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或る、出せなかった手紙

拝啓

もしよければ、
晩夏に聴く好きな音楽が知りたいです。

いつか読んだ本に、こう書いてありました。
「季節ごとに合う音楽は異なります。

休日のデートの朝に聴きたくなる音楽と、沈んだ寂しい夜に聴きたくなる音楽が変わるように。」

それを読んで、季節ごとに聴きたくなる音楽が数曲ずつあるとしたら、それを貴方と交換したいなと思ったのです。

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ところで、
バイバイと君を乗せた電車がホームから去るまで見送った後に「これも話したかった」と、こぽこぽと泡が浮かび上がるように、浮かんでくる事があります。

少し前まで、思い出すたびに、「改札に入る前に、思い付いていれば」と後悔していました。

話そう思っていたことを、次会う日までに、いつのまにか忘れてしまって、永遠に掴めなくなるとなおさら。


そして内容は忘れているのに、「これを伝えたかった」という思いだけが残ることが寂しくて。

それに後悔という名前を付けるのだと思います。

けれど、最近は、こうして貴方とあって、その感性に触れるようになったから、日常のふとしたことを見た時に、「これを伝えたい」と、思いつくのだと思い至って。

それからは後悔が小さくなりました。

「美味しいもの、美しいもの、面白いものに出会った時、これを知ったら絶対喜ぶなという人が近くにいることを、幸せと呼びたい。」と書いた小説家がいました。

その言葉を裏返すならば、「伝えたい人がいるから、日常の伝えたい事が、その人と出会う前よりも解像度高く見える」ことがあるのだと思います。

山間に綺麗な夕陽をみたとき、元旦に送られた日の出を思い出して、写真に撮って送りたいと思ったり。

心を揺さぶる詩の1行に出会ったとき、詩集に付箋を貼って回し読みした冬を思い出して、付箋を取り出したり。

そんな、今までだったら何も感じずに、「風景」として見逃していたはずの何かに、

ふと立ち止まるきっかけになるとき、

貴方と過ごした時間の堆積が、日常の気づきを変えていることに、驚くのです。

まるで山脈からゆっくりと地下深層水が染み出すように。

気づきには時間がかかる事があるけれど、確かに何かが変わっているのです。

いつもありがとう。

愛しています。

線香花火を燃やした夜に。

敬具

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