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「恋人さえできれば、寂しさなんて忘れられる」という甘い幻想に縋り続けてしまう
寂しくてさ、それが家族と上手く行ってないからとか、友達がほとんどいないからとか、いろんな理由を付けてみたんだけど、何をしたところで寂しさは消えないと思ったら悲しくなってしまった。
人生で一度も恋人ができた事がない悲哀があるとしたら、「恋人さえできれば、寂しさなんて忘れられる」という甘い幻想に縋り続けてしまうことだ。
その甘くも残酷な勘違いは、恋人ができて初めて「そんなことはなかった」と淡い紺色の寂しさとともに思い知る。
寂しさを消したくて、愚行を重ねてきた。
送るべきでないLINEを送り、こねるべきでない駄々をこねた。
ベッドに潜り込んで「ああああああああ」と叫ぶ夜と、隣人からの壁ドンが繰り返された、学ばない大学生活を送ってきた。
なんて後悔の言葉を吐いたら「そんな、情け無いエピソードが部屋の隅のほこりみたいにたくさん溜まってきた人間のことを、"落ち着いた大人"と呼んでいるだけだよ」と。
その言葉を呟いたのが、香水のように落ち着いた雰囲気を女性だった。
こんな大人になりたいな、と密かに憧れている人が吐いた言葉だからこそ、その夜飲んだキンキンに冷えたジンバックより印象に強く残った。
たぶん「そんなふうに見えなかった」人が吐いた、意外なセリフほど記憶を抉るのでしょう。
まるで性欲が無さそうな人の、ふと油断したよに目にすることになった性欲が忘れられないのと同じように。
夏場に前屈みになった胸元みたいに、親しい人のそのような姿をふと目にすることが、人生では何度かあるのだと思います。
ところで、だからこそ色気は脱いでいる服の枚数ではない。普段の凛とした姿勢とのギャップから生じる。
いつも服を着崩している人の脱衣より、きっちりとスーツを纏っている人がネクタイをほどく瞬間に、くらくらするほどの色気が香り立つように。
そのようなことをその夜、実は憧れていた、その女性に話していた。
話題は次々と脈絡なく飛び、京都祇園の裏路地のように錯綜し、元の話題まで辿ることは困難なほどだった。
何を話していたか忘れたけれど、途中から頬を涙が伝っていた。
新宿の朝靄を黒く濡れた瞳で見つめながら、彼女が「「好きだ」も「憧れ」も容赦なく伝えなさい。密かに憧れていても、その気持ちが伝わらないうちはただの他人なんだから」と、ぽつりと呟いた事だけは覚えている。
その言葉は好きなものを見かけるたびに、今でも耳に反響する。
愛しています。
ここまで読んでくれてありがとう。
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