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アドバイスする男滅びればいいのに、なんてそんな男を彼氏に選んだくせに言ってみる。

先輩の家に引っ越しの手伝いをした事がある。

お昼に、クロワッサンを2人で食べた。
このパン屋さんね、東京に来てからはじめて「心から美味しい」って思ったやつなの。

吉祥寺にあるんだけどね。
緊張したようにそんなことを早口で先輩は話していた。

食べながら「ちょっと休憩」って、2人でNetflixをみて、絡ませていた指は腰にまわっていた。

クロワッサンも、Netflixも途中のまま、エンディングの歌は2人とも服を身につけないまま、天井を見上げて聴いた。どんな映画だったんだろうねって笑いながら。

そして、突然先輩の目から涙が流れて、いつまでも止まらなくて「ごめんねごめんね」ってつぶやきながら、ぽつぽつと話してくれたのが、次の話だった。

たぶん、僕にじゃなくて、窓の外の中央線と群青と紫になりつつある夕焼け雲に話したんだろう。

とりあえず、その場に僕がいたから相槌を打っていたけれど、先輩は僕の薄い裸体越しに、中央線に住んでいる、他の誰かを見ていた。そんな目だった。

***

アドバイスをすることって不毛だと思うの。

誰かに聞いてもらうだけでストレスが解消されて、スッキリする。

解決策は、話しているうちに自分で思いつくことも多いくてさ。

大切なのは「この人にならバカにされない」「恥ずかしいけれど打ち明けられる」という人が生活のそばにいることだと思うんですよ。

でも、相談をされると、ついつい腕まくりして「いい解決策を出さなきゃ」と思ってしまう。

相談を受けてアドバイスをするのは悪意からではないのだろう。

せっかく相談相手に選んでくれたから、その期待に応えたいという善意から、力んで」もっとこうすればいいんだ」とアドバイスする。
時には、相談者の話を遮ってまでアドバイスをする。

ところで、マルクスの資本論の前書きには「地獄への道は、善意で敷き詰められている」と皮肉が書かれている。

相談についてのアドバイスも、マルクスの皮肉が当てはまる。

善意から話をぶった斬って、アドバイスをして気持ちよくなっても、相談者の心にはモヤモヤが残る。

ありがとう、と消化不良の悲しい気持ちを抱える。
そういうことが続くと、「もう、この人に相談するのはやめよう」と思ってしまう。

恋人関係や夫婦なら、そのように女性は男性に相談しなくなる事が多い。
心が離れるのに、「セックスをしよう」と体だけ求められても、なんだか気分が乗らなくて、セックスレスになることすらある。

悩んだ時に相談もできずに、セックスもない関係ならなんで付き合っているのか分からなくなって、別れにつながる。

こういう時に、以上のことを言語化して別れを告げる事の方が少ない。

なんとなく溜まっていた不満が、片付けをしないとか、浮気したみたいな別の時間をきっかけに表面化する。

ヒヤリハットの法則というものがある。
1つの致命的な事故は、その前に100のヒヤッとするアクシデントと、10のかなりハッとする危険な状態を見逃した結果に、ようやく起こる。
というものだ。

人間関係の致命的な別れは、こうした「話を聞いてもらいたかったのに、遮られて"お前もいけない"と怒られた」とか、「最近、感情を共感するような会話ができていない」とかヒヤリとハッとの黄色信号をいくつも見逃した結果に起こるのだろう。

本当は、ココアを淹れて「つらかったね」って頭を撫でて欲しかっただけだった。
「いつも頑張ってるね。そんな〇〇の事が好きだよ」ってお風呂上がりに髪を乾かして欲しかった。

でもね、そういう自分の気持ちも「察してほしい」と思って、不満を溜め込んだまま彼には伝えた事がなかったの。

私も、可愛く「今日はすっごくつらい事があったから、話を聞いて甘やかして欲しい気分なんだ」って言えてたら、いまも付き合っていられたのかな。

大学に上がって、はじめて付き合った恋人と、別れた彼女が呟いた。

別れて、同棲を解消するためにマンションの引越しに呼ばれた夜。

引っ越しは夜までかかって、最後まで片付けなかったらベッドでセックスなんかしちゃって、でも途中で泣き出した彼女がそんなことをつぶやいていた。

付き合い始めたクリスマスにお揃いのネックレスと一緒に渡した「大好き」という言葉も、吉祥寺の井の頭公園で5月にパンを頬張りながら交わした「ずっと一緒にいよう」も、なんか思い出しちゃうんだ。ごめんね。
なんでこんなことになっちゃったんだろうね。

子供の頃にさ、ドラえもんの秘密道具で1番欲しいのは、どこでもドアだったんだ。
四国の田舎から出たかったし、まだ観ぬ景色を見たかった。

でも今は、タイムマシンが欲しい。
新しい景色なんていらない。
この部屋から出れなくていい。
でも、何かの瞬間に、致命的に関係が損なわれてしまって。

損なわれた瞬間っていうのは、その時は分からなくて。

毎日のちょっとした失望の積み重ねとか、イライラしてて言いすぎた言葉とかで、あとから振り返らないと分からないものでさ。

その時は、いつも通りのささいな口喧嘩で、いつもみたいに仲直りできるって思っちゃってたんだよね。

でも、カップに水滴を垂らしていたら、ある時溢れちゃうみたいに、なにかの瞬間に限界を迎えてしまって、もう戻れないんだ。

私はタイムマシンが欲しい。
致命的に関係が損なわれる瞬間の1日前に戻りたい。
そんで、一緒に吉祥寺で焼きたてのクロワッサンを頬張りながら手を繋いでる私に、こっそり伝えたい事があるんだ。

***

そんな言葉を聞いたまま、下着を履きかけの僕は黙っていた。

何もいうべき言葉が浮かばなかったから。

すでに部屋には机は片付け終わってなくなっていて、段ボールの上に置いたお昼たべたクロワッサンは冷めてしぼんでいる。


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