人、特にコーチングにつながってくる。

ここからは僕の26年間の人生を時系列に沿って書いていく。


小学生時代  

1.サッカー人生絶頂期時代

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タイトル通り、僕のサッカー人生の中で絶頂期は小学生時代だった。
僕は物心がついたときにサッカーボールを蹴っていて、幼稚園からサッカーチームに入っていた。
小学5年のときに所属していたチームから僕だけ福岡県選抜に選ばれた。
すごく嬉しかったし、過去1番の実績。
でも、実はこの県選抜には苦い思い出がある。

それはなぜか?

2つ理由がある。

1つは周りがめちゃくちゃう上手かったからだ。
もうビビるぐらい自分よりも上手い人がたくさんいて
「なんで俺うかったんやろう?」って思いながらやっていた。

2つ目。2つ目の理由がめちゃくちゃでかい。
それはめちゃくちゃ苦手な人がいたからだ。すごい、僕のことをマウントとる人がいて、その人とサッカーするって考えただけで拒絶反応を起こして、初めてサッカーに行きたくないっていう経験をした。
その当時を思い出すだけで、なんか心が苦しくなる。

今まで僕はいじめを受けたことはないと思っていたけど、人生振り返ると実はこの時いじめ受けてたやん!!ってなった。
なんか意外な発見。もしかしたら、当時はいじめだと思っていたけど強がっていたのかもしれない。

小学生時代のサッカー思い出としてもう1つある。

それは【親からの説教

僕の親はすごいサッカーに対して熱心だったので、ある意味本気で僕と向き合ってくれていた。
でも、当時の僕は親からサッカーについてあーだこーだ言われるのがめちゃくちゃ嫌だったし、
説教を言われないように言われないようにサッカーをしていた時もあった。
試合帰りの車が嫌すぎて友達の車、友達が自分の車にいる時はめっちゃ幸せだった。(友達がいるから説教タイムがないから)

結局今でもサッカーをやるのは好きだから、親にやらされてやってたわけじゃないと思う。
そこは自信を持って言える。

中学校時代

2.中学3年は人生で1番悔しくて、もがいた時間

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中学2年まで福岡県にいて、中学3年に上がるタイミングで大阪に引っ越した。
中学2年までの僕の人生は楽しかったし、すごく充実していた。
中学はサッカーのジュニアチームで初めて背番号10番を背負い、すごく責任感を持ってプレーしていた。
まぁプレッシャーを負いすぎて、プレッシャーに負けていた時もあったけど…
勉強も成績は良かった。塾に通いながら、文武両道がんばっていた。

そんなある日大阪に引っ越しすることとなり、僕の人生がガラリと変わることとなった。
大阪に来てから、サッカー、勉強、両方とも天から地へ落ちた。
ありがたいことに大阪でもトップに入ってくるチームに中学3年でありながら途中から入らせてもらった。
そのチームは入る前にセレクションして、合格した人しか入れないチームなので、通常途中から入ることはできないらしい。
ここで僕は挫折しまくった。大阪のレベルに圧倒され、嫌になるほど挫折した。あのまま福岡にいたら味わえない経験だった。

この当時の自分はサッカーするのがとても嫌だった。
この時によく考えていたことは

「引っ越しのせいだ」
「福岡に戻りたい」
「福岡の時は上手くいっていたのに」
「環境が悪い」


今思うと、めちゃくちゃ最悪な思考だった。
この当時は「全て環境のせい」と、自分の弱さを受け入れられなかった。

その挫折はサッカーだけじゃなく、勉強もだった。
1番は高校受験失敗。僕は福岡にいる時憧れていた高校があり、そこに入学してサッカーで活躍するんだと勝手に想像していた。
しかし、転勤によってその夢は消滅した。そこから大阪に来たがサッカーでは全く活躍することができなかった僕は高校受験の道を選択した。
僕が受験した高校は勉強もある程度でき、公立だけどサッカーも強い、文武両道できる高校を受験した。

今でも鮮明に覚えている。

僕が受けた高校はその当時定員割れをしていた。ということは、よっぽど点数が悪くなければ合格することができるはず。
でも、僕はその高校に落ちた。シンプルに点数が足りなかった。それもだいぶ点数が悪かったんだろう。
同じ中学で一緒の高校を受験した子から「定員割れしてたのに落ちたん」って笑いながら言われたのはめちゃくちゃ悔しかった。

僕の中学3年は今まで生きてきた中で1番悔しくて、なんで俺はこんなにダメなんだろうって、すごく自己肯定感が低かった。
親にもどんな顔をしたらいいのか気まづかった。
福岡の時は、勉強では点数よくて、サッカーも調子良かったのに!!!って心の中で何回も何回も言っていた。全部引越しのせい、環境のせいにしていた。サッカー、勉強ができてた自分とできていない自分をひたすら比較していた。

この当時のことを思い出してnoteを書いてる時に涙が出てきた。
この当時の自分に対して、今は「自分の能力を信じろよ」って伝えたい。

中学はたくさん悔しい思いを経験して、もがいてた時代だった。


高校時代
③社会の厳しさを味わった3年間
④生まれて初めての大役に抜擢
⑤サッカー人生終了

高校時代

3.社会の厳しさを味わった3年間

僕は公立受験に失敗し、滑り止めで受けていた私学の高校へ進学した。
進学した高校はスポーツ学校でクラスが特進、普通、スポーツとクラスが別れていた。
そんな中僕は「スポーツクラス」で受験をして、そのクラスへ入った。
子供の頃の写真を見たらわかると思うが、中学生ぐらいまでなんなら大学生ぐらいまで「かわいいキャラ」だったので、スポーツクラスに進学することは周りからすると意外だったらしい。
(スポーツクラスはザ・スポーツマンみたいな人が多いから・・・)

スポーツクラスを選んだ理由は・・・
授業で筋トレができるってかっこいい」そんなシンプルな理由で選んだ。
中学生の時に高校のパンフレットを見て、授業で筋トレができることにめちゃくちゃ魅了に感じて、かっこいいーってなったのは覚えている。

しかし、僕が描いていた高校生活と全く違った刺激を与えられた高校3年間となった。

題名の「社会の厳しさを味わった」とはなんなのか?
それについて今から話していく。

最初にも説明したが、僕はスポーツクラスに進学することとなった。
実はスポーツクラスは3年間クラス替えがなく、担任も変わらない仕組みだった。そして、そこで僕はクラスの担任となった先生が僕の人生で一番厳しい先生だった。

今でもはっきり覚えている。一番最初に怒られた事件。
高校1年の4月頃、5限目が体育で授業が終了後、教室に戻り着替え終わって、ホームルームの時だった。
担任の先生が教室に入ってきていきなり
この教卓(担任の机)の上に空のペットボトル置きっぱなしにしたやつは誰や?
と大声で叫んだ。その時、全員「え?」ってなっていた。そんなに大声で怒ることなん?みたいな雰囲気になった。

そこからいきなり「5分間全員机の上で正座して目つぶれ」と言われ、恐怖の時間が始まった。あんなに5分間という時間が長く感じたのは生まれて初めての体験だった。一人のミスでクラス全員が責任を取る、「連帯責任」を初めて学んだ。
これをきっかけに3年間クラス全員で助け合い、時には誰かがミスをしてクラス全員で責任を取っていた。いやいや、そんなん理不尽やんってことは多々あったし、同じ高校で違うクラスの子からは「大丈夫?」と心配されることもあった。

でも、今振り返ると、”最高の高校3年間だ”と自信を持って言える
あの3年間で経験したこと、連帯責任、誰かを助け合う心、仲間の大切さ、社会の理不尽さ、普通の高校生活では味わえなかったことを経験し、学ぶことができた。それがあったから、今社会人としてきついこと、辛いこと、しんどいことがあっても人よりもはねのける力を持っていると思う。
てか、絶対そう!!

