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結婚というもの

結婚願望というのは存在し、結婚というのが人間の理想のように語られることが多いが、それは大体の場合したことのない人の幻想だ。または懲りずに違う結婚を求め理想を夢想続けるという社会幻想。したいのなら学びとしてすれば良いと思うが、ほとんどの場合思うような、期待するようなものではない。私も幻想を抱いていた。実際全く思っていたものと違った。なんでこんな幻想が先走りしたんだろう。ドラマの影響か?少なくとも学校ではこんなことは教えてくれない!

結婚式のラブラブの写真をフェイスブックにアップする人達がいる!
実はお似合い、おめでとう!とは建前で、こそばよいきもちになる。よかったね、夢がかなって。

10年後、二人が仲良い写真をアップしてくれたら、いい夫婦だな、良い結婚だな、と思う。素晴らしい経験と学びと成長があったんでしょうね、と。

旦那は2度めだったし、私には期待半分と、半分冷めた結婚感があったので(未来からものをみてしまうような)結婚式を挙げなかったから、それだけは正解だったなと思う。そのお金で家族で世界を旅した。

もし結婚したてのときのラブ♥を世間に公表していたら、自分が一番恥ずかしかっただろうし、世間に見せるものでもなかった。
それより私は今こそ、いろいろ乗り越えて、まだ旦那と一緒に協力あえてともに生き、白髪もシワも増えてしまった私を(お互いか)お祝いしたい。
内面の年を重ねた美しさを育てようとしている自分をもっと大事にしてあげたい。

これから結婚したい人に告ぐ。
結婚というのは学校の入学みたいなもんで、より深い学びに溢れている新たなステージです。しかし、自動的に楽になるわけではありません!よいパートナーシップを築けるならば、サポートしあえるので人生は少し楽になる、それは理想的です。一人で歩むより二人のほうが楽しかったり楽になるからパートナーが必要なんだから。幸せも苦労も分け合い、幸せは2倍に、苦労は2分の1にする。

相手は自分の鏡です。自分の中の見たくないことに限って見せてくれる。だから憎らしいと思ってしまう。自分の嫌なところだから。しかも、二人の世界なので、自分と相手とで半分して50%の力で発言力を持っている。友達10人に聞いたら「そんなことないよ」と言われることと全く逆のことを100%の正当性を主張して言ってくる。そのとき、私が自分を守れればその力は50%になるのだが、謙虚だったり、自分に自信がなかったりすると、彼が100%正しいと思いこんでしまい、もし自分が批判されたら、自分も含めてダブルで自分を批判し、落ち込んでしまうということになる。

よっぽど聖者と結婚しない限りは人間は不完全な存在で(本当は神だとしても、神性を目覚めさせるまでは途上なので)魂を磨き合ってこそ神に近づけるので、不完全な存在同士がどんぐりの背比べしたり、批判しあったりしる。結局相手を全批判して、自分を全肯定できて離婚したとしても、その後学びが完成していないうちは、中退して違う学校に入学するだけであまり変わらない。自ら学ばなければ。自ら変わらなければ。

結婚しない人も多いが、恐れずに、学びに向き合う勇気と覚悟をもって体験するのもあり。もしかしたらあなたによっては学びはとてもスムーズで楽しいだけかもしれない!ひとそれぞれまったく違う学校のカリキュラムとプログラムが用意されているものだ。そして神様は本当に一人ひとりに最適な計画を用意してくれているのだ。

ということ。

マインドフルネスの日々、ひたすら内省し自らと向き合う日々。

写真はスペイン、バルセロナのサグラダ・ファミリア


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