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新年の挨拶と雑談。

明けましておめでとうございます。
いつも読んでくれてありがとう。

袖で触れ合うのも多少の縁と言いますが、1時間で中世の人の一生分の情報が生み出され、通り過ぎていくインターネットで、定期的に読んでくれたりいいねを押してくれる人がいることに心から嬉しく思っています。

読んで反応してくれている人のことは、アイコンとか名前で覚えているものです。返信をするものでもない気がするので、どんなことを考えている人なんだろうってnoteを読みに行ってみたり、いいねを押したりしています。

新年を言い訳に、いつも照れ臭い上に書きどころがないこの感謝を書きたかったので、下は自己紹介がてらのおまけです。

ところで、新年とか誕生日とか、記念品とかを、「普段思っているけれど、照れ臭くて面と向かって伝えづらいこと」を伝えるきっかけに使っているカップルとか人間関係って安定している気がします。

もちろんご飯を作ってくれたことへのありがとうとか、デートに美容院の後に来てくれた時とかの可愛いとか、そう言う日常の小さなありがとうや可愛いを伝えるのは大切なのだけど。

記念日とかロマンチックな雰囲気を言い訳にして伝えられる、「いつも一緒にいてくれてありがとう。愛しているよ」みたいな感謝の気持ちってあると思うんです。

認知的不協和じゃないけれど、感謝を伝え合うことで、関係性が長く続くのは、言語化することでお互いに認識を新しくできるからだと。

掃除はこまめにするのが大切なのと一緒で、こういう「ありがとう」や「愛しています」の言語化は、一度やったら、もう永遠にしなくてはいいものではない。

植物に水やりするみたいに、ちゃんと習慣的に続けることで関係性が維持できるものだと思うんです。

そしてその愛情を測るKPIは、どれだけ植物が高く育ったかとか、大きくなったかみたいな大きさに着目すればいいわけでもなくて。

店舗や利益が増えるほど株主に喜ばれる資本主義の論理と違って、植物は水をあげて毎日すくすくと元気に生きていてくれる存在自体が嬉しい。愛情も植物と一緒で、資本の論理とは少し離れたところで生きていると思うんです。

長くなっちゃって何が言いたいのか分からなくなってきたのでまとめます。

良いお年を。
ここまで読んでくれた人が、素敵な一年を送れますように。
悲しくなった時に、寄り添ってくれる人や言葉がありますように。

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