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或る大学時代の防備録

大学時代、真剣に勉強したと思えるくらい夢中に大学の学問にのめり込みたかった。高校まで全くモテなかったことがコンプレックスだったから、女の子と普通に遊んだりセックスするようになりたかった。人生を通して楽しいと思える厚みを増やしたかった。

振り返ってみて、ある程度叶ったことは4年間の自分に頑張ったねと頭を撫でてあげたい。僅差で主席を逃したことや、旅行の誘いを断ってしまったことであったかもしれない関係を失った気がする異性との恋愛を含めて、後悔することもたくさんあるけれど。

勉強と真剣に向き合いたくて、学部で最も有名な名門ゼミに入った。朝から夜まで研究をしていた季節があった。論文提出前に熱が出ても解熱剤を飲んで、ふらふらになりながら書き上げた。

そのゼミで少し余裕ができたと思ったら、他のゼミにも単位がもらえなくても、「学びたいです!」と頭を下げて所属した。4年生になるときは、大学院の授業を聴講生として参加していた。

海外にも興味があって、留学や3ヶ月の国際交流の機会には積極的に参加した。外務省の後援を受けて、海外留学で学んだことをプレゼンもした。

異性と付き合いたくて、バーテンダーのアルバイトをしたし、サークルで女の子とも話すようになった。ご飯に誘い、2回目がなかった事もある。サイレントに振られたことに気づいて、傷ついた。でも、服装や話し方のダサさにも自覚して、「確かに、このままじゃ隣を歩く女の子は恥ずかしいだろうな」といたたまれない気持ちになった。

繰り返し(直接的でないにしろ)脈がないことを察して撤退したり、声をかけたりを繰り返すうちに、ありがたいことに彼女ができた。異性の友人もできて、遊びに出かけるようにもなった。セックスもした。次第に、すごく可愛くて内面まで知的な異性が周りに増えていた。

大学に入学したときは、異性のラインはお母さんしかいなかった。3年生になる時には、ありがたいことに毎日10人以上の異性から、LINEが来るようになった。連日、違うめちゃくちゃ可愛い女の子たちとデートしたこともあった。チームラボも行ったし、六本木の美術館も行ったし、新宿御苑も行った。異性と付き合い、別れ、遊んだりという、まるで日常に酸素のように異性がいる生活みたいなものにも触れられるようになった。そうこうするうち、心から大好きな頭が良くて可愛い素敵な恋人もできた。

半年で100冊ほど本を読み、雑誌の編集に携わった。4年間かけて都内の美術館を企画展のたびにまわり、各路線の一駅ごとに降りて庭園やカフェを開拓した。美術館の年間会員なると、シークレットイベントに招待されることも知った。

高校すら中退して、将来も何もかも不安でニートから大学生になった4年前の自分に「ほんとうに頑張ったね」と頭を撫でてあげたい。社会人になったら、こんなゆっくり振り返ったり、ツイッターをしたりする時間は無くなる気がする。こんなことを感傷的に書けるのは4月までのあと1週間程度なのだろう。

社会人になって、例えば30歳になった時の自分は、目標を持って、今よりも十分に早く遠くまで進めているのだろうか。もし過去の自分が見たら、「こんな人生楽しそうに真剣に何かに打ち込んでいる人には勝てない」と、思えるような日々を過ごせているのだろうか。

寂しがり屋で、どこかに気持ちと感情をぶちまけたい、でも、顔見知りには恥ずかしくて言いづらい温度感のことを、受けとめてくれるnoteは、自分にとっては心の安定剤の一つだった。ほんとうに。

なんかポエムチックなことを書いたけど、偏差値75の高校で、全国3位を取ったことあっても、大学を主席をわずか数点差で逃す僅差の成績で卒業したって、明日になったらまた女の子のおっぱいが目に入ったらちらっと見ちゃうし、楽してお金は稼ぎたいし、たくさん褒められて自己肯定感満たしたいし、恋人から連絡来ないと寂しくてメンヘラになるし。そんなわがままで、だめだめな自分も生き続けてる。にゃーん。

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