だから、僕は高校の担任の先生は僕の人生で一人目の恩師かもしれない。あの先生に出会っていなかったら今の自分はない。
そして、高校3年間過ごしてきた仲間は最高の仲間だった。いつかまた全員に会えたらいいな。

今の人からしたら、「そんなのパワハラじゃん」って思うかもしれないが、僕が思うのは、少なくても先生は本気で僕たちとぶつかってくれてた。僕たちのことを誰よりも見ていてくれてた。
本気で生徒と向き合ってくれたから、僕達はついていっていた。
だから、僕は全然パワハラだとは思わない。むしろ、感謝している。

4.生まれて初めての大役に抜擢

軍隊の中にいるような高校生活の最後に僕は大役を任された。

それは「集団行動の号令係

僕の高校は体育祭にスポーツクラス全学年で集団行動を毎年披露していた。
イメージは下の動画みたいな感じです。

集団行動を行うには指示、掛け声をする役が必要で、実質その役が全体のリーダーとなる。
その役に高校3年の時に僕が抜擢された。

今までの高校生活を見てきたら、確実にその役は僕じゃないと思っていた。
今まで歴代の人たちを見ていると、号令をかける人はみんなから頼られていて、責任感のある、リーダー基質な人だった。
だから、僕なんて選ばれるわけがないと思っていた。

そんな中、号令係が発表されることとなり、僕たちのクラスともう一つのスポーツクラスが体育館に集まった。

そして、
それでは今年のリーダーを発表する。今回の集団行動の号令係は・・・・

新家

ん?えええええええ

「は、はい」

その場にいた全員がどよめいた。

なんで俺なん?って率直に思ったし、めちゃくちゃ嫌だった。
人前で注目浴びるし、俺にそんな大役無理、そもそも人前に出るのが苦手
そんなタイプじゃない。
今思うと、当時はめちゃくちゃクリエティブに言い訳していた。

そこから2ヶ月弱の集団行動の練習が始まった。

僕が一番嫌だったのが、「自分の声」だった。
僕の声は小さい頃からめちゃくちゃ甲高く、すごく自分の声が嫌いだった。
高校時代もサッカー部で声をいじられていた。

でも、号令係は「」が命。僕の声が通らないと集団行動が成り立たない。
死ぬ気で声出しまくってたのを覚えている。声出すのも喉からばっか出していたので喉がいつもガラガラだった。初めて腹から声を出すって学んだ。

実際やり遂げてどうだったのか?

結論、「やってよかった

号令係をやって・・・


・人前で話すのが苦手じゃなくなった
(何百人、何千人の前で立った経験に比べたら、って思うと余裕)
・人間できないことはないんだと気づいた
・自分に自信が持てた
・達成感がハンパなかった
・やればできる

一番嬉しかったのは胴上げされたとき。
集団行動終了後にみんなから胴上げされたあの光景は僕にしか見えない景色。
今気になるのが、なんで僕が号令係に抜擢されたのか?
そういえば聞く機会がなく卒業してしまったので、当時なぜ僕が選ばれたのか先生に聞きたくなった。

この経験をしたからか、もともとの性格なのか、
今の僕自身を見つめ直すと、僕は「人から任された仕事に対して責任感がハンパない
絶対やり遂げるぞ、絶対やってやるって気持ちになる。

僕のその気持は少なからず、高校生時に抜擢された経験からきてると考えている。あの経験がなかったら今の僕はないのかもしれない。

5.サッカー人生終了

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幼稚園からずっと続けてきたサッカーが高校3年で終了することになった。
僕は冒頭で書いているが転勤族だった。あちこちと転々とし、たくさんの人と会うことができた。
そんな中で唯一ずっと続けてきたのが、

サッカー」だった。

どんな場所に行ってもサッカーをしていた。
サッカーボールを一緒に蹴ったら、ほんまに友達が自然とたくさんできた。

小さい頃は当たり前のようにサッカーをしていたが、サッカーができる環境、その環境を作ってもらった親に感謝したい。

当たり前のようにやっていたが、当たり前じゃない

引っ越しする度に一番最初に親が「必ずサッカーチーム」を探してくれた。
そして、僕のためにできるだけ環境の整ったチームを必死に探してくれた。
ほんまにありがとうございました。

そのサッカーも高校3年の冬の選手権ベスト16で終わってしまった。
高校サッカーはしんどい練習、先輩との関係性、今となったら意味がわからない罰則、すごく内容の濃い高校3年間でした。
一つ言えるのはこの高校でサッカーができて良かった。
僕は高校受験に失敗し、滑り止めで受けた高校に進学した。
公立から私学になったから親には金銭的に迷惑をかけたが、       
僕はこの高校に進学してたくさんの仲間ができた。
僕は今、関東にいて高校サッカーの仲間とはあまり会えないが、年末にフットサル、サッカーをして昔話するのがめちゃくちゃ好きだ。
僕はサッカーを通じてたくさんの仲間と出会い、その中で嫌いな人もいたけど、全部まとめて今までずっとサッカーしてきてよかったって自信持って言える。スポーツを通じて社会の厳しさ、人間関係、ルール、人としての在り方、チームスポーツとは、全てサッカーから学んだ。
自分に子供ができたら、サッカーじゃなくてもいいから、夢中になれる何かをやってもらえたら幸せだ。


大学時代

6.何歳になっても付き合っていきたい仲間との出会い

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高校卒業後は指定校推薦で大学へ進学した。

人生を振り返った中で一番楽しかったのは大学生活だった。
これは間違いない。

なんで楽しかったのか?
それは、「何歳になっても付き合っていきたい仲間と出会えたから

正直、大学時代の友人に出会えていなかったら、僕の大学生活は全く楽しくなかったと思う。

その仲間と出会ったきっかけは「フットサルサークル」だった。

ここでサークルかよって思った人、
高校の時のような部活じゃなくて、遊びやんって言われても仕方ない。

でも、僕が入ったサークルは遊びの部分ありつつ、めちゃくちゃスポーツに対して熱い人達ばっかだった

僕はサークルに入るなら、スポーツをするなら強いチームに入りたかったし
上手い人達とやりたかった。

そんな時に自分らの代だけでサークルを作るって聞いて、しかも僕が知っている
高校サッカーの常連校だった人らで作ろうとしていると聞き、ここだって思って飛び込んだ
その結果、今の仲間と出会うことができた。僕が卒業した大学はフットサルが盛んで、大学内大会が年に数回あるぐらいフットサルが人気だった。

そして、その大学内大会で僕たちのサークルは群を抜いて強かった。
まぢでハンパなかった。優勝記録は忘れちゃったけど、たぶんえぐいと思う。大学生になってサークルであんなに盛り上がって、真剣に、貪欲になって勝ちたいと思える大学生活を想像していなかったので、すごく充実してたなって思う。

僕は一番最初にも話したが、転勤族だった。
だから、地元って言う地元がなく、そこにすごく大学生時代は抵抗感を抱いていた。

でも、僕は大学でこれからも大切にしていきたい仲間と出会えたから
そこに対する思いは今は抱いていない。
最高の仲間がいれば、そんなのどうだっていい

これからも僕は大学の仲間を大切にしていく。

社会人時代

7.社会人1年目(2017年)

