「君の夢を見たよ。君と寝る夢だった」
「君の夢を見たよ。君と寝る夢だった」
そんなLINEの通知が描写される小説を読んだことがある。
しかし現実にはそんなものは稀で、今までで気になっている異性の夢を見たことなんて、人生で一度くらいしかない。
2度目だった。
起きて1時間くらい経ったのに眠れなくて、目を閉じていることに諦め、こうしてnoteを書いている。
「恋愛というのは医療保険のきかない精神の病のことだ」とは村上春樹の『街とその不確かな壁』でも引用される箴言だ。異性への衝動もそれと似ている。
人様に読ませられるくらいに、綺麗な内面を書くだけでとどまるか分からないから、投稿するか分からないけれど。
そうしたらそっと下書きに戻すだけだ。他のいくつかの開示できなかった下書きと同じように。
筆記開示法のように、考えていることを文字にするだけでずいぶんと楽になる。
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いままで、そういうシチュエーションで想像したことがない相手だった。
だからこそ起きて、ちゃんと感情が強く欲情していて戸惑った。
1時間くらいその人のことが頭から離れなくて、悶々としたまま目を閉じて寝返りを打ったり、抱き枕を抱きしめたりしていた。
あまり誰かのことを考えることはないのだけれど、会ったことがなかったから。なおさら。
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自分にとって、異性に対する好きという好意と、欲情はそんなに距離が離れていない。
あるエッセイストの言葉を借りるなら「見た目だけで夢中になれるほど若くないし、でも見た目なんて全く気にしないと悟りを開けるほど老成もしていない」のだ。
たぶん、誰かを好きになる時は内面からが多い。
話してみたい。
もっとこと人のことを知りたい、と惹かれる。
話すうちに温度感が心地いいと感じたりするうちに好きになっていく。
数年前、無印系の男女の部屋には1冊ずつ置かれていたのではないかと思うほどベストセラーになった『365日の広告コピー』では「外面はもっとも人から見られる機会の多い、内面の表現手段」という引用がある。
特に生まれつきの容姿というよりは、身につけるものや所作など選択の蓄積がその人の印象を作ることを指しているコピーだ。
そこまで強く断定はしないものの、僕にも好きな見た目はある。この人はタイプだと強く関心を惹かれるような。
選ぶ服のセンスとか、そういう細やかな選択の積み重ね。そういうものに惹かれる。
「文章を読んで、この人のことをもっと知りたい」と思う人とは気が合う可能性が高い、という信条を持っているが、文章が感性の露出だとしたら、惹かれる異性のタイプも似たようなニュアンスとして使っている気がする。
たぶん衝動的な欲情よりも、この人のことをもっと知りたいという欲の先に、触れたいと思ったりすることがあって。
そういう欲から始まった関係は、長続きしやすい傾向にあったように思う。
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あと10分くらい二度寝して起きようかな。
起きれますように、あと目を瞑ったら少しだけでも寝れますように。
たやすみなさい。
たやすみ、は自分のためのおやすみで「たやすく眠れますように」の意
『たやすみなさい』岡野大嗣
写真は2023年9月の江ノ島
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