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祈りとは 

私は特別な宗教を信じている訳ではないが、幼い頃から凛とする神社の雰囲気や、なぜか落ち着く寺の匂いが好きだったり、場のエネルギーを感じたり、見えない世界や見えない力に想いを馳せたり、いわゆるスピリチュアルだったし、今も変わらない。今は周りにそういう話ができる人が増えたきもするが、ずっと「浮いて」いて、「宇宙人」と呼ばれ続けた。面白いことに今住んでいる沖縄のこのエリアは宇宙人好きが多いから、特段目立たない。

沖縄は霊感が強い人が多いと思う。もともとは日本人もそうだ。自然豊かで、島国で、アニミズムやら、妖怪信仰らが自然に息づくところであるから。ただ、いま、現代文明の中で日本人の霊感が影を潜めてしまったのだろうと思う。沖縄には今も、いろいろ感じる人や祈る人が多い。

祈るというのは、神様の意志に近い思いに意識をあわせるということだと思う。欲からくる個人的な願いをお願いすることもあるが、大体の場合、祈りというのは純粋な願望であり、それは一人ひとりの内にある神からくる意識なのではないか。

以前、インドの聖者パラマハンサ・ヨガナンダについて書いたが、聖者というのは神に完全に意識を合わせ生きたり、言葉を発する人のことだ。ヨガナンダの本はたくさん出版されていて、日本語でも読める本がたくさんあるので、意識を最高位に引き上げて魂のいい状態を目指したい人は是非彼の本を読むことをおすすめします。

まだまだ途上ではあるが、私の生きる道において、ヨガナンダ師という存在に出会えるか出会えないかで大きな違いだ。道を求める迷える子羊たちに彼の言葉が届くことを願う。

今日4月6日のスピリチュアルダイアリー(Self-Realization Felloshipが出版)の抜粋を紹介する。これが祈りだと思う。私はこれを目指し、これを今日の祈りとしたい。まだまだ途上だけど。

 人が不親切という醜さをみせたら、私は愛のこもった親切で、自分を美しくしようと駆り立てられますように。
 友人からとげとげしい言葉を聞いたら、いつも優しい言葉を使おうと思い出すことができますように。意地悪な心から石が飛んできたら、私は善意のミサイルだけを打ち返すようにします。
 ジャスミンの木は、その根に斧を振るう手にも、花を降らせます。そのように、私に敵対的な行動をとる度の人にも、許しという花を降らせることができますように。  ーパラマハンサ・ヨガナンダ

 聖者はすべて神と同調しているので、どんな宗教から出た聖者であれ、本物の聖者というものは個人の対立がなく、メッセージはシンプルで同じだと私は思う。ヨガナンダのメッセージがイエス・キリストと対立するということはなく、常に同じ神のもとにひとつである。

それぞれの人間がただひとつの神に向かう道を、智慧と愛を持って助けてくださる師がそれぞれ違うだけ。

人生のステージや段階で必要となる存在たち、人生で出会うどんな反面教師も、助けてくれる友人やら家族もみんな大切な存在であなたの成長のために、出会うべくして出会っている。でもあなたがもし、意識を高く保ち、この世に生きる理由を悟り、常に変わらぬ真理のもとに本当の幸せを獲得したいならば、聖者は、あなたを導く最高教師であることは間違いない!

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