大学卒業後、僕は美容と医療に携わるメーカーに就職した。
今の会社は研修を重宝していて、研修期間が10ヶ月ある企業。
まぢでめちゃくちゃ長かった。
研修が充実してることはいいと思っていたが、僕は現場に出て早く活躍したい気持ちが強かったので、研修が長いのがつらかった。

社会人1年目は研修生ということでこれと言った成果はなく、10ヶ月が過ぎていった。

そして配属の時が来た。

僕はの配属先は「千葉県」となった。

千葉県?!また引っ越しかよってなった。
神様どんだけ俺に引っ越しさせるねんって思いつつ、
千葉に行くこととなった。

でも、これが僕の人生を変えることとなった。

8.社会人2年目(2018年)

千葉県に配属が決定して、2年目から生まれて初めての千葉県で生まれて初めての一人暮らしがスタートした。

僕は今まで実家ぐらしだったから、一人暮らしは不安でしかなかった。
料理はできたが、ぶっちゃけ洗濯、アイロン、掃除をそこまでしてこなかった。 

この時に「親のありがたみ」を実感した。
毎日料理、洗濯、掃除、家事全部やってくれてすごい存在だと気づいた。

間違いなく一人暮らしし始めてから、人間として成長をした。

仕事の方は挫折しまくった。

自分は仕事ができると信じて、仕事なんて余裕と思っていたが
見事に砕け散った。

それに気づくことができたのが、めちゃくむちゃいい上司と出会ったからだ
その上司は僕のことを思って、本音で言ってくれる、間違っていることは
しっかり注意、時には怒ってくれた

そんな人は今の会社に僕の上司しかいないと思う。

調子乗ってた僕を本気で向き合ってくれた。
この人に出会えただけで、千葉に来てよかったと思う。

人として成長した1年間だった。

9.社会人3年目(2019年)

コーチングとの出会い

僕の人生がガラッと変わり始めたのがこの2019年〜2020年だ。

千葉に来て1年が経ち、ある程度仕事にも慣れた頃だった。

そんな時にある動画と出会った。

それは「AKIOBLOG」だ。

僕はもともとYouTubeを見るのが大好きで、その関連動画から
AKIOBLOGのルーティン動画と出会った。

最初見た時、この人のパワーハンパねー、なんで毎日こんないきいきして
過ごしてるんやろう
って疑問に思っていた。

なんか自然とこの人と会ってみたいと思うようになり、
そこからルーティン動画の虜になっていた。

見始めてから月日が経ち、
2020年2月にAKIOさんとKENTOさんで
ワークショップを開催すると知り、しかもそれが東京で開催されると言うことで、すぐに参加ボタンをポチった。

そのきっかけが「僕の人生を変えるターニングポイント」となった。
僕はこの言葉を色んな人に言ったし、これからも言い続けていく。
間違いなく、あそこが僕の人生のターニングポイントだ。
そのワークショップについては別の記事で書いたので
そちらを見て頂けると幸いです。


記載したnoteにも書いているが、
ほんまにこのワークショップに参加して良かった
このワークショップで新しい出会いがたくさんあり、
生のAKIOさんと会って、底知れぬパワーを体験することができた。

そこから僕の人生の歯車が動き始めた。

動き始めたきっかけが

コーチング」だった。

ワークショップに参加して、

僕は「山宮健太郎」というハンパない漢と出会った。

最初はワークショップの中で異様なオーラを持った人がひとりおるな〜って感じていて、それは結果間違いじゃなかった。

ほんまにこの人と出会えてよかった。心の底からでてくる言葉。
僕は山宮さん、そしてGOAL-Bのコーチングを受けてから、
歯車がぐわ〜って全速力で回り始めた。

今書いている自分の人生をnoteに書くことは、コーチングを受けていなかったら
絶対書いていない。そして、絶対挑戦すらできていなかった。

今までの自分から新しい自分と出会うきっかけとなった。
たぶん、高校、大学の仲間からすると、あいつ変わったなって絶対言われると思う。

僕はコーチングと出会い、僕はこれからとんでもないゴールに挑戦するんだと、今と未来を見るようになった。
僕が「コーチング」を受けて何が一番変化があったのか?

それは「新家颯を自分が一番好きになれた

今までの自分は

「自分に自信がない」
「自分の声が嫌い」
「他人と比較する」
「周りの目が気になる」


自分のことを好きなれず、自信がなかった。

でも、「コーチング」が僕自身を好きにさせてくれた。
今では新家颯がめちゃくちゃ好きで、新家颯をもっと世界中に存在感を示していきたい。

具体的にコーチングを受けて何に挑戦したのか?

■コーチングを受けて挑戦したこと
※小さいことから大きいことまで書いてます
・筋トレ始めた
・早寝早起き始めた
・「今の自分」について友人に話しまくった
・友人、会社の先輩、後輩にコーチングを提供した
・全く知らない人にコーチングを提供した
・noteを始めた
・毎日振り返りをする
・1ヶ月間「自分の良いところ」を書きまくった
・コーチ仲間とコーチングについて話した
・発信が圧倒的に増えた(Twitterで「今この瞬間の自分」についてツイート)
・中井さんの「自己成長LABO」参加
・コーチングに自己投資(TCS・CTIの基礎コース・GOAL-Bコーチングセミナー)
・YouTube始めた
・動画でコーチングのクライアント募集した
・達成したいゴールを色んな人に伝えた
・自分自身を見つめ直した(在り方)
・セルフトーク始めた
・0秒思考始めた

スコトーマーが外れて、RASが発火し、情報のインプットに変化が現れ、
僕自身にも変化が現れた。
AKIOさんKENTOさんのワークショップに参加していた自分(2020年2月)と今(2020年12月)では、また違う。ほんまにこの期間めちゃくちゃ濃かった。

だからこそ、もっとこれからの人生を加速。いや爆速していきたい。

そのためには「エフィカシーが高い集団」に入るべきだと僕は思っている。

10.社会人4年目(2020年)

社会人4年目になり、初めての後輩をもった。
ここで「人の教育」についてめちゃくちゃ苦労した。
何に苦労したのか?

それは「後輩との関わり方」だ。

これは最近起きた出来事で、
僕が一番尊敬している上司(千葉に来てよかったと思えた上司)が新しく入ってきた後輩の影響により、異動することとなった。
詳しい内容を書くと、会社、後輩に迷惑がかかるかもしれないのでここでは控えさせてください。

この出来事は2020年10月に起きて、僕はその1ヶ月間初めて、なにも手につかず、急に何も行動ができなくなった。
「コーチング」に出会い、やっと自分の未来に向かって走り出していたのに、急に目の前が「真っ暗」になった。
僕はひたすら泣いていた。何もできない自分に腹が立ち、自分を責めまくっていた。
なぜなぜなぜをひたすら頭の中で自問自答していた。ほんまに辛かった。

この時に僕を救ってもらったのが、
仲間とコーチング」だった。

中井さんの自己成長LABOのメンバーにその当時の気持をさらけ出し、
泣きながらメンバーに話をきいてもらった。
そして、コーチングでは中井さんにコーチングを依頼し、
自分の感情を言語化することで心の中にあったモヤモヤがす〜ってなくなっていった。

この時に僕は山宮さんのコーチングを受けていた頃を思い出した。

「言葉は現実化する」
自分の吐く言葉が思考を作り
その思考がその人の人格を作り
その人格がコミュニティーを作り
そのコミュニティーが環境を作り
その環境が人生を作る

