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4月に一つの物語も期待しないほど、私はまだ完全に人生を諦められてはいなかった

まとまりがない大学時代からいまを振り返る懐古です。全てに迷っていて、言葉にすれば少しは足元が固まる気がして。休日だったので久しぶりに書きました。

僕の書くnote全てがそうですが、誰かのためというよりは、自分のために書いていて。でも、自分しか見れない日記帳よりも、読んでくれる人が1人でもいるのかわからないけれど、誰かが「読む」という形で繋がれる空間に放り出したい時に、ここに書きます。

コメントやTwitterのDMとかで、ときどき読んだら感想や思ったことをもらえるとすごく嬉しいです。そこから繋がって、飲みに行ったりする人も何人かいて、嬉しいです。持論ですが、文章が好きでない人と会っても、絶対に気が合わないと思っているので。その対偶が真とは限らないけれど、それでも。文章を通して何かの形で繋がれるのはすごく嬉しいです。

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大学の時まで1日1冊本を読んでいた。「本を読める時期には旬がある。時間だけじゃなくて、加齢で気力も無くなってくる」と尊敬していた英語の先生が話していたから。本を読まない大人の話す言葉より、本を読みつつ僕らを教えてくれた東大の英文科の彼の言葉の説得力は重かった。

その分、学生時代に本ばかり読んであまり遊ばなかった。サークルも飲み会もほとんど行かなかった。
後悔はしていない。その浮いた時間とお金で本を読んだ。高校生の時から、2年間のニート期間、大学まで、1日1冊ずつ読み続けた。
くる日もくる日も、大学の卒業式まで9年間。

本を読んだお陰で出会えた縁がある。
それも今の人格形成に、切っても切り離せない縁が。

大学に入って1年生のディベートコンテストで、同じプレゼンターから「君、面白いね。飲みに行こうよ」と誘われた。可愛くて、セックス依存症で、歌が上手い女の子だった。歌が上手いのと、セックス依存症なのは後から知ったことだが。

彼女はその後大学を辞めるが、隣の県まで演劇を見に行ったり、一緒にプレゼンして補助金を取って公演をしたり、夜通し飲み歩いたりするようになる。彼女との出会いなしには、大学時代の精彩は欠く事だろう。

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大学2年生の時には、大学の教授から同じことを言われた。ゼミ選択の時期だった。
「君、痛々しくて、面白いね。うちのゼミにしなよ。絶対楽しいから」
その時の僕は、何者かになりたくて、でも、何をすればいいかわからなくて本を読み続けて文章を書き綴っては論文コンテストに投稿して賞金をもらって、飲み代にしていた。

『真夜中乙女戦争』にて、主人公は「たとえ私に友達や恋人ができなくても、憧れるような教授か、騙されてもいいと思えるような人間と1人でも出会えたらそれでいいと思っていた。」と独白するが、当時の僕も同じ気持ちだった。
4月に一つの物語も期待しないほど、私はまだ完全に人生を諦められてはいなかったのだ。

そんな僕は、教授に騙されてもいいから縋るように、他のゼミ名門を蹴ってその教授のゼミに入った。
その後、教授と2人で深夜3時まで電話をしたり、ゼミ同期の国際恋愛の相談に乗ったり、ゼミで参加したプレゼンの論文を締め切り数秒前に提出したりすることになる。ブラックというより、もはや黒すぎるほどゼミに埋め尽くされる大学生活が始まったが、それもいい思い出だ。

3年生では、本を読む総代になる美少女とご飯に行くようになった。きっかけはやはり本だった。2人で同じ本を読んで、気になったところに付箋を貼って感想を伝え合ったり、文通したりした。気がついたら4年生になる直前に付き合い始めた。

本を読み、その恩恵を受けた大学時代だった。
だから、僕は「本なんて読んでも何にもならない」という言葉に懐疑的だ。
本に救われ続けてきたから。
本を読んだことで語り合える人がいて、その人たちとの出会いによって、見た事がない新しい世界を切り拓き続けてきた。

それは、論文大会の決勝の壇からみたオーディエンスで埋め尽くされた会場だったり、打ち上げて代々木公園で飲んで花火をした夜だったり、世界一可愛いと思っていた性格も雰囲気も大好きな女の子と旅行に行くことだったりした。

世の中全てを恨んでいて、秋葉原の連続通り魔などの、世を恨んだ男性による事件のニュースを見るたびに、他人事に思えなかったニート期間には想像すらしなかった素敵すぎる大学時代だった。

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ただ、その分卒業する頃には飲み会や遊び慣れている人に憧れ始めた。

自分とは遠すぎる別の世界の生き物に見えたから。
大学四年生の就活が終わった後に、元世界2位のクラブでバーテンダーを始めたのはそんな理由からだった。

就職して、仕事が忙しくなったと恋人に振られてから遊ぶようになった。
可愛い女の子が好きだという頭の悪い理由で、好きな外国人のDJが来日するタイミングに合わせて夜通しクラブに行ったりした。

頭の悪い遊び方ができるのも20代のうちだけだと思っている。
だからこそ、遊び尽くして未練がない状態で、30歳から仕事に打ち込みたいと思って、何かに復讐するように、マッチングアプリを入れて毎週末のように女の子と会った。

たぶん、男子高校時代とニート時代の、モテなくて鬱屈した精神を持て余していた自分への復讐なのかもしれない。
褒められることではないのに、頭が悪くて品のない遊び方をしてしまうのは。
本当にモテる人は、1人の人を大切にするのは分かっているしそれに憧れる。
僕みたいに、次々といろんな人と遊ぶのは違うのだろう。

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本を読んだ。
「本当に本が好きな人は、本で読んで上がった体温で、現実を生きようとする」とは、寺山修司の『書を捨てよ、街に出よう』でも述べられている。

僕も本を読んで、現実を楽しみたくて社会人になってからもがいている。
「幸せになりたい」という一言に集約されるはずなのに、性欲とか自己顕示欲とか、青春時代への鬱屈とした日々への復讐とか。そんなぐちゃぐちゃしたものに振り回されている。

「20代以降の人生は、思春期に与えられなかったものを求め続けるために使われる。」とは「心の穴」という概念を提示して一躍有名になったAV監督のエッセイだ。
僕も、そんな思春期の欠乏感に振り回されて生きている自覚はある。

「本当に本が好きな人は、ビジネス書を100冊読み続けるんじゃなくて、1冊読んだら自分の企画書の作り方に活かしてみる。」とはコンサルタントの言葉だ。
僕も、本を現実を楽しく生きるためのツールとして読みたい。

「素敵な文章を書くために語彙力より大切なものは、豊富なその人にしかない人生経験と、それを文章の形に絞り出すための歪んだ欠乏感だ。」とは幻冬社の社長の見城徹の言葉だ。

語彙力も感性も自信がない僕が、文章を書きたくて何かを掴むために、体験にお金と時間に容赦なく注いできた。
注ぐためには仕事をしたいと思っていたし、その時給や仕事をしながら学びたいから、大学院で研究したい分野の広告で就職した。

仕事をしていて、恵まれていると思う。
ただ、ときどき、こんな生き方でいいのか、ふっと虚空に放り出されたように不安になる。

その不安感を、太宰治は「ただぼんやりとした不安」と表現したのかと、先日太宰も行ったという新宿三丁目の文壇バー、月に吠えるでふわっと思った。





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