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「ハンチバック」「東京都同情棟」…芥川賞はすごい

九段理江さんの芥川賞受賞作『東京都同情棟』、ようやく読んだ。改めて芥川賞ってすごい……と思った(読んだこと前提の)自分用メモ。

『東京都同情棟』はもう詩

芥川賞受賞作『東京都同情棟』は、一部chatGPTに取材して書かれたことで話題になった。chatGPTが膨大なデータから言葉を選別して"建てて"いくように、人間の脳内にも選ばれた言葉にストップをかける検閲者がいて、安全な言葉を"建てて"いる。社会的な制限のもとで建てられるという意味で、言葉と建築って同じだったんだ……という発見を与えてくれる小説だ。本当は必要だった言葉を飲み込んで、これまでにいくつの言葉を「アンビルト」してきたのだろう?と考えると怖くなる。

言葉をないがしろにして一体どういう社会にしたいんですか?もっともっと理解しあえない社会になりますよ?という啓蒙にも感じて動揺する。

それとともに、九段さんの言葉のパワーに感動する。すべての文章が「詩」みたい。たとえば主人公の父親は、母親から「ゴミ」と呼ばれていた。ゴミの語源を調べると「木の葉」からきてるらしい。「木の葉」のようにヒラヒラ舞い降りる父親の姿を想像したらちょっと面白かった……みたいな描写とか。言葉の持つ意味以上の"含み"に対する探究心が止まらないといった感じ。あと、塔がCGみたいに崩れていく映画的な描写とか……言葉だけでそんなことまでできるんですか?と驚いた。

小説のなかでは2026年、新宿に「シンパシータワートウキョウ」という名前の刑務所が建てられる。犯罪者が罪を侵す背景には貧困など本人の力ではどうにもできない問題があって、これは親ガチャ・環境ガチャ的な運も大きい。本来なら罪を犯さない人生もあったはずなのに、ガチャに失敗したせいでかわいそう。そんな感じの"同情"から「シンパシータワートウキョウ」はつくられた。SDGsとかジェンダー平等とかの流れで出てきてもおかしくない議論だし、小池百合子あたりが気に入りそうなネーミングでもある。

建築に対して反対の声もあるものの、主人公は「美しい建築は未来だ」「ザハハディドへのアンサーは私しかできない」と思い込んでいる。たしかにそういう神秘的な領域は存在するのかもしれないけど、なんだかオッペンハイマーにも通ずる盲目的な美学の追求にも思えるし、実際に「シンパシータワートウキョウ」建築後の様子を見て(読んで)みると、かなり不気味な感じもする。外国人記者が「こんなの建てて、日本人は正気なの?」と(レイシストというキャラでありながらも)わりとフラットな視点で指摘してきても、結局「シンパシータワートウキョウ」が建ってよかったのか否かは誰にもわからない。「大独り言時代」だから、「よかった/よくなかった」の評価はあちこちで聞こえてくるけど、そもそも良し悪しを判断するデータを積んだ脳のCPUが人それぞれ違うわけだから、人類はいつまでも一つの答えには辿り着けない。

にもかかわらず、「それっぽい言葉」とか「人を惹きつけそうな強い言葉」、「意味を簡単にする言葉」で考えなきゃいけない問題を覆い隠すもんだから、さらに辿り着けなくなる。言葉を放棄する言葉ばかりでこの社会が埋め尽くされていく。理解しあおうと粘らない傲慢さゆえに、バベルの塔が建とうとしているかもしれないのに……

『ハンチバック』はラストがすごい

改めて、前回の芥川賞受賞作『ハンチバック』も読み直したけど、こちらもやっぱりすごい。

主人公のイザワシャカと同じ障害を持つ著者・市川沙央さんの「私小説」ともいわれて賛否が分かれた小説。たしかに「生きづらい」と簡単に言えてしまう健常者の無自覚さに対する、怒りにも憎悪にも似た感情を剥き出しにした描写が目につく。読んでて「ずっと殴られつづけてる」みたいな感覚になってくるけど、もはや読み手は無抵抗に受けとめてサンドバッグになることしかできない。でも私は、市川さんがこの小説でホントに書きたかったのは"ラスト"なんじゃないか?と思ったりする。

ラストについては、人によっていろんな解釈ができると思う。ざっと考えただけでも大きく3つ。

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① 風俗嬢のシャカは空想説
風俗嬢のシャカは、イザワシャカの頭のなかでつくりあげた空想上の存在。「兄が殺した障害者」という記憶ではあれど、風俗嬢のシャカ(ひいては妊娠できる一般の読者)に自分の存在を覚えていてほしい……という祈りのようなパート。この文章を静かにエバーノートの下書きにしまっておくイザワシャカを思うと胸がいっぱいになる

② 風俗嬢のシャカが主人公説
二人とも本当に実在している可能性もある。風俗嬢のシャカの一人称が唯一「私」になっていることから、じつは主人公はイザワシャカではなく、風俗嬢のシャカのほうだった説。もしそうだとしたら、風俗嬢のシャカと同じく健常者であろう「読者」に一気に視点が切り替わることになる。イザワシャカがこれまで散々感じてきた健常者(中絶できる女性)に対する憎悪に対して、「いやいや妊娠できる体ってそんないいもんじゃないですよ」というアンサーパートとも取れる

③ パラレルワールド説
イザワシャカがもし別世界で風俗嬢のシャカだったら……というドリーミングな説
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個人的には①②③の順番で濃厚だと思っている。③はないだろ……と思うかもだけど、イザワシャカはずっとネットのなかで生きてきた人間だし、ずっとユニークなアイロニーを文章で散りばめていたから③の展開もありえなくはない。ただ「お兄ちゃんの殺人」というイザワシャカに通ずる話が出てきたことを考えると、この説はあまり現実的ではない気もする。①か②に帰結する人が多そう。私は①として空想を文章にすることで、中絶できなかったイザワシャカの行き場のない心が昇華されていく姿を想像したけどどうなんでしょう……

なんにせよ、健常者に対して「何が"生きづらい"だボケ」「多様性多様性言うなら障害者のリアル(性的なこと含め)を知れよ」というカウンターを喰らわせただけでなく、救いとも、さらなる地獄への入口とも取れるラストを試みたところが新しかったと思う。もし「ただの私小説でしょ」と読み始めた人がいたら、ラストでひっくり返ってあわあわしてしまうのではないだろうか……(ちなみに今ならKindle Unlimitedでも読める)。

まとめると芥川賞は、小説ってこんなに面白いの……?小説ってまだこんなにやれることあるの……?と思わせてくれる作品がちゃんと選ばれてる。毎回すごいグラグラに感動してる。

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