吐く言葉で自分の未来が変わる

僕はそこから自分の吐く言葉を変え、視点を変えた
僕はずっと後輩が悪い、あいつのせいだ、その視点しか持てていなかった。
でも、視点を変えてみた。後輩の視点尊敬する上司の視点、その視点に立つとその視点ごとの気持ちがわかった。
色々な視点に立って、もう一度自分に戻ってきた時に、出てくる言葉が変わった

じゃあどうすれば今の環境が良くなるだろう
どうすれば後輩とスムーズに関わっていけるのだろう
もっと俺から話を聞いてみようかな
後輩は今何を考えているだろう
もっと俺にできることはないのか

すごく前向きな言葉が出てくようになった。

マネージメントって言えるほどの人数を見てはいないが、
人との関わり方、教育の難しさを最近になって学んだ。

11.今

今何をしているのか?
今僕は本業とコーチングをしている。
コーチングは実際に自分が体験して、「コーチングをもっと多くの人に知ってほしい、体験してほしい
社会人になって初めてやりたいことと出会うことができた。

コーチングと出会って、僕は人生がガラって変化し、今までやってこなかったこと、ゴール、やりたいことを見つけることができた。
だから、今年(2020年5月)からコーチングを本格的に開始した。

全然上手くいかないことばかりで、悔しいし、泣いたこともあった。
でも、こんなに自分の人生で本気で生きている実感を持っていて、
今の人生がすごく幸せ。

そして、コーチングを通じてたくさんの人と出会うことができてよかった。
クライアントさん、コーチ仲間。

今年のお盆休みにコーチングスクールの「CTI」に参加した。

僕はそのスクールでおそらく最年少で、参加してる人の年齢層の幅は広かった。
そこで僕は率先して発言しまくった。何回も何回も手を上げて、挑戦しまくった周りの目を気にせず、失敗することを恐れなかった
結果、そのスクールで新しい仲間ができて、そして新しい自分を見つけることが出来た。
最高の空間だった。

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12.現状の外側のゴール

僕の今のゴールを共有します。

■仕事
・小学生〜大学生:教育✕コーチング
→日本の教育にコーチングを導入させ、各年代(小学校、中学校、高校、大学)でマインドセットされ、
自己理解することでそれぞれが自分の将来進みたい進路を作り出す手助けをする
・社会人:カフェ✕コーチング
→非日常を体験できるカフェを経営し、そこに来たお客さん(人生に悩みを抱えている人)においしいコーヒーと
コーチングを提供して、「新しい自分と出会える」場所として世界中から集まる場所を作る
カフェでコミュニティーができ、キャンプで焚き火コーチングのような非日常体験できる活動をしている
・スポーツマン:サッカー✕コーチング
→サッカー✕コーチングの会社設立して、一流のプロサッカー選手、一流のプロサッカーコーチに
組織コーチング、チームビルディングを行う
コーチ、選手にコーチングを取り入れることで、コーチ、選手のパフォーマンスが向上し、
結果として、日本が世界で対等に戦うサッカー国となり、子供から憧れる職業の上位となる
■人間関係
・全国民からコーチングの依頼がきて、毎日誰かにコーチングをして、やりたいことで溢れている人を増やしている
・世界中から非日常体験、日本を体験できるカフェとして遊びに来て、日本が好きな外国人が増える
・一流プロサッカー選手、コーチにコーチング依頼が来て、世界で活躍する人材育成している
・日本サッカー協会からコーチング依頼が来て、サッカー業界に貢献している
・肌、ニキビのプロの人と関わり、外見からも美しくなることで楽しい人生が送られる人を増やしている
・キャンプメーカーとのタイアップでキャンプ好きな人が増える
・日本の教育界トップの方からコーチングの導入コンサル依頼が来て、日本教育界に貢献している
・仲間想い、新しいことにチャレンジする、そして自分自身がやり遂げたいゴールを持っている熱い人達とチーム一体となり
カフェ、サッカーコーチング会社を経営している
■社会貢献
・世の中が「コーチング」という言葉で溢れかえっている
・子供から大人まで無邪気に自分を表現し、自分の夢を語り合える社会になっている
・なりたい自分になれる世界にする(内面・外見)
・やりたいことがある人に対して投資する
・プロコーチになりたいと僕に伝えに来た熱い人に投資する
■知性
・肌(ニキビ)のスペシャリスト
・コーチング教科書の開発
・サッカー✕コーチングのノウハウ
・チームビルディング
・組織開発
・英語
・ビジネススキル全般(マーケティング・ブランディング・SNS戦略・KPI)
・お洒落な空間が何かわかる(建築の知識)
・コーヒー知識
■家族
・最高の朝日、きれいな景色が見れる家に家族4人で暮らす
・暖かい国に1年間の半分は海外で暮らす
・子供には自分のやりたいことに向かって努力し、それに自信を持っている子供になってほしい
・家族よりも仲間みたいな関係でありたい。みんなが応援しあう関係
■ファイナンス
・1億円
■健康
・ニキビをなくすための化粧品開発に携わる
(ニキビ0を目指す会)
■趣味
・山買って、会員制秘密基地作る(サウナとキャンプが出来る空間)
・ハワイが拠点となり、(あたたかいリゾート地を複数もっている)サーフィン、カフェ、きれいな景色を見る日々を楽しむ                  ■直近のゴール
直近のゴールとして、半年後の5月3日、僕の誕生日までにカフェ✕コーチングを実現させます!!
実際に店舗を持ち、運営していきます。
めちゃくちゃこわいけど、挑戦します!!
やりたいことで生きていくを体現していきます。


13.最後に

僕は最近コーチングを受けて、そしてこのnoteを書いていて気づいたことがある。

僕は「」がめちゃくちゃ好きなんだってことに。

今までの人生において、たくさん転勤してたくさんの人と出会い、別れを経験した。
また、人から救われたこと、人生を変えるきっかけをもらうことができた。
僕の人生はたくさんの人と関わって歩んできた

だからこそ、これからも僕は「」と関わり続ける。
そして、今度は僕が「人」の人生を変えるきっかけになる

僕はAKIOさんの動画と出会って、僕はAKIOさんに憧れを抱いていた。

でも、今は違う。

憧れじゃない。俺も一緒に同じステージに立っている。
だから、僕はこの応募に飛び込んで、ありのままの自分をさらけ出した。

これが「新家颯」という生き様です。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
こののnoteがたくさんの人に見られ、このnoteをきっかけに
俺も、私もやってやろう」っていう人達が増えることを僕は信じています。

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ここから追記部分になります。
※2022年12月23年より
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14.社会人5年目(2021年)

この2021年は僕の社会人生活が大きく変化する1年でしたので、詳しく1つ1
つ書いていきます。

【カフェ×コーチング開催】
2021年、年が明けて早々に新しい挑戦をするきっかけがありました。
それが「カフェ×コーチング」の挑戦です。
「12.現状の外側のゴール」の章で書いていますが、直近のゴール(誕生日の5月3日)に「カフェ×コーチング」を開催すると書いてます。
それに向けて年始早々に運命的な出会いがSNSでありました。

たまたまTwitterを見てた時にあるnote記事と出会いました。
それがコチラの記事です。

まさかと思い、気づいたらすぐにこの記事を書いた方へ「一緒にやりたいです」と連絡をしていた自分がいました。
その発起人の方は元々共通のコーチングきっかけで出会い、僕と同じコーチからコーチングを受けていました。
その共通点もあり、一緒に挑戦したいという気持ちで連絡をしました。

なので2021年のスタートは今までにないくらい、ワクワクな気持ちでスタートすることとなりました。

スタート当初は僕とリーダー(発起人)の2名でしたが、リーダーの想いに共感した人から「一緒にやりたい」と連絡があり、2名メンバーが増えた。
こうして計4名の仲間でカフェ×コーチングの開催に向けて動き始めた。

開催日を5月のゴールデンウィークで東京のレンタルできるカフェでやることが決まっていたので、そこに向けてリーダーを軸にそれぞれ自分らの役割を決め、動いていた。メンバー全員本業もあったため、本業もやりつつ動いていた。

カフェ×コーチングを開催するために一番最初の壁が「資金」だった。
僕達はこの資金をつくるために「クラウドファンディング」を使用した。
その時のページがコチラ

メンバー全員クラウドファンディングが未経験だったが、僕達はそんなことに全く恐れず、ただ「絶対に成功する」ことしかお互い考えていなかったし、言葉にして伝え合っていた。

結果は当初目標にしていた金額大幅に更新し、成功することとなった。
成功の要因は何かと聞かれれば即答で「マインド」だと答える。
もちろん、成功するために色々な策を考え、話し合い、実行し、それが結果にもつながっているが、本質はそこではない。
全ては「マインド」。これに尽きる。このマインドをつくることができたのは「仲間」がいて、「言葉」があったからだ。「絶対に俺たちならできる」とお互いの共通言語としてあり、その共通言語が僕達の勇気、パワーとなった。言葉が成功へと導いたと言っても過言ではない。

そんなこんなで、無事に2021年5月3日〜5日に「カフェ×コーチング」を開催することができた。
そして、その日に28歳の誕生日を迎えた。この日に開催し、誕生日を迎えられたことは運命だと思う。メンバー、お客様と一緒に誕生日を迎えることができ、こんな幸せな日はなかった。とても幸せな気持ちでこの挑戦を終えることとなった。

【大きな決断】
2021年1月〜5月はこのカフェ×コーチングに自分の生命時間、お金を使った。また、2021年3月は本業の決算月であったため、2021年前半はものすごく忙しく、あっという間に過ぎ去っていった。そんな時、僕はカフェ開催が終わってから、この先の人生をどうしていこうか悩む時期に入っていた。
挑戦する楽しさ、新しい仲間との出会い、本業以外に夢中になれる時間がものすごく楽しかった。と同時に、「自分の可能性」に蓋をしているのではないかと感じ始めた。もっと俺はできる。違うことに挑戦をしてみたい。そんな気持ちが芽生え、本業をやっている時間が苦しくなった。

そんな期間を2ヶ月過ごしていたが、ある日急にこんな決断をした。

それは

「今日会社辞めるって上司に伝えよう」

もともと僕は色々頭で考えるのが好きではなく、どちらかと言うと行動が先行するタイプなのでどんだけ考えても答えは出なかった。
だから、今日だ。って決めて、決断したその日に上司に会社を辞めることを伝えた。もちろん、その時は次の会社は決まってないし、どうするかも定かでなかった。でも、自分がこの先どうなるか意外と不安はなく、ワクワクがまさっていた。そして、なんか心の中がすごくスッキリしていた。多分、2ヶ月ぐらい考えてたからだと思うけど、本当に言えてよかった。

そんなこんなで退職を伝えたのは7月で営業の引き継ぎ、有給休暇の消化で2021年9月20日をもって、1社目の会社が終了となった。

【ベンチャー時代】
じゃあ次の進路はどうなった?ってところだが、嬉しいことに退職を決断した後、ご縁があって次の会社を紹介してくれる方とお会いし、実際にご紹介頂けた会社の社長さんと面談をする機会があり、そこで会って「ここで仕事をしたい」と僕の直感がピンときて、自分の想い、そして会社の理念、これからどんな未来にしていくのか、お話を聞き入社入社させて頂くこととなった。
本当にこれまた運命な出会いによって、次のステージへと進むことになった。

2社目はどんな会社かと言うと、簡単に言うとオンライビジネススクールのベンチャーだ。働くメンバーは10人弱、完全リモートワーク、朝6時の朝礼からスタート(当時と今は変わっているかもしれません)、福利厚生で美容院代、ジム代が支給、複業OK(むしろ複業推進)そんな世間とはちょっと違った会社。初めてのベンチャー。ワクワクとドキドキがいっぱいで新しい環境での挑戦が10月からスタートした。

ワクワクとドキドキでいっぱいだったのは束の間。1社目の会社とは全く違い、やった事ないことばかりの仕事で最初はついていくどころか、必死で目の前の業務で精一杯やった。それまで営業しかやってこなかったので、LP制作、コンテンツ制作、広告運用など未経験の仕事ばかりでした。
ここでこれから就職される方、転職でベンチャーを視野に入れてる方に向けて、僕が感じた大手とベンチャーのそれぞれのデリメリをお伝えしたいと思う。

【大手のメリット】

①仕事がシンプル
1個目は「仕事だシンプル」と言うことだが、大手は人数が多く、1,000人規模となってくると部署が分かれ、それぞれの部署で役割分担された仕事に集中し、結果を出せばいい。だから、自分が担当する仕事が明確かつ、それだけをやれば問題がない。会社全体を考えると言うより、自分の与えられた仕事に集中すればいいので、すごく仕事がシンプル。色々な仕事をやる、任されるのが嫌な人からすればメリット。

②バランスが取れる
2個目は「バランスが取れる」だが、よく言う「ライフワークバランス(生活と仕事)」のことだ。仕事は仕事、プライベートはプライベートだとハッキリ時間を確保することができ、分けた人はおすすめ。もちろん大手の中でもワークライフバランスが取れないところがあると思うが、ここではあくまでも僕の経験則がベースなのでご注意を。僕自身はベンチャーより大手にいた方がこのバランスを取れていた。

③安定した給料、ボーナスがもらえる
3個目は「お金」について。僕がいたベンチャーはまだ人を採用初めて1期目だったので、お給料が大手よりも低く、かつボーナスがなかった。安定した給料、年2回ボーナスは欲しいと言う方は大手なら必ずもらえる。ただ、ベンチャーは短期目線より長期目線なので、長い目で大手よりも給料はもらえる可能性は高い。しかし、この後の話に出てくるが、ベンチャーやスタートアップでは会社の業績が悪いと、給料が払えないケースがあるので、そこは不安要素として残る。

【大手のデメリット】

①業務範囲が狭くなってしまう
1個目のデメリットは「業務範囲」についてだ。社員数が多いと、部署が細かく分かれ、それにより自分の仕事範囲も狭くなる。例えば、営業に配属なれば営業しかできない。マーケティングや人事について学びたいとなっても中々移動することができない。部署移動がやりやすい大手であればこのデメリットは解決されるが、僕の会社はポジティブな部署移動が少なかったのでデメリットにした。スピーディーな人事異動ができればいいのだが。どうしても人数が多いと一人一人の意見を拾って、改善するのに時間がかかってしまう。

②スピードが落ちる
2個目は「スピード」。何のスピードかと言うと、決裁スピード。会社の改善、新規事業の立ち上げ、GOするまでに決裁者の人数が多く、どうしてもすぐに動きたくても動けない。新規事業の場合、そのスピードが命取りで、動きが速い大手(決裁スピードが速い)やメガベンチャーに先越されてしまう。

③理念の浸透が薄い
3個目は「会社の理念」について。僕がいた大手の会社ではちょうど100周年を迎えるにあたり、会社のパーパス(存在意義)を考える機会があった。僕は今までに体験したことがない機会だったので、楽しみでしたが、上司や古くからいる社員の人はあまり乗り気ではないところを見て、僕は少しガッカリした。人数が多いと中には会社の理念なんてどうでもいい、勝手に決めればいい、と言う人もいるのが現実。やはり、社員全員に理念を浸透させるのは人数が多いと大変だと言うことを知った。就活、転職する方で「会社の理念、ビジョン」を軸にする方は、気をつけてほしい。

【ベンチャーのメリット】

①経験値を積みやすい
1個目のベンチャーのメリットは「経験値」について。ベンチャーは人が少ないため、任される仕事の幅が広い。仕事の幅が強制的に広がることで自分ができる幅も広がる。広がることで経験値がたくさん積むことができる。この経験値はのちに活かされる。若くからたくさんの経験値を積みたい方はベンチャーおすすめ。

②価値観の幅が広がる
2個目は「価値観」。ベンチャーで働く人はそもそも少しおかしい人が多い。これはいい意味でってこと。一般企業で働く人からすると、なぜ自分からわざわざしんどい環境で仕事をするのか理解されない。ベンチャーはそれぐらい泥臭い環境だから。だから、そこに自分から来る人は世間一般的からすると少しおかしい人になる。それが僕は好きで、普段はそんな人と出会えないし、常識とか関係なく、いろんな人がいるから自分の価値観が広がる。見えない視点を見つけれるので視野が広がるになる。そんな僕もおそらく少し変わった人なんだろうな。わら

③主体性が身につく
3個目は「主体性」だ。これはベンチャーならではないかと思う。1社目でも自分なりに考えて仕事をしていたが、ベンチャーに入ってからの方がより主体性を持って仕事ができていた。これはベンチャーならではの環境で、待ってても仕事は来ない。自ら考え行動し、改善してまた行動。この繰り返しでしかなかった。すると、自ずと仕事を積極的にやる姿勢が芽生え、気づいたら会社を自分ごとのように考える癖がついた。これは大手にいた時には得られなかった経験。

【ベンチャーのデメリット】

①プライベートは少なくなる
1個目のデメリットは「プライベート」。ベンチャーにプライベートはないと思っていた方がいい。それぐらいの気持ちでいた方が楽になる。プライベートがない訳ではないが、1日のほぼ仕事だし、土日祝とか関係ない。そもそもワークライフバランスという言葉がベンチャーは嫌いだから、プライベートをしっかり確保したい方は大手に行くべき。

②メンタルが試される
2個目は「メンタル」。これはデメリットと言えるか変わってしまうが、ベンチャーは任される仕事、できる仕事が増えると、その分責任感も増える。自分の売り上げが会社の業績に直接関わってくるので責任重大。それに伴い仕事する時間に影響するので、大手にいる人と比べたらキツくなり、俗にいう「隣の芝生は青い」状態になるとメンタルが持たなくなる。自分のメンタルが試されるので、自信がないとキツい。

③制度が整っていない
3個目は「制度」について。これもベンチャーならでは。本当にベンチャーは何整っていないから、自分達でやっていくしかない。例えば、入社後は大手だと研修があるが、ベンチャーはないところが多い。メガベンチャーになるとあるが、1期目、2期目だとないことが多い。他にも人事制度や評価制度といった人事面も整っていないことが多い。よくも自分達で新しい制度を作ることができるので、そこに面白みを感じる人はいいかもしれない。

ここまで大手とベンチャーのデリメリを説明してきた。勘違いしないで欲しいのは、ここに書かれてあることはあくまでも僕の意見であり、僕の経験がベースということ。なので、ここに書いてることが全て正解ではない。
少しでも就活生、転職者の力になれればと思い書いたので、ご参考程度に。

そんなこんなで10月から初めてのベンチャーで新しい挑戦が始まり、最初の3ヶ月は仕事のことしか考えず、ひたすら目の前のことを全力でやっていた。この最初の3ヶ月はほんまにしんどくて、辛いことばかりだったが、この経験は今に生きている。

2021年後半は1社目の退職から始まり、ベンチャーで怒涛の日々を過ごして終わる。そんな後半を過ごした。
次は2022年。今年の出来事だ。この1年間はさらに濃い1年間だったので、次の章も楽しんでほしい。それでは、次の章へと続く。


15.社会人6年目(2022年)

2022年についてこれから書いていく上で2022年に起こった出来事を最初に書いていく。

【2022年の出来事】

・1月から3月の3ヶ月間で初めてのダイエットに挑戦し
体重−7kg、体脂肪−7%
・4月末2社目のベンチャーを退職
・5月から3社目の会社に新規事業立ち上げに誘われ参画
・9月3社目の事業が失敗となり退職
・10月から転職活動&派遣生活がスタート
・12月内定をもらう(4社目が決定)

20222年の出来事をまとめると上記の内容となる。
2022年後半は今までの人生の中で一番しんどかった時期だったけど、色々な学びがあった期間だったので、それはこの後に書いていく。
では、それぞれの出来事を細かくみていこう。

【初めてのダイエットに挑戦】
2022年一発目はダイエットからスタートした。2社目のベンチャーでは事業としてフィットネスの事業をやっていて、社内でも健康に対する意識が高く勢いでダイエットをやることになった。
僕自身普段から筋トレをやっていたが、食事制限まで細かく取り組んでいなかったため、ダイエット自体が初めてだった。なので、会社の知り合いでパーソナルトレーナーの方がいたので、その方にご協力いただき、ダイエットが1月からスタートした。

ダイエットの目標はパーソナルトレーナーの方と決めて、体重は70kg→63kg、体脂肪は25%→18%と目標設定した。
このダイエットはただ体重、体脂肪を落とすだけではなく、しっかり筋肉を残しつつやったため、ダイエット期間のトレーニングは基本重さをやりつつトレーニングしていたので、結構ハードトレーニングだった。
みんなダイエット言うと運動が大事だと思っている方がいると思うが、実は「食事」が一番重要。しかし、「食べない」のは間違ったダイエット方法なので、しっかり3食摂ってのダイエットでした。

その時の食事の写真がコチラ👇

こんな感じで3食毎日食べてました。笑
質素に見えてこれが意外とダイエット中うまい!笑

そして、この毎食の写真をトレーナー方にLINEで報告。一時写真ホルダーが料理の写真ばかりでした。。。わら

そんなこんなで3ヶ月ダイエットし、結果はどうなったかと言うと、、、

体重が70kg→63kgでマイナス7kg
体脂肪率が25%→18%でマイナス7%
と言う結果になった。

実際の写真が👇

今見ても全然違いすぎておもろい。
こんなに体が変わると自分でもびっくり。ほんまにやってよかったので、ダイエットの良さを少し話そうと思う。

【ダイエットの良いところ】

①人として強くなる
ダイエットの初期はワクワクで、3食しっかり食べれたから意外と余裕だと思っていたが、これが1日目、2日目、3日目と過ごしていくうちに、これが3ヶ月続くんかと思えば、続けるのがしんどかった。また、食事以外では週4、5回ジムで運動、パーソナルトレーニングを受けていた。プラス仕事。クリーンな食事で健康的ではあったが、やはり好きな食べ物を好きなタイミングで食べれないのが思いのほかストレスだった。もちろん、外食もあまりできず、お酒も飲めなかった。誘惑が多く、それともないストレスもかかりすごいメンタルはツラかった。そんな中で常に自分との戦いに勝ち続けた分、人として、男として強くなれた。

②体の調子が整う
無理なダイエットはなく、しっかり食事制限、適度な運動トレーニングをやった結果、体の調子が今まで一番よかった。特に肌。僕は大学4回生頃から肌の調子が悪く、ニキビができやすくなり、それがコンプレックスだった。
それが、食事制限、運動をすることでダイエット前よりもニキビが少なくなり、肌の調子が良くなった。肌だけでなく、便通も良くなり、今まで以上に便が出るようになった。便が出やすいと言うことは腸が整ってる証拠。体の調子が整うことで仕事の調子も上がった。ダイエット終盤は最後の追い込みがあり、食事もさらに制限していた時があったので、その時は少し体への負担が大きかったので、辛いところはあったが、トータルでみて、体の調子はすごくよかった。

③感謝するようになる
ダイエットは制限が多い。特に食事面。みなさん日頃好きな食べ物を好きなだけ食べていると思うが、ダイエットはそうはいかない。制限される。制限されると何が起きるかというと、当たり前に感謝するようになる。ダイエットだと食事に対して、食べ物に感謝するようになる。それこそ、みんなが当たり前のように食べるお米、肉、魚、野菜といった食材に感謝する。好きな時に好きなだけ食べることは否定しないが、ダイエットで食事制限がなくなって、初めて食べるご飯が僕は一番この世で美味しかった。食べれることが当たり前だと思わないこと。

何から挑戦を始めたらいいか迷ってる方は筋トレ、ダイエットをおすすめする。それはなぜか?体が確実に変わり、それを自分の目でしっかりと分かるからだ。成長って目に見えない部分が多いが、体の成長は誰がどう見てもわかるので、評価されやすい。だから、筋トレ、ダイエットはおすすめなのでぜひ挑戦してください!

【ベンチャー退職、次の会社へ】
2022年はダイエットから始まり、そのダイエットも3月末で終了。
今からはその後の出来事についてだ。
ダイエットが終わり、食事もクリーンな食事をしつつ、外での食事もできるようになったので、ある日知り合いの方にお食事に誘われて食事に行った。
その知り合いの方は、僕が3社目に入った代表の方でした。代表の方とはもともと僕が去年挑戦したカフェ開催のクラファンがきっかけで知り合い、お互い関西だったので、ちょくちょくご飯に行かせてもらっていた。

その代表とは以前から「なんか一緒にビジネスをしてみたいなぁ」という気持ちを抱いていて、いつかできたらいいなって思っていた。
そんな淡い気持ちを抱いたら、代表の方から「一緒に仕事をしよう」とお誘いいただいた。
正直最初は即答できず、めちゃくちゃ悩んだ。
それはなぜか?
2社目のベンチャーの環境があったからだ。僕はまだベンチャーに入って半年ぐらいでまだまだビジネスについては未熟だし、自分の能力もまだまだだと自覚していた。だから、もっと今の環境で力をつけてからでもいいんじゃないかと迷っていた。
その迷いがあったため、最初は副業という形で一緒に仕事をさせてほしいと代表の方にお答えし、それで構わないと返事をもらい一緒に仕事をすることとなった。

4月からはベンチャーの仕事を本業に、複業でもう1社の事業に携わることとなり、これまで以上に仕事に熱が入るようになった。
そんな4月を過ごしているうちに心のモヤモヤが表れ始めた。
俺ってどっちに本気に、もっとコミットしたいのか?
今って中途半端になってないか?
どっちの仕事をもっとやりたいの?

自分と向き合い、答えを出した。
それが「新しいところで挑戦しよう」と。

この決断を2社目の社長に伝え、4月末で退職することとなった。
僕は2社目で約7ヶ月仕事をさせてもらい、ほんまにたくさんの経験をさせていただいた。今まで営業しかやってこなかった僕に、たくさんの仕事を任せてもらい、失敗しても成長にフォーカスしていただき感謝しかない。
僕が2社目のベンチャーで恩返しできることは、結果だ。この先の人生で結果を出し、どこの会社出身だったか聞かれた時に2社目の会社の名前を言うことだ。結果で返せれるように次の会社で頑張ろうと決心した。

そして、5月1日より3社目の会社での仕事が始まった。

【3社目】
3社目の会社はこれまで以上に出来立てホヤホヤの会社で、よく言うスタートアップだ。ほんまに事業を0から作るところから始まり、ビジョン、ミッション、バリュー、サービス設計といったところから始まった。

最初に言っておくが、3社目は最後事業失敗で終わる。悔しいがこれが現実である。では、どんな形で終わりを迎えていくか話していく。

5月から始まったサービス。事業の内容としては、端的に言うとブランディングサービス。企業や個人(これから起業予定)に対して、ビジョン、ミッション、バリューの言語化のお手伝いをするサービスである。

僕は会社としては営業、広報をメインに仕事をし、新規顧客の獲得、自社サービスの認知を主に行なっていた。
新規獲得のため、人とたくさん会う必要があり、身近な友達に連絡して、会って人を紹介してもらえないか相談したり、今自分が挑戦してる話をした。また、異業種交流会に参加して経営者、違う業界の方ともあった。違う方法でSNSを使い、DMでアタックをした。
広報では自社サービスを受けていただいたお客様にインタビューをしSNSで発信、自分のYoutubeアカウントでVlog動画を上げた。

上記のように仕事していったが、僕は何一つ結果を出すことができなかった。めちゃくちゃ悔しいけど、ほんまに自分の実力がハッキリと数字にでた。

ここでの失敗の学びは大きい。以下に学びをまとめる。

①ビジネスは甘くない
「新規事業の立ち上げ」って言葉だけ聞くと、めちゃくちゃカッコいい響きをしているが、いざ立ち上げをやってみるとそんな甘くなかった。
起業も一緒で。かっこいいだけでビジネスを始めるのはあまりおすすめしない。どうすれば事業が右肩上がりに伸びていくのか、どんなビジネスモデルを設計するのか、どんな人をターゲットにするのか、どれか一つでも違うとドミノ倒しのように全て倒れていく。どれだけ自社サービスに目を向けて根気強く向き合い続けるか、逃げずに戦い続けるかが大事だった。

②財務はおさえる
一番スタートアップで危険なのが「お金が尽きる」こと。お金が回らなくなるのが一番危ないから、財務についてはみんなで共有して抑えておかないといけない。今僕が言ってることは当たり前のことで、僕たちはその当たり前のことができていなかった。どれだけのキャッシュが必要で、損益分岐点はどこなのかなど会社が潰れないようにするための財務を全員が理解しておかないといけない。

③キレイことは言ってられない
あーなればいいな、こんな世界いいなって理想論ばかり語るのではなく、地に足をつけてガムシャラにやる。ほんまにこれしかない。もちろん、ビジョンを描くことは大切だけど、ビジョンに逃げるのが一番最悪。どれだけ目の前の現実と向き合い、戦い続けられるか。キレイことだけじゃダメ。

④やりたいことだけが先行しちゃダメ
これはキレイことと近い内容だと思うけど、自分達のやりたいことだけをやるのはナンセンスだと思う。できるのにやりたくないはもっての外で、自分達が目指すビジョンのため、成し遂げたいためにできるけどやりたくないこともやらないといけない。自分のやりたことだけやるはただの自己中。

⑤失敗を失敗で終わらせない
今回失敗したことを「あ〜失敗した」って終わらせるんじゃなく、なぜ失敗したのか?何がダメだったのか?どう改善できるか?”言語化”させておくことが重要。これは失敗の時だけじゃなく、成功した時も同様に言語化しておく。言語化しておくことで仮説検証ができ、それが再現性につながる。だから、僕も今回何がダメだったのか言語化するためにこの記事を書いている。なんでもそうだけど、次の成功するために次の準備をすること。

失敗したことに対してもちろん悔しいが、それ以外でも悔しさがある。
それが親に対してだ。僕は3社目で挑戦する時、親の意見を押し切って挑戦した。でも、結果的に失敗に終わった。それに対して親は何も僕に文句や言葉はかけてこなかった。正直、飽きられてるのかなって感じていたけど、実はそんなことはなく、僕が失敗してこれから派遣生活をしていく中で次のために応援してくれた。親のために生きてるわけじゃないけど、親がいるからこの世界にオレは生まれたことを絶対に忘れちゃいけないなって。
だから。オレはここで終わっちゃいけない。そう感じて、3社目の挑戦はおわった。

【フリーター時代】
9月に3社目の会社を退職し、10月から転職活動と派遣のバイトをスタートさせた。実は転職活動なんだが、このnoteを読んでいただけた方はわかると思うが、しっかり転職活動という活動をしたことがなく、今までは紹介、お誘いでしか転職をしたことがなかった。だから、初めて転職サービスから企業を探して面談を申し込んだ。
転職活動の初期は軸とか何も考えず、業種とベンチャーに絞って動いていた。業種はキャリアコンサルタントをメインに人材業界に絞った。キャリア系に絞った経緯は、自分のこれまでのキャリ経験を就活生、転職者の力になれるかなって思いキャリア系にした。大手じゃなくベンチャーにしたのは、大人数の規模感で働く窮屈さがイヤ、メンバーと距離が近く濃い関係を築きたい、向上心、成長意欲がある環境で仕事をしたいと思いベンチャーにした。

そんな転職活動だが全然前へ進むことがなく、どうしようかと考えてた時、ご縁があって、転職支援会社のサービスを受けることにした。この会社さんはベンチャーで大手の人材会社と違い、求職者や就活生ひとりひとりに合った企業しか紹介をしないという会社さん。どうやって一人一人に合った企業をマッチングさせるかというと、「自己分析」だ。自社オリジナルの自己分析を使用し、40〜50時間かけて自己分析を行う。その情報をもとにマッチングする企業の選考に進むという形だ。なので、紹介してもらう会社は数社しかない。僕はその自己分析のサービスに魅力を感じ、そちらの会社さんで転職活動を進めた。

結果、12月に自分と合うんじゃないかという企業を紹介いただき、そこの選考を受け、内定をいただいた。10月から始めた転職活動は年内で終えることになった。
今回の転職活動で大事にした軸についてまとめてみました。僕は初めて転職の軸っていうのを言語化することで新しい発見が見つかったので、転職を考えている方の参考になればと思う。転職するのに軸が必要なのは当たり前やんって方もいらっしゃると思いますが、お許しください。笑

【転職活動の軸】
①「人」
僕は転職活動を始めた時、一番大事にしていたのが「何をするか」でした。でも実際はそうじゃなかったことに気づかされた。これまでのキャリアで転職をしているがなぜその会社を選んだかは言語化することができていなかった。僕は会社を選択する基準として、誰と働くか、誰と時間を過ごすか、同じ気持ち、価値観を持ってる人と仕事をするのか、人にフォーカスしていたことが分かった。これは僕にとって当たり前だったからこそ、見えていなかった部分だった。何をするかより、誰とするか。僕はこれを大切にしてる。

②「ビジョン」
2つ目は会社のビジョンに共感できるのか。1個目の「人」と同様、ビジョンも皆さんが転職する上で軸にする1つだと思う。僕もこのビジョンは欠かせない。会社としてどこを目指し、何を大切にし、それに対して自分のビジョンと重なるかを重要視していた。大手の時は、ビジョンが社員に浸透されず、バラバラな方向で仕事をすることに違和感を感じていた。会社のビジョンに共感できる人と一緒に仕事をしたかったので、僕はビジョンを軸として置いていた。同じ船に乗るクルーとして、このビジョンは必要不可欠。

③「将来の自分の姿なるための環境」
僕は将来自分でチームをつくる。仲間を集めて、その仲間たちと冒険をする。こんなGOALが僕にはある。仲間を集めるために、もっと強くなり、パワーをつけることが必要。もっと経験値を増やすために、挑戦できる環境、高め合える環境に身を置くべきだと思った。未来の自分の姿になれるであろう環境を軸にした。

この3つの軸をもとに僕は転職活動をした。結果的にこの3つの軸が当てはまる会社に就職することができた。来年早々入社させてらもうことができたので、23年はまた新しい挑戦が始まるのが楽しみだ。

10月からは転職活動とは別に、生まれて初めて派遣を始めた。同世代は皆会社に勤めるのが当たり前のなか、オレは派遣、、、みたいなモチベーションの状態が最初はあったが、そんなことを言ってる場合じゃなかった。そんなフリーター期間を3ヶ月過ごして、気づいたことがある。

それは「感謝」。この感謝に気づくことができた。

どうだろう?みんなは毎日感謝、”ありがとう”と言葉にしてる?
家族、両親、友達、会社の仲間、上司、後輩、お客様、、、
それだけじゃなく、自然、食べ物、交通機関など、、、
今僕たちが生活できているのは誰かがいて、どれかが作ってくれたりしてくれたから生活ができている。当たり前なんだけど、そんな当たり前のことを僕は見落としていた。

3社目の話に戻るが、僕が新しい挑戦ができたのは誘ってくれた代表、その挑戦を見届けてくれた親、僕の挑戦を応援してくれた友達。
僕はたくさんの人に支えられて生きていた。挑戦ができていた。
ほんまに感謝しかない。今回は失敗に終わったけど、僕の挑戦はまだ終わってない。まだ僕の人生は今もなお死んでない。まだ生きてる。だから、また挑戦する。必ず結果で返す。それまで僕は諦めない。

この10月〜12月は今までにない3ヶ月間を過ごした。長い目で人生を見た時に、この3ヶ月間はちっぽけかもしれないが、僕にとっては忘れられない時間を経験することができた。この気持ちを忘れずこれからも前を向いてやっていく。

16.2023年について

今この記事を書いているのが12月27日。今年もあと5日で終わる。
最後にこれからのことについて予言して今回の追記を終わろうと思う。

2023年はどんな1年になるか?
一言で言うと”オールライフが充実する1年”になる。
オールライフとは、仕事、趣味、人間関係、恋愛、健康、勉強、お金、全てを僕は充実させる。今までは仕事だけやる。仕事だけやればいいと思っていた。もちろん、僕の人生にとって仕事という存在は欠かせない。
けれど、それだけじゃほんまの意味で人生の充実にならないなって最近気づいた。僕は人が好き。友達と飲みに行って、エモい話をするのが好き。仕事仲間と未来について話すのが好き。好きな人と過ごす時間も好き。だから、仕事しかやらない。仕事だけやればいいわけではない。仕事も恋愛も遊びも全部充実するような1年にする。なので、2023年は今まで以上に忙しくなること間違いなし。

最後にこの言葉でこの追記を締める。

”心配するな。オレの人生、全部上手くいく”
この言葉を胸に秘め、2023年も自分を信じ、そして最後は全部上手くいくと信じてやっていきます。

今年もお世話になりました。来年も新家颯をよろしくお願い致します。
それでは、良いお年を。そして、ハッピーニューイヤー。

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